EP.14

 解は茫然ぼうぜんとその様子を眺めて居た。脳内に詩灯の歌が何度も再生される。不意に肩を叩かれた。いつの間にか、解の背後に東雲しののめ姉妹が居た。リコが彼の耳元に口を寄せて囁く。


「大洋くん。行きましょう」

「え、あれ?」


 解は戸惑う。いつの間にか入学式が終わっていた。詩灯の歌の余韻よいんが抜けきらないまま、東雲姉妹に連れられ、解は講堂を後にする。校門の前には、迷彩柄の装甲車が停まっていた。


「やあ。迎えに来てやったぞ」


 その装甲車に寄り掛かるようにして、ゆず葉が立っていた。


「先生、ここまで白衣で来たのか?」

「一応、仕事中だからな。今は自主的に休憩しているけれどね」

「サボりかよ」


 四人が乗り込み、車が走り出す。


「入学式はどうだった?」


 ハンドルを切りながら、ゆず葉が訊く。


「まあ、凄かったよ」

「ああ。なかなか良い式だったようだね」

「観てたのか?」

「モニターでな。入学式はテレビ中継される。それで具体的にはどう凄かった?」

「宮藤のスピーチに驚いた」

「良いスピーチでしたね」


 リコが言った。しかし、解にはそのスピーチは異様に思えた。

 あのスピーチを要約すれば「お前が怠けると、森都は滅ぶぞ」となるだろう。それは、勇壮で綺麗な言葉に彩られただけの、遠回しな脅しに思えた。「壁」の西側を知るゆず葉は、解の思う所を察したらしい。


「あれは森都の在り方を表しているのさ。森都は閉じた世界だ。人間は三十万人しかいない。一人一人が大切で必要になってくる。一人一人の活躍が、文字通りこの街の未来を左右してしまうのさ。。……さて、着いたぞ」


 装甲車が停まる。しかし、いつもの病院では無かった。


「ここは?」

「第二十四番柱だ。今日で退院だよ。言わなかったかな?」

「聞いてないぞ」

「いやー、すまない。うっかりしていたよ。ははは」

「先生……」

「第二十四番柱は要人専用の宿舎になっている。とにかく、解君は今日からここで寝起きするんだ。元々、君が住んでいた家も、そのままで残ってるよ」

「もしかして、二人もここに住むの?」

「はい。と言っても、同じ部屋に住むわけではないのです。大洋くんとは別の階に私たちの家が有るのです。あ、残念でした?」

「別に……」

「照れないでくださいよ」


 あはは、とリコは笑う。


「いつでも遊びに来て大丈夫ですからね。それと、この建物の中では護衛は必要ありません。二十四番柱は要人専用の宿舎なのでセキュリティは万全です。森都でここより安全な場所は、自衛隊の司令部くらいでしょうかね。……大洋くん。それで、言いにくいのですが」

「大洋。お留守番」


 リコが言いよどんでいると、リツが言った。


「留守番?」

「私たち、司令部に呼び出されていて護衛ができないのです。すみませんが、宿舎で待っていて欲しいのです」


 そう言って、姉妹は慌ただしく出かけてしまった。


「さて、私も行くか。あまり休憩ばかりしていると、周りが五月蠅いんでな」


 ゆず葉も渋々、仕事へと戻って行った。

 一人残された解は自分の部屋へと向かう。その部屋は地上四十階建てのビルの、三十五階にあった。森都の空は天井に覆われているため、最上階より少し下の階の方が格付けは高い。解の部屋は非常に良い立地だった。

 解が重厚な木製の扉の前に立つ。「大島」という表札が掲げられていた。


「……お邪魔します」


 自分の家で有るのに解は呟いていた。空気は淀んでいなかった。「大島大洋」が死んでからも、定期的に掃除がされていたらしい。靴箱の上を指で擦ってみても、ホコリ一つ落ちていなかった。しかし、解は奇妙なことに気が付く。物音がしたのだ。微かに乾いた音がする。

 カサカサ。

 パリパリ。

 そんな音だった。

 音は玄関の先、リビングから聞こえてくる。

 誰か居るのか。

 腰に吊った変換杖に手をかける。しかし、それを制御できていない事を思い出す。代わりに、反対側に吊った拳銃を抜いた。〇九式森都制式拳銃。丸腰よりはましだろう、とゆず葉に渡された物だ。訓練はほとんどしていない。撃ち方を知っているだけ。解はそれを銃口が天井を向くようにして構える。しかし、安全装置を外していないことに気が付いて、慌てて解除する。

 解は玄関とリビングを隔てる扉に背中を付けた。

 そして、耳を当てる。

 カサカサ。パリパリ。カサカサ。パリパリ。

 不気味な音。人、ではないのか。そんな考えが解の頭をよぎる。


「森都でここより安全な場所は、自衛隊の司令部くらいでしょうかね」


 ほんの数分前、リコが言っていた。それが、この状況である。

 思わず下唇を噛む。

 音が止んだ。

 気づかれたのか。

 手には、拳銃。

 戦うべきか。

 逃げるべきか。

 しかし、その答えを出す前に扉が開いた。

 解は咄嗟とっさに銃口を向けていた。

 その先に、少女が居た。


「大洋、ボクの事も、忘れちゃったんだね……」


 所在無しょざいなたたずむ彼女は、寂しそうに微笑む。その背後、ガラス張りの壁越しに、森都の摩天楼が見えた。今にも彼女は、その背景に溶け込んでしまいそうだった。


「望月、詩灯……」


 少女の名前が解の口から漏れる。腕から力が抜け、ダラリと垂れさがる。銃口は床を指していた。


星零せいれいの歌姫」こと、望月詩灯。


 彼女の歌を、解は何度だって聴いた。それこそ、CDが擦り切れてしまうほどに。その彼女が今、解の目の前にいた。

 しかし、少女は言う。


「残念だけど、違うよ」

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