15.訓練

「起きろ!」

異能力者として迎える初めての朝が始まった。

怒号にも似た声で俺は目を覚ますと、一瞬で身体を起こし、ベッドから飛び起きた。

「おっ、お、おはよう御座います」

「おう、おはよう。歯ブラシだ。今から洗面室に行って、顔を洗う。その後に歯磨きだ。歯磨き粉は共用で洗面室に置いてある。着いてこい」

「はいっ」

起き上がったその調子をそのままに、俺は手渡された歯ブラシを持って、降川教官に着いていく。

廊下に出ても、周りには全く人は居ない。

ただ、白い通路が続いているだけである。

教官が通路沿いのドアを開けて中に入ると、こたらを振り返り、説明を始めた。

「ここで歯を磨いたり、顔を洗ったりする。隣は風呂場だ。シャワーは着いてない。湯船はあるが、シャンプー、トリートメント、ボディーソープといったものは大まかな物しかない。お前、肌荒れする質か?」

「いえ、全く」

「そうか。じゃあ、顔を洗え。タオルはそこのクローゼットの中だ。使ったタオルは必ず洗濯機のドラムに入れる事。良いな?」

「はいっ」

説明を終えると、教官は蛇口を捻り、顔を洗い始めた。

それに続いて、俺も蛇口を捻って、顔を洗う。

隣でものが動く気配がすると同時に教官が俺に声をかけた。

「顔を洗う時間は三十秒以内を心掛けろ。自治体の水道局に疑念を抱かせるんじゃないぞ」

「え……あ、あの、水道代払って…」

「無いぞ。ちなみに、税金もな。我々は納税者じゃない。何たって、国民としての扱いすら受けられていないのだからな」

怨み節だろうか、吐き捨てるように教官はとんでもない事を言ってのけると、タオルを洗濯機に放り込んで、歯磨きをし始めた。

俺もそれに続いて、タオルを洗濯機に入れ、歯を磨く。歯磨き粉はスーパーで良く見る大容量の奴で、歯ブラシも少し力を入れて噛んだら、簡単に折れそうな安物のようだ。

(かなりの節約志向だな、こりゃ)

歯磨きを終えると、次は食事で食堂に連れていかれると、これまた、無人という有り様だった。

(俺はここに居る人をモンテなんたらさんと降川教官と食堂の大男しか知らないが、これは余りに過疎り過ぎてないか?)

俺と教官が席に座って数秒の間に、昨日の大男が現れて、食事を運んできた。

「bonjour」

「ほ、ボンジュール…」

「おはよう、良く眠れたか?」

「Oui」

「そいつは良かった」

大男はお盆を置くと、食堂から出ていった。

「食堂の隣に冷蔵庫と電子レンジのある部屋があってな。料理室で作ったもんを私達のために、置いといてくれるんだ」

「な、なるほど……彼は…フランス人?」

「いや、違うが」

昨日の言葉の意味は分からなかったが、さすがにボンジュールくらいは分かる。どうやら、ここは変な人が多いらしい。

モンテなんたらさんもそうだし、大男の人もそうだし、皆、異能力者ってのは変な人ばっかりなのだろうか。

「食事は基本、二十分で食い終われ。時間をかける必要はない」

「わ、分かりました」

「どもるな」

「はいっ」

教官は変人というより、完全に軍人だ。

考えてみれば当たり前で、徒党を組んで異能力者を誘拐したりするような人達に、平和的な話し合いとか、交渉とかは全くもって無意味な訳で、モンテなんたらさんが言ってた解放のために武装闘争を繰り広げるのだから、軍隊のように教育していくのは当たり前の事だ。

(とはいえ、それに俺が耐えられるかは未知数ではあるんだよな…)

とはいえ、もう逃げられない。

俺はいつもより、早く顎を動かして箸を持つ手をせわしなく動かした。




食事は終わったら、お盆や食器をどこかに片付けるという事はしなくて良いらしく、教官は食べ終わると、直ぐ様、ドアの前に立って俺に無言の圧をかける。

教官に遅れる事、五分程だろうか。どうにか食べ終わった俺は、手を合わせて「ごちそうさまでした」と言い終えると、教官の元に駆け寄った。

教官は俺に一瞥をくれると、左腕の時計を見た。

「十八分。まぁ、許容範囲だ。行くぞ」

「はいっ」

俺はまた、先を行く教官の背中を影のように着いていった。



次に連れてこれてたのは、ランニングマシーンとオリンピックの種目にあったような、でかくて長いダンベルや、これの上で腹筋とかやるのかなって感じの小さな布というかマットのようなものがあった。

「ここはトレーニングルームだ。この基地は用途ごとに区画が分かれている。ここはあくまでも訓練用の区画だ。そのため、今は私達の独占状態だな」

「あの、やっぱり、異能力者ってあんまり、見つからないっていうか、居ないもんなんですか?」

俺の質問に教官は手を動かしながら答えた。

「そうだ。そんなにじゃんじゃんそこらに居るものか。これ着ろ」

返事と共に教官がロッカーから取り出した服を投げてくる。

動きやすそうな半袖のシャツと半ズボンだ。たぶん、汗とかかいても吸水してくれるスポーツタイプのやつだろう。

「あ、有り難う御座います」

「だから、どもるな」

「はい…」

俺はさっきから、息が詰まるような感覚を覚えていた。

(そら、始めて来る場所で緊張しない方がおかしいだろうが…)

いつも、何かが変わる時はいきなりだ。

昔から事前に通告もなく、百八十度世界は変わる。

テレビの向こうの世界のものだと思っていたものが、明日自分の目の前にある事だって人生にはある。

反対に昨日まであったものが、明日には綺麗さっぱり消えている事もあるんだ。

(いきなり、突然、一瞬で、何もかも分からなくしていきやがる……)

だが、そういった流れに俺はいつも乗る事が出来ない。

今回だって、いきなり誘拐されて、いきなり助けられて、いきなり加入させられて…全部いきなりだ。

この分じゃ先が思いやられる。

しかし、今回のは今までの人生の中であった転機とは全く違う性質のものだ。

(受け入れた。そうだろ?)

俺は今一度、そう思う事にした。いつもと同じ通りに自分が妥協して、現実と向き合う事を選んだ。

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