EP.8

 リコは黒い直方体に戻ったそれを腰に収めた。

科学は日進月歩にっしんげっぽ。人類は月にさえ行った。しかし、リコの腰に吊られた直方体が、未だに人には過ぎたモノで有る事は解にも明らかだった。


「その変換杖ってのは、俺にも使えるのか?」

「変換杖の適性を決めるのは遺伝子配列いでんしはいれつです。そして、大洋くんの遺伝子は変換杖・枝枉しおうに適性が有ります」

「枝枉?」

「変換杖は全十六振り存在します。その中でも最強の一つです」


 「大島大洋」の複製である解は、彼と同じ遺伝子配列を持つ。即ち、枝枉に適性を持つのだ。複製として自分が造られた理由を解は理解した。


「それで、護衛ってのは?」

「はい。大洋くんが記憶を取り戻し、再び変換杖の使い方を思い出すまで、傍で守るのが東雲姉妹わたしたちの役目です」


 その時、リコの携帯端末が震えた。そして、操作をしていないにも関わらず、端末が勝手にしゃべり始めた。


「私だ」


 聞き覚えのある声だった。


藤十郎とうじゅうろうさん。どうしました?」

異常進化生物いじょうしんかせいぶつが出た。場所は外周区。S一八番。車を回す。大島君も連れて行って欲しい」

「大洋くんを? 何故ですか?」

「変換杖が何の為に存在するのか、知るなら早い方が良い」


 通話は一方的に切れた。

 数分後、解と姉妹は車の後部座席に収まっていた。緑色の車体。やたらと角張ったシルエット。スリップとは無縁そうなゴツゴツしたタイヤ。自衛隊で使用されている装甲車だ。実際、軍服を着た自衛官と思わしき人物が運転していた。唯一、解のイメージとの違いは、屋根に赤いライトが付いている事だ。サイレンの音と共にライトは真っ赤な光条を撒き散らす。天井を支える柱の間を縫うように装甲車は駆ける。

突然、車内を猛烈な風が渦巻き、解の髪を吹き散らした。


「爽快。目が覚めた」


 リツが窓を開けていたのだ。


「お姉ちゃん! 閉めてください!」

リコが叫ぶ。


「えー、気持ち良いのに……」


 リツがしぶしぶ窓を閉めた。


 しばらく走ると道は上り坂になった。やがて建物が無くなる。森都の外縁に向かっているらしい。その時、装甲車が止まった。


「自分はここまでで有ります! ご武運を!」


 運転手が言った。降ろされた場所は草原だった。湿った青臭い匂いがする。イネ科の草が夜風に揺れていた。


「ここは?」

「森都の外縁部です」


 例えるなら、森都は地下に埋まった巨大なホタテ貝の中にある街だ。彼らは今、貝の口付近に立っていた。解が頭上を見ると張り出した屋根に覆われている。

 外縁部からは森都が見渡せた。幾つもの巨大な柱が天井を支えている。まるで摩天楼だ。大阪や京都にも引けを取らない。ここが本当に「森」の中なのか。解が辺りを見回していると、いつの間にかリツが隣に立っていた。


「大丈夫。私たちの傍より安全な場所なんて無いから」


 そんな事を言う。


「それは頼もしいけど、ここに何が?」

「「森」から、異常進化生物が紛れ込んだみたいです」

「どんなヤツ?」


 リツが問う。するとリコが驚いて言った。


「報告書、見なかったのですか!? 携帯端末の!」

「見てない。風が気持ちよくて」


 リツは心なしか誇らしげに言った。


「今から見るよ」

「もう遅いのです!」


 瞬間、黒い巨大な塊が急降下してきた。砲弾のようなそれは、解たちの目の前で鳥に姿を変える。翼を広げたのだ。


「フクロウ!」


 見上げながらリツが叫ぶ。確かにその生物はフクロウに似ていた。

ただ、あまりにも巨大だった。

 翼の端から端まで約十メートル。ヘリコプターもかくやという巨大さだ。羽ばたきで、解の身体が浮き上がりそうになる。そのフクロウの怪物が左右の鉤爪をピンッと広げる。もはや断頭台のようなそれを、無慈悲に閉じた。その鋭利な鉤爪は、しかし、空気を切り裂くのみ。

 リコの手に、半透明の杖が握られていた。葉脈のような銀色の筋が透ける。美術品めいたそれは変換杖・月華。月の光に濡れて銀色に光る。


「光を曲げて、私たちの位置を錯覚させました」


 リコが言った。巨大フクロウは鳴きながら上空へと舞い上がる。獲物を捉えたと思ったが、何の手ごたえも無かったのだ。バケモノも混乱していた。


「……追い払ったのか?」

「まさか」


 フクロウは獲物を諦めてはいなかった。解たちの上空、天井スレスレで円を描くように旋回を始めた。


「何だよあのバケモノ……?」

「異常進化生物です。東日本を覆う「森」は、手近な生物の遺伝子を壊します。そして、遺伝子を壊された生物の成れの果てが、アレなのです」

「遺伝子を壊す?」

「来ます!」


 リコが叫ぶ。

 フクロウが翼を畳む。その目が獰猛どうもうに光った。

重力に引きずられて巨体がちる。地面に激突するのでは、と見ている解が思うほどの勢いだった。それでもフクロウは翼を広げ、巧みに制動せいどうをかけると、鉤爪かぎつめで地面スレスレをかすめる。ただ、その鉤爪はまたしても空を掴むのみ。跳ね上げられた土が解の顔にかかる。


「さっきより近くない?」


リツが言った。


「対応されてますね……」


 リコの額に汗がにじむ。しかし、表情はりんとしていた。真っ直ぐに怪鳥を見据える。恐れの色は見えない。ふう、と短く息を吐き、彼女は呼吸を整えた。

 フクロウの急降下。今度の狙いは正確だった。リツが跳ぶ。覆い被さるように、解を地面に押し倒す。フクロウの鉤爪がわずかに彼女の背中をでた。


「お姉ちゃん!?」

「大丈夫」


 毅然きぜんとリツは言った。

 フクロウは舞い上がる。ヒョロロローという鳴き声が夜に響く。それは勝ち誇っているようだった。

 フクロウは特殊な円筒形えんとうけいの眼を持っている。だから、夜目よめくのだ。眼に頼っているという意味では、錯覚を見せる変換杖・月華の能力は相性が良いはずだった。

 しかし、フクロウの優れている器官は眼だけではない。耳だ。フクロウは耳も優れている。加えて、その平べったい顔は集音アンテナの役目も果たす。人間でいえば表情筋に相当する筋肉を巧みに動かし、音を耳に集める。怪物は優秀な聴力を頼りに、視覚のズレを修正していた。


「銃とか無いのかよ!?」

 

解が叫ぶ。


「有っても効きませんよ!」


 リコが答える。

 フクロウは円を描いて飛ぶ。一周、二周。そして、三周目に差し掛かった時、ついに翼を畳んだ。墜ちる。

 リコは両手で変換杖を握る。その先端に額を押し当てた。解には、彼女が祈っているように見えた。

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