21.後悔

「それで……何とかって?」

うつ向く私に降川は聞いた。

私自身、何とか出来るかもしれないという淡い希望にすがりたかっただけかもしれない。

それでも、今なら、いや、今だからこそ出来るはずだ。

私は顔を上げた。

「生体兵器にはね、一つだけ致命的な欠陥があるの。それは…」

「意志疎通が取れず、コントロール不可という点だろう?」

知っていたのか。そりゃあ、そうか。こいつもそっちの方の人間だもの。

「そう、それ。だから、奴らの襲撃時に隔離室から解き放つ」

「…それで襲ってくれたらって寸法か?そう上手くいくとは思えないな」

降川の懸念はもっともだ。だが、それはとうに私の頭の中には無いものだ。

「襲ってくれるよ。だって……というか、実物見た方が早いか」

私はそう言って、立ち上がった。

「来て、案内する」

いっその事、見てもらおう。

自分が助けた女がここで何をしているのかを。

そして、何て言われるかは未知数だけど……私の事嫌いになるならそれで踏ん切りも付く。(もし……もし、降川が称賛したら……この研究は………)





研究区画の最深部にそれはあった。ここらの地下の地盤は緩く、ここに隔離場所を作るのは難儀だったが、建築部の人達に高い代金を払ってまで、私はこれを必要としていた。

「入って」

私はまるで大手銀行の金庫室のような金属製のハンドルの付いた重いドアを開ける。

その先には、足場は工事現場のような、パイプを手すりとして、金網を床として作り上げられた通路があり、これが、地下深くまで一定の感覚であるようで、水槽全体を観察できるようになっていた。

藻が舞っているような緑に濁った水族館にも無いような大きな水槽がある。

「これは……この中に……」

「そう…ダイオウイカをベースに色んな海洋生物の遺伝子を掛け合わせてここまで巨大化させたの」

ゆったりと、何が水槽の中を蠢いている感じがして、水が、濁りが揺れる。

降川は息を飲んだようだ。

ジュウゥゥゥ~

勢いの良い水音と共に水槽の水をかき分け、一直線に何か光るものが上へと上がっていく。

「…あれか?」

「そう、あれ。あれが、生体兵器。私が作ったの」

そう断言した瞬間、降川は私の顔を凝視した。

(ねぇ、どう思うの?貴方はどう思うの?降川)

「今、培養液からこっちに移ってるのは十四体。明日にはまた、二体こっちに移るわ」

「どうして…こんな事を…?」

降川は呟くように、弱々しく、絞り出すようにそう尋ねた。

身体は少しだけ震えているように見える。怒りからか、恐怖からか、それとも憎悪からか…

(結論を聞かせてちょうだい、降川)

私は覚悟を決めて少しだけ息を吸った。

これで終わりになる。

「命令だから?それだけでやったと思う?まさかね」

心の奥深く、しまい込んでいたどす黒い感情の一端を私は言葉にした。

「ずっと、ずっと、こうしたかった。自分のために、自分のための生物を作って、自分のために消費する。それやって、いつも自分の力を感じてたかった。無力じゃないって、やれるって、そう感じてたかった……」

降川の顔から血の気が失せた。それでも、私は続ける。続けなきゃいけない。

(受け入れて欲しいなんて思ってないからね、降川。私を、私をなぶってくれて、構わない。それでも……)

私は言葉を振り絞った。最後の毒素を吐き出して、これで、全部終わりになる。

「こいつらはね…私のために生まれてきたんだよ。自然界にこいつらの仲間は居ない。私と一緒……こいつもおんなじように使われて、使い潰されて…忘れられる。そんな存在。まだ、あるよ、こいつらだけじゃない……」

話している内に何故だが、私は降川の顔を直視できなかった。

少しづつ、目が合わせられなくなって、また、うつ向いた。視界に入れたくなかった。

だって、降川が、今にも泣き出しそうな顔をしているんだもの。

(ずるいよ、降川。背負ってるもんが…違うんだよ……!)

「他にもたくさん居るよ…私の作ったもの。局長に言われる前からたっくさん作ってた。作っては隔離して、作っては隔離して……最初の頃はさぁ~、意志疎通を図ろうとしたんだよぉ~?そしたらさぁ……」

私は勢い良く手袋を取った。まずは右手、次に左手。

その瞬間に見たのは、降川の目が一瞬で真ん丸になって、おっきくなって、少しうるんで、うつ向いて、顔を伏せた光景だった。

良かった。これで踏ん切りが付いた。

ここに善悪の彼岸がある。

(私はもちろん悪。降川は善。この間に大きな濁流が流れている。私達はもう二度と交わらない……)

私は無意識に降川から目をそらし、歯を食い縛る。目の下に何かが貯まって、今にもこぼれそうだ。

「持ってかれちゃった……ど?最新鋭の節電義手は?」

無機質な白色の外見に、指の関節部までしっかり白色が覆い隠して、中のコードも配電盤も見えない作り。まるで、SFの世界からやってきたみたいに、なめらかな曲線美は自身の美しさを誇るようだった。

だが、私には心なしかそれが、虚勢に見えた。今の私と同じ………

「怖くないよぉ~って、赤ん坊から私が一生懸命育てたのにさ、撫でてたら噛まれてさ、手ぇパックンって……腕の骨もちょっとだけぇ…持ってかれちゃってさぁ~……私もあんな感じだったかな?私も………あんな風に反抗してたか……」

ダダダダダダダダン!

床の金網を力強く踏みつけて、降川は私に迫ると襟元を掴んで、背中をパイプの手すりに押し付けた。

「何で言ってくれなかった!!」

降川の唾が私の顔に飛び付く。

「何で……!何で、一人でこんなもの作って!何で!何で……!自分と同じ境遇の存在を作って、自分と重ねて!罪悪感で押し潰されそうなんだろ!!何でやってんだ!今すぐ辞めりゃあ…」

「辞められないんだよ!!」

降川の怒号にも悲しみの叫びに、私は言葉を叩きつける。

「何が分かんだよ!!作られた訳でも無いのに!何が分かんだよ!!何も出来ねぇくせに!何で!何で!何で!何で!何で!何で!何でうるせぇんだよぉ!!何も出来ねぇくせによ!!もう、何もねぇくせに!何の力も無く、上に従う事しか出来ねぇ奴がよ!私に説教に垂れるんじゃねえよ!!」

言った。言ってしまった。

私の心の奥底にしまい込んでいたどす黒い感情、心の闇、暗部、そんな風に言われるものが一気に噴出した。

(こいつに……当たったって何にもならないのに……こいつに当たっちゃ駄目なのに……)

それでも止まらない。止められない。

「お前はもう力がねぇだろ!全部、全部捨ててここに来たんだもんな!何もかも捨ててな!そんな事してなきゃ、今頃、自衛隊のトップにくらいなれたろうになぁ!!そうなってりゃあ、私だってこんな事してないよ!自衛隊の諜報員使ってさ!戦車と兵隊動かしてさ!奴らの拠点全部全部壊してくれるならさぁ!文句はないよ!!でもさぁ…もう出来ねぇだろ?!」

私は全てを吐き出した。

もう未練はない。もう、これで、こいつとの関係は全て終わる。

あの夜に始まった全てが、今日、終わる。

頬に何か水分が垂れるような感触がしたが、そんな事、気にもならなかった。

「私はぁ!私の力で!復讐がしたいんだよ!!何も!何も出来ねぇで!こんな地下で一生暮らすなんて嫌なんだよ!何で私がこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ!!奴らがそうなるべきだろ!!」

はぁはぁはぁはぁはぁ……

そう言いきってから洗い呼吸を整える事無く、私は言った。

「奴らと同じ道を選んだのは、科学の世界に神は居ないから。神様がいるんだったら、私の事も、あいつらの事も、天使に殺らせるなり、自分の手で殺るなり、事故に遭わせるなり、色々やれるでしょ?でもそうなってない。たから、神なんて居ない。どんなに罰当たりな事をしても、誰も咎めない。だから、同じ道を進んだの。同じ事をしたの。これが、私が私の復讐…私の作った生体兵器で、奴らを皆殺しにするんだ……絶対に……!」

頬をつたる水分の量は多くなっていた。顎からそれが滴り落ちていたが、私はそれを視界に入れなかった。

入れたら、自分が泣いているのが、苦しんでいるのが分かってしまうから。

もう、振り返っちゃいけない。振り返れない。

「この子達はね、内山君の血が流れてるの」

いつの間にか、降川が私の襟元を掴む力は弱くなっていた。

「表皮が分厚くて、十二・七ミリの機銃弾も通さない……凄いでしょ……?」

私は彼からの称賛を期待しなかった。

彼はもう既に生気の抜けたような顔をしていた。この顔に近いものは何度か見た事がある。

被験体の身体を省みない酷い実験で死んだ被験体の顔、死人の顔だ。

苦悶に歪み、生を渇望し、逃避の道を死の寸前まで探ったが、見つからず力尽きて目の光を失ったあの顔……

(もう良いよね。もう……さよなら…有り難う)

「もう行って。見せるだけ見せたから」

私がそう言うと、降川はかろうじて握っていた私の襟元から両手を離して、だらりと下げて、動こうとしなかった。

そんな降川の前から私は立ち去る。空しく金網を踏む音がその空間に響いて、消えた。

金網は断続的に落ちてくる後悔の雫を受け止めるには穴がありすぎて事足りず、その輝きは星屑のように淡く煌めいて、落ちていった。

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