33.意義歪曲、自死滅業の決意

久しぶりに会うあの人は、完全にこの組織に染まっているように見えた。

でも、それはすぐに演技であると分かった。この人はいつも周りの人間とは違う。

ガラスの向こうから見ていたあの人の目も周りとは違った。

白衣を着た研究員の目はいつも好奇と奇異を

たたえていた。だけど、あの人の目はいつも泳いでいた。

困惑、恐怖、怯み、同情、悲愴………

それらの多くの感情を纏いながら、それを見せまいとして冷淡に振る舞うあの人は、組織の中で従属的に生きていたはずだった。

始めは、ただ、怯えていただけなんだろうと私は思っていた。

組織に来てから知った事だが、今の時代、一般常識として、人体実験なんて言う事はやってはいけないらしい。もちろん、動物実験も。

許されているのはマウスやモルモットだけだ。

私の居た施設はそういった事を当然の事としてやっていたから、今にして思えば、戸惑っていたんだと思う。

けれど、本当は自分が違う毛並みを持っている事を隠しながら、自分の仕事をしつつ、為すべき事を為す。その為だけに生きていたのだ。

だから、あの人は私を助けてくれた。

バァン!

重く、鈍い銃声が私を囲うガラスの檻を撃ち破ったあの瞬間を、私は絶対に忘れない。

へたりこんだまま、状況が掴めない私の手を取って、お姫様抱っこして割れたガラスを踏まないようにして、ガラス張りの檻から出た事も、その時感じた気持ちも……そう、あれこそが歓喜。

自由という翼を手に入れた歓喜だった。

それなのに………

「宜しくお願いします。っ……君は……実験施設に居た……」

久しぶりに見たあの人の目は、あの日と変わらなかった。

純粋な…公正のために人生を捧ぐ情熱を

たたえた瞳。

その瞳が私の瞳を覗く度、私のしてきた事が、自分のために生命を弄んでいる事が、見透かされているような感覚がした。

結局のところ、私は自由になったのに、自ら囚われたのだ。

『復讐』という牢獄に。

自ら塀の中へ歩みを進め、牢屋の扉を閉めたのだ。

自業自得。そんな言葉が頭の中に浮かんで消える。

あの人に対して話す言葉の数々が、どんな内容のものであっても薄っぺらくて、軽くて、意味がないように感じて嫌になる。

「あっ、覚えててくれたんですね!そうです!貴方が助けてくれた実験体の一人です!」

「あぁ、達者にやっているようで何よりです」

(あぁ……痛い………痛い………)

あの人のかけてくれる言葉が痛い。

(痛い……痛い……痛い……)

投げ掛けてくれる微笑みが痛い。

(痛い…痛い…痛い…痛い…)

こちらを見やるさりげない気遣うような温もりを感じる眼差しが痛い。

(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い)

「どんな研究をされているんです?」

普通なら、ただの社交的な身内の現状を尋ねる会話も、私にとっては心臓を貫かれるほどの痛みを伴うものだった。

一瞬のうちに、今までやってきた自身の行いが脳内でフラッシュバックする。

作り出した人工生命体の一挙手一投足、仕草、こちらを見つめる眼差し……全てが私を鞭打つ。

(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!)

悲鳴を上げる権利など無い。そんな事は分かっている。

だが、痛いのだ。耐え難い痛みが脳髄を、心臓を、全身を駆け巡る。

「さ、最近は…異能力者と突然変異体の遺伝子の研究を行ってます…」

とっさに口から出た言葉は的外れではなかったが、的確な返答ではなかった。

ヘドロの沈殿する泥沼の水面の水をすくって、この水は綺麗だから飲めると持ってくるようなものだ。

すこぶるたちが悪い、嘘にも似た方便だ。

自己嫌悪に走るのは何度目だろうか。しかし、心なしか、いつも無意識にやっている自分への罵倒よりも、今日の、あの人が私に言ってきた事や、見せつけられた何の変哲も無い普通の行動の方が、私の心に大きな傷跡を付けた。



今思えば、その時にはもう、私は本来の私ではなかったのだろう。というか、本来の私って何だ?

そんな風に意味の無い自問自答を繰り返す度、笑みがこぼれて、気味の悪い笑い声が漏れた。

身体の防衛本能として、笑わせる事で、体内の細胞を活性化させて、侵入してきた細菌に対抗させているのだ。

私みたいな両手を血に染めた生きるに値しない奴なんて生かす価値は無いというのに。

身体は私を生き永らえさせる事に必死らしい。

こんな真っ黒な石炭でも被ったかのような業を背負う私にも、身体はまだ生きろと言う。

散々、いじくってきたのに、壊してきたのに、殺してきたのに、それでもまだ………

(あぁ、死にたい…)

でも、まだ……まだ、死ねない。死にたくない。そう思う自分が居る。

ここまでしたんだから。と、私自身の背中を押す私が居る。

復讐を為し遂げろ。必ず。それがお前に残された、唯一お前が進むべき道だと言うかのように、何度も、何度も思い起こさせてくる。

夢の中でも、朝起きた瞬間でも、食事中でも、試験管を振っている時でも、実験体の観察をしている時でも、顕微鏡を覗いている時でも、私の視界は、いつ、何時なんどきを問わずガラス越しの視界へと変わる。

無機質な白い壁、冷たくも温かくもない白い床、常に落ち着きを与えてくれない人間の目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目、目目、目、目、目………

その中に、一つだけ違う目がある。

動揺と温もりで焦点を震わせながら、緊張と恐怖を押し潰して、隠して、悟らせないようにしたあの両眼………

あの人のだ。あの人の目だ。

私を助けてくれた、私を救ってくれた、私を解放してくれた、私に自由をくれたあの人の目。

本当は怖がっていた。

こんな事はやっちゃ行けない。それなのに、何故やっているんだという怒りと、そんな疑問を呈してはならないという組織人としての思考。

それが頭の中でぶつかって、ぐちゃぐちゃになって、考えをまとめられなくて、ただ、流れに任せて事務的になって………

それでも、私を見る目は動揺と恐怖を隠しきれずに泳いでしまって……

それでも、いつしかその目は燃える義憤に輝いて、温もりを感じるようになった。

そして…………

きっと、あの人も怖かったんだ。怖くて、勇気が出せなくて、踏ん切りが付かなくて……

でも、それでも、やって見せた。

私に世界はこんなにも美しいんだと見せてくれた。

(それなのに…………!!)

もう、終わりにしよう。

ここらで区切りを付けようじゃないか。

敵も来るし、私ももう疲れた。

本当に身勝手だ。自分で自分を嫌いになるような事をしておいて、自分の最後にこんなものを選ぶなんて、正気じゃない。

でも、因果応報、鷹と矢だ。

私を殺すのは私だ。私で良い。私だけが私を殺すんだ。

ごめんね、せっかく助けてくれたのに。

こんな終わり方を選んじゃって、ごめんね。

ちゃんと、ちゃんと、皆のためにもしっかり、死ぬからね………

ひずみ、ゆがみきった決意を腹の底に抱えて、私は今、ここに居る………

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