35.繋がれた男

「私は……私は…………」

襟元を掴む腕はいつのまにか震えていた。

こんな事を言える立場ではない。そんな事は分かってる。

だが、部下である時よりも上官であった時の方が長くてどうして口を付いて出てしまう。

(あの日見捨てたくせに……)

あの日から、彼女を含めた被験体達を助けたあの日、自分の事を優先した時点で、俺は人間としては終わっていた。

為すべき事もせずにどの口が説教を垂れるというのだ。

今すべき事は叱責し、意味もなく説教を浴びせる事ではない。

向き合う事だ。

(向き合う?何を馬鹿な事を………)

私は拳を握りしめ、腕の震えを沈めると、一心に彼女を見つめた。

彼女と視線は合わない。一応、彼女は私の方を見て、顔を向けている。

しかし、彼女は先程まで震える私の腕を見ていたようだが、今はどこか上の空で、ただ呆然しつつも、だが、妙に落ち着いた表情を浮かべている。

今更、何をすると言うのだ。

あの日、自分の保身のみを考え、彼女達被験体について何もしなかった私が、組織における立場が確立されても、彼女達の事を案じなかった私が、彼女の人工生命体を見て、彼女にあろう事か叱責した私が、何の言葉を吐けるというのだ。

私の言葉は彼女に届かない。届く訳がない。いや、届いて欲しくない。

私のような最低な人間の言葉が届いて良いはずがない。

だが、彼女もまた最低な人間だ。

最低な人間になってしまったのだ。

私の脳裏に彼女の人工生命体の姿が浮かび上がる。

自然界に絶対に存在し得ないであろうその巨体とおぞましい肉体は、絶対に忘れる事は出来ない。

それもこれも、全て私の責任だ。

私が計画性の薄い行動を取り、己の保身を優先し、彼女らを放置し、組織にされるがままにしたという事が、全ての始まりなのだ。

私が悪いのだ。

今更、何をしたって遅いだろう。

しかし、それでも言わねばならない。

「……私が………」

腕の力を緩め、彼女を身体を空中から椅子へと下ろす。

「私が悪かった………」

私は彼女の目から視線を反らさずに、一心に言葉をつむいだ。

「申し訳ない………私が……私が自分の保身など考えず、君達の事を最優先に考えていれば……君をこんな風にさせる事はなかったのに………」

彼女は目を細めた。

何を言われているか分からないといった様子で、少しだけ顔をひきつらせる。

「何言ってるの……?」

「私が君達をもっと………君達について、組織と交渉すべきだった。君達を安全なところに保護するよう要求する事も出来た。君達を戦闘や研究に巻き込まない事を言い含める事だって出来た。もっと……もっと、私は努力すべきだった。君達を助けるだけ助けておいて、その後の支援も何も私はしなかった。怠った………その結果がこれだ!全て私が悪い……」

吐き出せば、吐き出す程に私の口は止まらなかった。

思い返さずとも、分かる事だ。あの日にすべきだった事など、大人であれば誰であろうと分かるはずだ。

それなのに、私は私の事だけを優先した。

就職活動の面接でも無いのに、私は私の出来る事を、得意分野を口にし、組織にとって有用な駒である事を強調した。

頭のどこかで、あるいは心のどこかで、「もっと気にかけるべき事がある」と、叫ぶ声を聞き流して、蓋をして、私は私のポストを手に入れた。

戦闘訓練教官という、彼女達の未来に毛ほども釣り合わないポストを。

「申し訳ない!私が悪かった!私のせいだ!今更何をしようと何の意味も無い事は分かっている!償えと言うのなら何でもしよう!だからどうか…どうか……もう、あんな事は辞めてくれ!」

口にすればするほど、薄っぺらくて、信用に足らなくて、自己嫌悪の情が胸の内に溢れ出る。

今更もう遅いのだ。

彼女は逃れられぬカルマの中に身を投じてしまったのだ。取り返しはつかない。

彼女もまた、自らの作り出した人工生命体に滅ぼされる時が来るのかもしれないし、自責の念にかられて自殺を図る事もあるだろう。

私は彼女をその道に進ませたのだ。

彼女だけじゃない。他の子供達も、皆全て、研究所から取り放たれて、明るい未来が待っているはずだったのだ。

その未来を全て私が壊したのだ。

あの日、あの数時間で、私は彼女らの全てを奪い去ったのだ……………

「私は……五日後の襲撃の際、敵勢力の捕虜となる」

「は…?」

彼女の口から驚愕の声と言うには、息に近いような、そんな声が漏れた。

「これは作戦計画に基づく行動に過ぎない。私は敵勢力との遅滞戦闘の最中、負傷し、敵勢力に応急処置され、どうにか生き永らえる。それが完了次第、作戦は第二段階へと…」

「そんなの聞いてない!!」

彼女は大声で叫んだ。机に手を付き、勢い良く立ち上がった反動で、車輪のついた椅子が、カラ…と小さな音を立てる。

「おかしいじゃない!何で訓練教官が囮にならなくちゃいけないのよ!そういうのは特殊部隊がやる仕事でしょ?どうして、降川がやるのよ?!どうして、降川にそんな任務が回ってくるのよ?!不適材不適所も良いところ!何でなの?!何で降川なのよ?!!」

大きく目を見開き、歯を食い縛って、顔を歪ませ、憤る彼女は、身体の中に怒りを抑えておけないと言わんばかりに捲し立てる。

だが、私にとってその姿は、まるで駄々をこねる子供のように見えてしまった。

(感情豊かになったんだな…)

ふと、私はそんな事を思ってしまった。

ガラスの向こうで体育座りをしていた頃とは大違いだ。

彼女はもう、一人の人間となったのだ。他の人間と同じようにものを思い、感じ、触れ、考える人間なのだ。

こののために私がとれる最善はただ一つだ。

私の価値を存分に使い尽くす。それこそが、私の出来る最大の攻撃だ。

(果たすべき事を為せ。今度こそ、このを救うんだ。あの時すべきだった事をするんだ)

「提案したのは局長?!そうなんでしょ?!あの人は戦闘の専門家じゃない!それに、そんな作戦を行う権限は無いはず!拒否したって良いは…」

「もう決まった事だ。それにもう納得もしている」

彼女は私の肩を掴むと揺さぶった。

いつの間にか呼吸は乱れており、顔からは生気が感じられない。

「どうして?!自分で自分を捨て石にするって言うの?信じられない!馬鹿じゃないの?!アホなの?!能無しなの?!ノータリンなの?!こんなの…!こんなの……おかしいよ……」

彼女はうなだれながら、わなわなと震え出した。

「くっ……うっ……あぁ……あぁっ……あああっ!……」

顔を見せずに、嗚咽に似た唸り声をあげる彼女に、私は何も言えなかった。

視界の下の方が僅かに歪む。

私はそれに気づいて目を見開いた。涙は流さない。涙目にもならない。もしそんな様を見せでもしたら、彼女は叫ぶどころではすまない事をしだすだろう。

それこそ、局長のところに行って詰め寄るくらいの事はしてしまう。

(こんな奴の事、何とも思わなくて良いのに………)

「聞いてくれ。クリスティーナ。君に話さなければならない事がある」

彼女はぎゅっと、力強く私の肩を掴んで離さない。

腕は微かに震え、その振動が私の身体にも伝わってくる。

彼女の憤りは私のために沸き上がったものだ。だが、私はそんな高尚こうしょうなものを沸き上がらせる価値もない人間なのだ。

だが、それを彼女は知らない…………………

言ってしまえば、彼女との仲は裂かれるだろう。もう、二度と彼女は私に笑み一つ見せる事はおろか、目線すら合わせてくれない事は確実だ。

それだけの事をしたのだ。自業自得、鷹と矢だ。

私と彼女は決別を迎えねばならない。

(懺悔など意味を為す事はないだろう。どうして、私は白い六月ここに配属されたのだろうな。ここにさえ来なければ………)

この期に及んで、私はそんな事を考えてしまっていた。

そんな自分に嫌悪感を抱くのにはもう慣れっこになってしまった。己の醜悪しゅうあくさが垣間見える度に我が身を滅ぼしたい欲求にかられる。

幼い時はそんな事はなかった。そんな事を思うようになったのは大人になってからだ。それも、“栄転”が決まった後には毎日のようにそう思うようになっていた。

(………結局、この事を告げるのは己のためか……彼女のためでも、死ぬ前に後腐れが無いようにするためでもなく、ただただ自分のためだけに………)

とんだ糞野郎だ…私は。

それでも、告げねばならない。そして、もう、道をたがえないように言い含めねばならない。

彼女を作り出した者達が一体どんな性根を持っていたか、そして、そんな者達に協力していた私がどんなに腐っていたかを打ち明けねばならない。

(後生ごしょうだ。どうか、こんな人間にはならないでくれ………)

私はその思いを胸に秘め、重い口を開いた。

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