42.忌避すべき想像、得ては成らぬ顛末

闘技場への行き方はエレベーターしかない。

電気が止まれば、闘技場に居た連中は地下に閉じ込められる事になる。

だから、地下には非常電源が完備されてて、ボタン一つで、闘技場のシステムは復旧する。

問題は、そのボタンを囲むガラスケースを開ける鍵を研究員が持っているかだ。

持ってなければ、手動で非常電源のブレーカーを下ろしに行かなきゃいけない。

鍵を所持する権利を持ってるのは主任研究員だけだ。そいつら以外が鍵を持って、闘技場に入れば、重大な規律違反として…………………“左遷”する事になる。

あくまで、選択するのは己だ。あくまでもな。

闘技場の鍵を一般研究員に渡したら、そこから出ないで、一生研究に打ち込む可能性がある。

そうなりゃ、闘技場のシステムは半永久的に動く羽目になっちまう。

電気代も馬鹿にならんし、行政機関に施設の存在が露見するかもしれない。

何より、システムが摩耗してどこかが壊れるかもしれない。こういう施設ってのは世界全体にあるとも言われてるが、その一つ一つに多額の予算を振る事は出来ない。

だからこんなに良いシステムを持ちながら、ちびちび使う事しか出来ない訳だ。

それを末端の研究員が、うん、と首を縦に振るはずはないし、財政状態を気にかける事だってないだろう。

そこで非常電源に鍵をかけて、研究員が闘技場を使いまくったら、実験中でも構わず電源を落として強制的に使えなくしてた訳だ………研究員を地下に監禁する形でな。

でも、監禁された研究員が地下を彷徨うろついたら、偶然、非常電源のブレーカーに見つけちまったのさ。本当に偶然かは知らないがね。

この事は施設の上層部にバレなかった。あるいは気づいてても、知らないふりをしていただけか、ま、今となっちゃ真相は闇の中さ。

少なくとも、監視室に施設の地下にある監視カメラと繋がってるモニターは無かったし、一般の警備員にそれを見る権限はなかったはずだ。

とまぁ、長々話してきたが、電源が落ちれば非常電源へと向かうか、鍵を開けて、地上の様子を見に行くか、闘技場に居る連中がとる手段は二つに一つって訳だ。



闘技場の電気を止めるには、新しく増設された電気制御室のボタンを押すだけで良い。押したらエレベーターの前に行って、下から上へと行く表示があったら、エレベーターのボタンを押して……扉が開いた瞬間に中の奴を殺せば良い。

そして、そのまま地下に行って、他に研究員が居ないか探すだけ。

順調に行ってる。ほぼ、流れ作業だ。

ま、あんまり上手く行くもんだから、施設自体が内部から攻撃を受ける、襲撃されるって言う想定をして無かったんだろう。

その結果がこれだがね。




あっけらかんとした物言いで、降川は続けた。

「で、結局下には主任研究員が居て、エレベーターで上がってきたから殺して、地下行って、もう一人を殺した。主任研究員の助手だったかな、あいつは。まぁ、ともかくこれで、実験中のところはあと二つって訳だ」

淡々と降川は話していた。

そして、私は疑問を口にする。さっきまでと同じ流れだ。

何一つ、違和感はない。だが………………

(なんでこんなにも、腹の底が冷たくなるような感覚がするんだろう…………)

さっきからおかしい。自分でも良く分からない。だが、無性に寒い。

身体全体に悪寒が広がっている。

笑わなきゃ。いつもみたいにまくし立てて、明るくしなきゃ……そうすれば、こんなのすぐに無くなる……………

私は無理矢理口角を上げた。

「地下のカメラ……監視室の人は見れなかったんだよね?じゃあ、誰が見る用なの?」

「…それは………後で話すさ。もうちょっとで出てくる」

「そっ、そっか…」

すぐに沈黙が続く。

(早く次を!早く言わなきゃ!早くっ!)

頭の中でそんな声が必死に叫ぶ。

どうしたんだ、私は。

なんで焦ってる?焦る必要なんて………

その時、ふと、背中にびっちりと何かが張り付いている感覚を脳細胞が認知した。

服に冷や汗が染み込んで、白衣ごと私の背中に張り付いている。

こうなるまで汗をかいていた事に、今の今まで気づかなかったなんて……一体どういう……

心臓の鼓動がいつの間にか早くなっていた。今すぐにここから立ち去りたい。逃げたい。

そんな気持ちが心の中を、所狭ところせましと占拠していく。

でも、どうしてそんな気持ちが沸いてくるか分からない。

呼吸がだんだんと荒くなっていくのを感じる。頭が痛い。

「どうした。大丈夫か?」

降川が私の身を案じるように声をかける。

けれど、その声は私には恐怖の根元から発せられたものでしかない。

(私は……私は…………私は……………)

私は後退り、降川と距離をとりながら、ごちゃごちゃとして、まとまりの無い感情達を整理する。自然と俯いて、下を見ながら、自分自身と向き合うように、私は努めた。

しかし、感情達は私の中で叫び散らし、頭の中では混沌が作り上げられていった。

(怖くない…怖くない……怖くない!やっぱり怖い!あいつが怖い!降川が怖い!)

震えるような声が頭の中で響く。

(何よ?怖いだって?降川が怖い?降川のやった事が怖いんでしょ?でも、おあいにく様。あんたがやった事だって同じでしょ?あぁ~、可哀想にあのワンちゃん達ぃ…)

わざとらしい声が反論するように駆け巡る。

(別に怖くなんて無い!落ち着けって。私達は同じ穴のむじなってだけでしょ?あいつらがやった事と同じ事をしたまで。悪い事だけど……それ《人工生命体》以外に何をするのよ!何で復讐するっての?!)

自己否定の反論を吐き捨てるような声に、自己の悪行を正当化する声が叩きつけられる。

(でも……仕方ないじゃない…だって、あの犬達が居なければ……今までの成功はないでしょ?私の研究の礎になったと思って前に進むしか……)

途切れながらも、ポジティブに考えようと説く声がした。

その遠慮がちに、躊躇いつつも、これが“心理でしょ?”と言いたげなその声を、私は心の底から拒絶したかった。

けれど…………………………………

実際、そうなのだ。そう思うしかないのだ。過去は変わらない。

倫理観も道徳も、耳を触る事もなく、どこ吹く風と気にもせず、他の生命をもてあんだという過去は変わらない。

でも、止まる訳には行かないのだ。

今止まれば、自分は一体何のためにこんな事をしでかしたと言うのだ。

復讐が終わるまでは、せめて生き永らえなければならない。

私を作った奴らに、私をガラスケースに閉じ込めて、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、いじくった奴らに、そのための施設と資金を用意した奴らに、それを指示した奴らに思い知らせてやるまでは、決して死ねない。

それが答えだ。

(お腹の辺りが………冷たい)

先ほど感じたよりも、さらに冷たく、隙間風が通り抜けていくような感触すらある。

きっと、身体としては、答え《復讐》を拒絶したいのだろう。

でも……それ以外に、今の私に選択肢は無い。

私は顔を上げて、降川を見た。

心配そうにこちらを見つめる男の顔は、嘘偽りの無い本心を話しているように見えた。

それでも、私は怖かった。

視線を逸らしそうになるのを、必死に抑えながら、私は精一杯口を開いた。

「休憩にしない?重い話ばっかじゃ、疲れるからさ」

「あ、あぁ…分かった。すまんな、長く話し過ぎちまった。どうも、話をまとめるのは上手くなくてな………」

降川は少し戸惑いながらも、私の意見に賛同しつつ、謝罪をする。

「今、コーヒーを入れるから」

「あぁ…」

私は降川の返事を背中で聞いていた。

休憩しないだなんて、提案をしている時から、私はその場から逃げたしたくて、堪らなかった。

きっと、長話と、敵を迎え撃つ緊張で疲れてしまっただけだ。

怖いなんて、嘘だ。

そんな事を思っちゃいけない。思う資格なんてない。

降川が殺した研究員と同じ事をしている自分が、そんな事を思ってはならない。

私は部屋の隅の棚から、コーヒーの瓶を取ると、マグカップの並ぶ棚へと手を伸ばした。

コーヒーの瓶の置いてある棚より、高い位置に置いてあるマグカップは、私が精一杯手を伸ばしてようやく届く位置にある。

前に付け直してくれと言った事もあるが、折り畳み式の台を寄越して来やがったのは、ずいぶん昔の事だ。

「取るよ」

降川がそう言いつつ、私の方に近づいてくる。思わず、私は息を飲んだ。

降川は特に苦戦する事無く、マグカップを取ると、私に手渡してきた。

「ほい」

「あっ、うん…」

上から下げるようにマグカップを持つ降川の指に当たらないよう、指を置く場所を見定めながら私は受け取った。

「ほい」

一つ目のマグカップは大きく英単語が書かれたもの。二つ目は青の水玉のマグカップ。

きっと、英単語の方は自分用に、水玉のは私にと考えて選んだのだろう。

短くはない付き合いだ。そう考えた事は手に取るように分かる。

けれど、今もそれすらも複雑だ。

「ありがと。座ってて」

私は再度、降川の指にれないよう、注意しながらマグカップを受け取った。

「あぁ」

降川は返事をして戻っていく。

マグカップを置いて、コーヒーの粉を入れる。

降川も、私も、砂糖もミルクも入れないで飲める。それを知った時はちょっとした共通点があって、嬉しかったのを覚えている。

今となっては、それも呪縛のようなものだ。今まで、降川と築いてきた思い出も、思ってきた気持ちも、全てが私に纏わりついて放さない。

私は電気ポットを取ると、部屋の扉へと足を向けた。

降川には一言もかける言葉はなかった。彼の方に、私は顔を向ける事が出来なかった。

視線は合わない。たぶん、内山君の方を見てるんだ。

(そういや、ずっと放置してたな。まだ目覚めてないのか……)

医師という立場としては、寄り添うべきなのだろう。だが、今はそれが出来ない。

私は無造作に扉を開けて、廊下へ出ると、自然に扉を閉めた。

冷たい空気が途端に私の頭の先から爪先までを包んでいく。

私は扉の前から一歩も動かなかった。動く気になれなかった。

心臓の鼓動はまだ早い。これは治らないのかもしれない。

降川が途端に怖くなった理由…………それは、殺人者を前にした本能的な恐怖かもしれない。でも、殺人を犯した事自体には、あの日の書類を見た時から気づいていた。

じゃあ、なんで怖い?何がこんなにも、私を怯えさせる?

殺人の過程とか、生々しい話を本人から直接聞いたから?

それも、私と降川の長年の関係を呪いに変えるようなものではない。

では、なんだ?何がここまで…………………

私はそこまで考えて、ある一つの可能性にたどり着いた。たどり着いてしまった。

それは、どうしようもない事で、もう、取り返しは着かない事だった。

悔やんでも、どうにもならない。

「私が……研究者だからだ……」

きっと、私の脳裏には浮かんでしまったのだ。

いずれ、私も殺される。銃弾が私の身体を貫く。その時、引き金を引くのが、銃口を向けるのが、降川なのかもしれない、と。





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