20.懸念

「一人で戻れるか?」

内山の検査結果を説明が終わった後、私と内山は訓練区画への帰路に着こうとしていた。

「え、いや…」

「懐中電灯やるから」

私はそう言って、押し付けるように懐中電灯を差し出す。

「い、いや…」

「悪いが、俺はここで用がある。先に帰っててくれ。食堂で昼飯を食っておけよ」

「い、いや、その、あの、あそこに居る料理人の人…」

吃(ども)りながら内山は一人で帰るのを渋る。

「日本語通じるから。大丈夫。じゃ」

私は強引にそれだけ言って、踵を返した。

「……あぁ……ぁぁ……」

暗闇を一人で行かねばならない内山の蚊の鳴くような声が、聞こえたような気がしたが、今はそんな事はどうだって良い。

俺はつい、拳に力が入って握っている内山の検査結果の資料がくしゃっ、と悲鳴を上げた。

しかし、それもどうだって良い。そんな事より、何よりも、絶対に確かめなければならない事があったからだ。



「クリスティーナ、言わなかった事があるだろ」

研究区画の一角にクリスティーナの研究室がある。資料のファイルが置かれた無機質な棚と、観察対象をリアルタイムで映すカメラ映像が流れ続けるパソコンが数台、部屋の真ん中の長いテーブルに置かれている。

全くといって良いほど味気の無い部屋は、人が生活出来ないように思わえるが、この部屋の隅に置いてある寝袋が、ここで誰かが寝泊まりしている事を示していた。

「何の事?」

こいつの仕事は異能力と突然変異体の生物的構造及びその異能発現構造と特性の解明だ。

分からないはずはないし、知らないはずもない。

「黙っているべきと思ったのか?資料にも嘘を書いたな」

「嘘じゃない。訓練上、伝えるべきだけを記載したつもり。それ以上情報を与えるつもりはないよ?」

クリスティーナはあしらうようにそう言った。

「血の増殖とその特性の伝播(でんは)。これは、確実に軍事転用できる話だ。あいつに伝えるべきじゃないってのは局長の方針か?それとも、お前自身の独断か?」

俺は一気に踏み込んだ。

内山の持つ異能力は銃弾一発で対処可能なものであったはずだ。しかし、このように引き出しがたくさんあるのなら、話は変わってくる。

異能力を持たない通常人を異能力者にする事も可能だし、血を撒いて放火する事だって出来るだろう。

異能力の中でもトップレベルに攻撃性が高い上に、個人としての身体能力も常人とは比較になら無い。戦闘部隊にとっては喉から手が出るほど欲しい人材だろう。

そうとなれば、局長は確実に私を呼び出して、第一級戦闘員にするようにと、発破をかけるだろうし、戦闘シュミレーションの使用だって認めるはずだ。

それが無いと言う事は………

「お前……伝えてないんだな」

クリスティーナは口をつぐんだまま、私を見つめる。だが、目はこちらを見据えているようで、虚空を見ていた。

経験上手に取るように分かる。

目の前に居る人間がこちらに顔を向けつつも、他の事に脳の思考回路を使っている時の独特の仕草、身体を一切動かさず、表情が少しづつ険しくなっていくその過程。

何度も目にしてきた光景だった。それに、虚空を見つめているために、こちらが見つめ返しても何の反応も見せない事が何よりの証拠だった。

「何を考えてるかは知らねぇよ。けどな、戦術的にも戦略的にも内山は重要な戦力だ。これをどこかに捨てるような真似は上層部だってしないだろう。かつて、お前がそうだったようにな。そうと分かっていながら、報告をしなかったのはどういう了見だ?」

私の言葉にようやく物思いにふけていた頭を現実に戻してきたようだ。

顎に手をやり、クリスティーナは少しだけ思案してから口を開いた。

「ねぇ、降川。彼に私、ハイ・ヒューマンって言ったでしょ?」

「あぁ」

「たぶん、私と同じ結論になる人は多いと思う。そうなったら、彼は……ねぇ、その、どうにか出来ないかな?」

いつになく切迫した声でクリスティーナは話し出した。

「もしかしたら何だけど、ここ、襲撃されるかもしれないの」

「襲撃?!」

俺は驚いて大きな声を出しそうになって、無意識に唇を固く閉じる。

「うん。局長から一週間後に設備を移動させるように言われてるの。ここにある資料も器具も機械も残らず持っていくつもりだけど、そうなると、全部動かして取り外すのに、二週間はかかると思うから、明後日からもう移動作業に入るの」

「そうか……この施設はどうするんだ?処理は…?」

「そこなんだけどね……」

私の問いにクリスティーナは言いづらそうに、躊躇うように言った。

「生体兵器を……置き土産にするって……」

生体兵器。その言葉を聞いた私は心臓が縮み上がったのは言うまでもない。

「そんなものっ……どうやって…」

「前に人工培養液の中で、人間の腕とか足とかを皮膚とかから復元する研究があったって言ったよね?」

「あぁ…」

「それの応用。色んな生物の遺伝子を引っ張ってきて掛け合わせるの。培養液の中なら身体も作れるから……」

「身体って……」

「ベースの遺伝子に付け足すだけだから、キメラだけど、生体として培養液の中じゃなくても生存できるようになってる…」

信じたくない。なんと言う事だ。

生命の創造。それがここでも行われているなんて。しかも、やっている事は某恐竜映画の焼き直しときた。

それも、兵器にするだって?馬鹿げてるどころの話じゃない。

私は人間の醜悪さにあてられて、嫌気がさして、逃げるように去ったあの日を思い出していた。

(ふざけるな……人間如きが神の真似事を……)

私は身に沸き上がる憤怒を抑えつつ、クリスティーナの両肩を掴む。

「いつからだ?」

「ここに来てから」

「誰の命令だ?!」

「局長の……でも、私も元から人工生命体には興味があって……」

椅子に腰かけているクリスティーナはうつ向きながらそう言った。

「あそこで見たものより、ちゃんとした…人類がペットとして買いたいって思えるような…そんなものを作りたいって思って……」

はぁぁ……

クリスティーナの言葉に私は溜め息をつきながら、両肩から手を離す。

結局は繰り返しなのだ。それが歴史だ。人類史だ。

「ごめん……」

「身の安全が確保されたら、弄られる側から弄る側へシフトチェンジか?良いご身分だよなぁ。研究者さんよ」

吐き捨てるように言いながら、私は少し心の中で納得している自分が居る事に気がついた。

皆やってる事だ。どこもかしこも、ここだって、敵だって、世界中、お前の古巣でさえ、やっている事だ。

(それを今更何を善人ぶっている。お前だって、人を事を言える立場じゃなかったはずだ)

分かってはいる。分かってはいるんだ。

だが、納得できない自分が居る。

それに賛同してはいけないと思う自分が居る。

可哀想と、辞めるべきと、制止したい自分が居る。

同情などといった感情ではない。

こうするべきという私と言う人間の内で沸き上がる義憤。

それが、あの夜の自分を動かした。

(誰がどう思おうと、構うものか)

私は自分の考えを信じ、貫く事を選んだ。

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