EP.13

「何が違う……」


 解が呟いた。もちろん答えは無い。

 宮藤から呼び出されたのは、そんな時だった。


「重要な任務が有る」


 宮藤は言った。巨木の下のテーブル。解が宮藤に初めて会った人工の森だ。夕日が木々の影を長く伸ばしている。


「俺はまだ、変換杖へんかんじょうを使いこなせていない」

 

 解は言った。


「それでも、君にやってもらわなければならない」

「何を?」

「二階堂君。例のモノは用意できているか?」


 ゆず葉がアタッシュケースをテーブルの上に置く。


「開けてみたまえ」


 恐る恐る、解はそれを開けた。灰色のスラックス。深緑色のブレザー。こげ茶のネクタイには、枝葉を広げた樹の意匠いしょう


「これは?」


 解が訊くと、パンッ、という安っぽい音が響いた。クラッカーの音だ。紙テープが解の頭に掛かった。


「入学おめでとう」


 ゆず葉は言った。にやり、と笑う。


「……特別な任務って?」

「四月七日。新学期が始まる。君にはこれから三年間、森都総合高校の学生として過ごしてもらう。これは森都総合高校の制服だよ」

「俺って、高校、行くの?」

「もちろんだ。君はまだ十五歳だ。学ぶべきことは山ほどあるよ」

「わざわざ呼び出すようなことかよ」

「わざわざ呼び出すような事だ」


 宮藤が言った。その声が重く響く。


「君はこれからの三年間、注意しなければいけないことが有るはずだ」

「分かってる。「大島大洋おおしまたいよう」じゃない事は、知られてはならないんだろ?」

「違う」

「え?」

「やはり、分かっていないようだ。君は「大島大洋」以外の何者でもない」


 宮藤は解を見た。射貫くような視線。彼は思わず視線を逸らす。


「君が注意しなければいけないのは妄想を垂れ流さない事だよ。君は紛れもなく「大島大洋」だ。森都の英雄その人だよ」


 解は頷いた。


「分かってる。大丈夫だ」

「自信が有るようだが?」

「自分のことをペラペラ喋るのは好きじゃない」

「人間は不完全な生物だ。自分が思っている以上にね。そんな人間の意志に絶対などはあり得ない。念のため言っておくが、君が妄想を垂れ流せばその瞬間に分かる」


 宮藤が解の肩にそっと手を置き、耳元でささやくように言った。


「さて、私はそろそろ行くよ。大洋君。今話したこと事、努々、忘れてくれるな。それでは、楽しい高校生活を」



 ◆


 昨日の会話を、解は頭の中で反芻はんすうしていた。


「大島大洋。……大島大洋! ……大島大洋、居ないのか?」

「あ、はい! 居ます!」


 いつの間にか自分の名前が呼ばれていた。解が慌てて返事を返す。講堂に押し殺した笑い声が満ちた。ただ、それは冷ややかな嘲笑ではなかった。皆、楽しそうに笑っている。和やかな雰囲気。流れる風に、桜の花びらが混じっていた。しかし、壇上の宮藤だけは解を睨みつける。


「気をつけろ」


 口には出さず、そう言っていた。その鋭い視線。解は思いだす。彼はもう「大島大洋」なのだ。今後、御堂解と呼ばれることは二度と無い。

入学式は淡々と進む。 

 森都総合高校は、この都市唯一の高等学校だった。第二八〇番柱と、第二八一番柱。その隣り合う二つの柱が森都第総合高校だった。

二本の柱は三段の広大な甲板によって空中で繋がっている。横から見れば、三段の梯子のような形をしていた。縦棒はそれぞれ二八〇番柱と二八一番柱を表し、三本の横棒が甲板である。一番下の甲板は運動場。二段目は実習農場。そして一番上が、今、入学式が行われている講堂だった。

 講堂はすり鉢のような形をしていた。中央が一番低く、宮藤はそこで生徒の名前を読み上げている。その周りに椅子がズラリと並び、新入生が座る。全校生徒数は約一万。新入生は三千人ほど。その全ての生徒の名前を知事の宮藤自ら読み上げる。一回の点呼てんこに三秒かかるとして、三千人で合計九千秒。三時間近くを点呼だけに費やすことになる。

 解はあくびをかみ殺した。

 森都総合高校は都市の外縁、東の開口部に近い場所にあった。そこからは延々と続く「森」が見下ろせた。一分の隙間も無く張り巡らされた枝葉が草原のように見える。それが風で波打つ。まさに樹という言葉がふさわしい。七千万の人々が暮らしていた東日本は、今や「森」に沈んだ。そこに、聳え立つ摩天楼の面影など無かった。

 波打つ樹々の海を眺めていると、眠気が催してきた。

遥か先で「森」が途切れている。青く霞むそれは海だろうか。


「渡辺夕莉」

「はい!」


 その時、点呼が終わった。


「以上、三二八八名。君たちの入学を、心から祝福する」


 やっとか。解は心の中で呟いた。


「さて、今更だが、森都は小さい。周りは「森」だ。人が踏み込むことは許されない。ともすれば、この都市も、やがて樹々に呑まれてしまうかもしれない。その未来を決めるのは、君たち一人一人に他ならない。……このようなことを、入学式という祝いの場で言うべきか、私は悩んだ。君たちはまだ若い。しかし、私は敢えて、伝えることを決めた。君たちは子供では有るが、それと同時に森都の一員でもある――」


 いつの間にか、講堂は静まり返っていた。まるで、雪の降る深夜のようだった。この空間に、本当に三千人もの人間がひしめいているのか。解は辺りを見回す。居た。確かに、三千人の生徒が居た。その誰もが食い入るように宮藤のスピーチに聞き入っている。皆、真剣だ。

 スピーチを要約すればこうなる。


「全力で働け。さもなければ森都は崩壊する」


 残酷だが、限りなくシンプルなその主張は、十代の心を掴んで離さなかった。何故なら、若さという熱量を何処へ向けるべきか、そのスピーチは明確に示していたから。


「――東日本には、七千万の人々が暮らしていた。今は見る影もない。だが、この森都が牙城がじょうとなり、再び、東日本に豊かな社会が広がる事を私は信じている。君たちの今後の活躍を、輝かしい未来を、私は願って止まない。以上、森都知事、宮藤藤十郎」


 万雷ばんらいのような拍手が、深々と下げた宮藤の頭に降り注ぐ。新入生たちは興奮した様子で手を叩いていた。


 そして、入学式をさらに印象深い物にしたのは、その後の出来事だった。

司会が式次第を読み上げる。


「校歌


 独唱。斉唱では無いのか、と解が思っていると、確かに独唱らしい、一人の少女が壇上だんじょうに歩み出た。数秒、解は息をすることを忘れていた。

 

 望月詩灯もちづきしいか


 見間違えるはずがない。その少女は「星零の歌姫」こと望月詩灯だった。ざわめきが広がる。しかし、それもほんの一時の事。詩灯が、すぅ、と息を吸い、吐き出す。その最初の一音で、瞬間、講堂は水を打ったように静まり返る。

 彼女が、歌う。

 それは校歌ではなかった。なぜか恋の歌だった。

 想い人に伝えられなかった気持ちが、ずっと胸の中、おりのように沈んでいる。この気持ちを、どうすれば良いのか。こんなにもあなたが好きなのに。その切なさを、澄んだ甘い声で歌い上げる。

 彼女が息を継ぐ度、胸に吸い込まれた透明な大気は、音色を乗せて吐き出される時、微かに桃色に染まっていた。詩灯の唇と同じ色。その色が移ってしまったように。紡ぎ出される音の一つ一つが、集い、渦を巻き、この講堂に満ちる。

 まだ「御堂解」だった頃から、解は望月詩灯を知っていた。彼女の歌を知っていた。詩灯はテレビにも出演していたし、ライブも開催していた。その彼女が何故、「壁」の東側で歌っているのか。解には分からなかった。

 一瞬、解は詩灯と目が合った気がした。

 やがて、最後の音が空気に溶けて消えた。

 歓声が無かった。

 誰もが、幸福な余韻よいんに浸っていたから。 

 詩灯はペコリと頭を下げ、舞台を辞す。そこで皆、夢から覚めた。誰かが我に返り、拍手を始める。すると、周りも気がついて慌てて手を叩く。誰もいない舞台には、ただ惜しみない拍手が注がれるのみ。

 解は茫然ぼうぜんとその様子を眺めて居た。脳内に詩灯の歌が何度も再生される。

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