32.無灯荊路

研究区画は何日も前から無人であった。

ほとんどの研究員が自身の研究材料と共に撤収し、設備の破壊と資料の持ち出しが完了したのは一週間前の事。

それからはただ一人、クリスティーナだけが残って、人工生命の管理と観察を行っていた。




一人。立った一人。まるで昔に戻った感覚だった。

机に突っ伏しては、退屈を紛らわすためにゲノム編集と受精卵の融合の手順を頭に思い浮かべる。

(遺伝子の融合には同じ機能を持つ遺伝子情報同士を融合させる事が重要で……)

涙はとうに引っ込んでいた。

(もう、思い出して泣いたりなんてしない。私はもう、振り返らない)

そう思いつつも、心の中は霧が立ち込めるかのように、モヤモヤしている感覚が拭えなかった。

別に、もう関係の修復なんて望めない。隣を走り去ったのは私自身が私のやった事を自覚しているからだ。

ガラス越しに見つめる人工生命の身体には生殖器がない。掛け合わせたもの同士が同じ種では無いのだから、子供はもちろん出来ない。

人間のエゴによって産み出されたライガーと同じだ。

自分で自分を意味嫌う事をやってのけた。それだけの事を背負う覚悟はあるつもりだ。

(絶対に…絶対に…潰してやる…壊してやる……お前らの持ってる全部……何もかも…)

生憎、胸を焦がす憎悪の燃料には困らなかった。

私自身が受けた実験の数々とこの組織に来てから聞いた異能力者や突然変異体に対する仕打ち。それを聞いた時、私は二つの事を思った。

一つは、同じ境遇の人はいくらでも居るという事。もう一つは、奴らを徹底的に潰さなければ私達が太陽の下で普通の人間と同じように生きていくのは不可能という事だ。

一生を地面の下で過ごすのは別に何とも思わない。だが、奴らに一泡も吹かせられないで死ぬのは絶対に嫌だった。

(殺してやりたい)

心の底から私はそう思っていた。

だからこそ、自分と同じ存在を作り出して、兵器として運用する事を思い付くのに、そう時間はかからなかった。

私の研究のために、多くの人員が投入された。多くの設備と資金が手元に集まって、さぁ、やるぞってなった。

(それなのに……なぁんで、毎回邪魔されんだろ……)

始めにいた組織では培養液の作成といった研究自体の土台作りから始めていた。これはすぐに完成して、今度はどんな人工生命を作ろうかという話で盛り上がった。

虎やライオン、チーター何かを組み合わせて強襲突撃型にするか、イカやタコ、カニを組み合わせて甲羅で防御しつつ、触手で遠距離攻撃も出来るバランス型にするかで議論が割れたりもした。

結局どっちも作るって事で二チームに分かれて、それぞれ研究を始めてすぐに、施設が襲撃を受けた。

今居る施設と同じような地下施設で、事前情報も無かったから、取るもの取らずで命からがら逃げ出して、私自身は助かったけど、多くの仲間が消息不明になったのを覚えている。

次に配属された組織の施設は地上にある雑居ビルで、人員も前よりも少ない人数しか与えられなかった。

人員不足と場所不足で、培養液を入れた大きな水槽も置けないから、培養液に長期間入れて、身体が崩れないようにするための処置が行えなかった。

そこで、最初から身体が崩れない人工生命の作成にシフトして、完成させたのが小さな狼の遺伝子をベースにハリネズミの遺伝子を混ぜた作成番号一番、通称「ハリオオカミ」。

本当に小さくて可愛かったけど、躾をしっかりとしていたのに、人を襲う事を覚えなかった。

要因としては、襲われてくれる人が居なくて、同僚が立候補してくれたけど、皆で可愛がってたから「ハリオオカミ」は全員に愛着があったみたいで噛みつきに行かなかった。

その上、狼にハリネズミという捕食者の性格を持つもの同士を組み合わせてみたものの、両者の獲物があまりに違いすぎて、遺伝子レベルで混乱が生じ、狩りというものが全く出来なかった。また、躾や訓練のためのスペースが充分に確保できなかった事も災いした。

ここでは何も出来ない。

そう感じて、同僚達と転属願いを出して、ここ「白い六月」に来た。



ここでは、大きなスペースも確保できた。培養液を入れた水槽の中で皆が考えた人工生命をたくさん作った。

一人一体レベルで作成した時期もあった。だけど、そんな日々はすぐに終わった。

まず、自分達と同じ作られた存在を作りたくないと、良心の呵責にやられて数名がここを去った。

それから、自分の作った人工生命が病気や寄生虫に対しての耐性が低くて見るも無残な死に方をしてしまい、それがトラウマとなって、研究を続けられなくなり、何人かが『団地』送りになった。

そして、私も“失敗”をした。

作成した人工生命を懐かせるため、えさを与えたりして、徐々に私に慣れてもらうために日常的に距離を縮めていった。

でも、あの子には私がそういう行動を取る魂胆が、邪な気持ちを悟っていたのだと思う。

充分に距離を縮めたと思い、撫でようと手を近づけた時だった。

人工生命がその大口を開けた。

まずいと思った瞬間には遅かった。右腕に痛みに走り、牙が骨を砕いて、腕の半分が失くなったのが分かった。

激痛と恐怖のあまり叫び声を上げた私を見て、完全に弱者だと分かったのだろう。

瞬時に首元に、飛び付いて噛み切ろうとしてきた。人工生命の唾液が顔を飛び、口臭が鼻をついた。咄嗟に左腕を出してどうにか、首を守ったけれど、気が狂いそうになるくらいの激痛と共に、私の左腕の半分が人工生命の口の中に消えたのが見えた。

それから先は覚えていない。

目が覚めたらベッドの上で、近くにいた同僚が、気絶した私に食らい付こうとした人工生命を銃で撃って、処分したと聞かされた。

そして、私の両腕は手から先が失くなり、止血されている状態だった。

こうなった原因は私が欲張った事。

猛犬で知られるロットワイラー(牡牛用、警備用の犬種)とピットブル(闘犬として産み出された犬種。攻撃性が高い)をを組み合わせて強靭な人工生命を作ろうとしたけど、最初から懐かせる事が出来なければ何の意味も無かった。

因果応報。まさしく、その言葉通りの出来事だった。

私がそんな事をやらかした頃には、残っている者は遺伝子操作や遺伝子融合を何とも思わない、おおよそ人間の姿をした悪魔と呼ぶにふさわしい人間ばかりだった。

もちろん、私もその中の一人である訳だが。

それからしばらく経った。

多くの人工生命が育成、訓練に成功し、現場部隊に配属されるというケースも多くなった頃、局長が変わって、新しい方針が打ち出された。

ただの研究組織から、異能力や突然変異への研究、訓練を行う組織へと、『白い六月』が変貌するになったのだ。

そして、訓練教官としてあの人が現れた。そう、あの人が。

私をガラスの中から連れ出してくれた、あの人が。

絶対に会いたくなかったあの人が………

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