EP.12

「さて、実技指導に移ろうか」

「じゃあ、ここからは私が」

「私も」


 東雲姉妹が歩み出る。


「別に構わないが……君たちは、どうして水着なんだ?」



「濡れたら嫌ですし」

「終わったら遊ぶ」


 リコはパレオのついた白いビキニ。リツに至っては競泳水着だった。泳ぎますよ、という意志が全身からひしひしと発していた。一方、ゆず葉はぶつぶつと呟く。


「……ふふふ。……あっという間さ。人前で惜しげもなく肌をさらせる時間なんて、あっという間に過ぎる! ……せいぜい限られた時間を楽しむのが良いさ。「人」の「夢」と書いて「若い」と読むのだよ。フハハ!」

「「はかない」だろ……」

「ほら。怖い人の事は気にしないで、訓練しましょう」

「あ、うん」

「どうかしました?」

「いや、別に……」

「どうかしましたよ! だって水着だし!」


 そんな事、解はもちろん口には出せない。

 女の子が傍にいて、その子は水着なのだ。布で覆われている面積より、あらわになっている肌の面積の方が大きい。四捨五入すれば裸だ。下着と変わらない。そんな格好の女の子が、自分のすぐ傍で、普段と変わらない表情で、いつもと同じ声の調子で、話しかけてくるのだ。どうかしない訳がない。


「きゃあ!」


 ふいに、ザブンと水飛沫みずしぶき

 リツが、リコをプールに突き飛ばしていた。


「何するのです!?」


 水を滴らせながら、リコがプールサイドに上がる。


「すごいなあ……肌が水を弾いてるや……あはは……」


 ゆず葉が怖かった。


「その水着、肌出しすぎだから。あざとい」

「え、あざとっ!?」


 リコは顔を赤くしながら、近くにあった自分のパーカーを慌てて羽織った。しかし、競泳水着を着ているリツの方が、身体の輪郭りんかくはくっきりと見えている。果たして布面積が全てなのだろうか、と解が考えていると、リツは言った。


「触って」

「え、何!?」

「変換杖」


 いつの間にか訓練が始まっていた。解の腰には黒いベルトが巻かれている。剣帯と呼ばれるそれは、金属のように固く、しかし、皮のように滑らかな素材でできていた。解は、その剣帯に括り付けられた変換杖に触れる。すると、変換杖を幾重にも縛り付けていた戒めが解かれた。


「まずは、起動」

「起動?」

「強く握って、神経をつなぐイメージ」

「え? 神経を繋ぐって?」


 解が戸惑っていると、リコが解説を付け足す。


「例えば、長い梯子とかを運んでいても、壁にぶつけないで細い廊下を歩けますよね。 そういう時って、梯子まで身体の一部になったような感覚ってありませんか?」

「……言われてみれば、有るかも」

「それと一緒です」


 解は言われた通り、変換杖に意識を集中する。自分の身体が拡張する感覚。


「あ、起動しましたよ」

「え? 何も変わらないけど」

「ここに溝ができてますよね」


 見れば、変換杖の先端にスリットができていた。


「これだけ?」

「「これだけ?」とは失敬しっけいな!」


 ゆず葉が立ち上がり、憤慨ふんがいする。


「そのスリットには様々な種類の刃を差し込めるんだ。刃が違えば発現する現象も異なる。つまり、枝枉はただ一振りで数多の現象を引き起こす。それこそ枝枉が最強たる所以ゆえんだ。ちなみに、その変換杖の設計には私も携わっているぞ」

「あんた、医者じゃないのかよ?」

「学問と名の付くものは大体、修めている」

「本当かよ?」

「本当さ。私はすこぶる優秀だからな」


 何故か、ゆず葉は自嘲気味に笑う。


「それで、このスリットに差し込む刃ってのは?」

「使わせるわけ無かろう。君は現状、ぺーぺーの新米だからな。壊されでもしたらシャレにならない」

「じゃあ、どうやって訓練するんだよ?」


 ゆず葉が両腕を広げる。


「この水さ!」

「この、プールの?」

「ああ。変換杖は、それぞれ干渉できる対象が異なる。リコ君の月華なら光子。リツ君の黒蓮なら分子の運動量、といった具合にね」

「枝枉は?」

「枝枉は結晶構造を操る。……まあ、それだけ聞いてもピンと来ないか。君は液体の水と、固体の水、つまり氷だが、それらの違いは何か分かるか?」

「固さ?」

「その固さの違いがどこから来ているか分かるか?」


 解は首を横に振る。


「分子の並び、つまり、結晶構造だよ。氷は水分子が四面体のように規則正しく並んでいる。だから、氷は固い。一方で液体の水は、全ての分子がデタラメな方向を向いている。だからこそ自在に形を変えるわけだ。分子の並びが異なれば、同じ物質でも違った性質を示すんだよ」


 ゆず葉がプールに向き直る。


「さて、見ての通り、このプールを満たすのは液体の水だ。つまり、分子はデタラメに運動している。そう、デタラメなんだよ。何が言いたいか分かるかい?」

「……デタラメに動き回る水分子に「秩序」を与えて、固体のように並ばせる、ってことか?」

「百点満点。正解だよ」

「どうすれば良い?」


 解が訊くと、リコが答えた。


「変換杖のスリットを、水に浸してください」


 解は言われた通りにする。


「水分子が整列する様を想像してください。例えば、走っている自分を想像するくらいに、肉々しい程のリアリティで、強く、鮮明に、想像してください」


 解は頷くと、息を吸って、吐いた。プール特有の塩素臭が鼻孔をくすぐる。微かに波打つ水面を見た。その揺らぎの正体は、水分子の規則的な上下運動だ。神の目を以てすれば、V字型の水分子が見えるのかもしれない。それらが無秩序に揺らぎ、回転し、互いにぶつかり合っている。その無秩序な全ての分子が、偶然にも規則的正しく並ぶ。そんな奇跡の一瞬を、この変換杖・枝枉は造り出す。

 澄んだ音がした。

 プールに、巨大な氷柱が突き立っていた。


「おいおい。嘘だろう……」


 ゆず葉が唖然とする。その青白い氷の柱は天井まで達していた。


「大洋くん。これって……」

「やばい……」


 姉妹は茫然としながら、そそり立つ氷柱を眺めていた。


「えっと、何か間違った?」

「凄いのです!」


 リコが叫んだ。


「大洋君! 初めて起動して、これだけ扱えれば上出来だ。いや、出来すぎだよ!」


 ゆず葉は言う。


「私は、まともに使えるようになるまで、もっとかかりました」

「大洋、凄い……」


 東雲姉妹は氷柱を眺めながら無邪気にはしゃいでいる。解は手の中の黒い直方体を見た。目の前に聳え立つ氷の柱を造り出したのは、他ならぬ自分だ。


「もう一回、良いか?」

「もちろん」


 ゆず葉が答えた。解は頭の中に、水分子が整列する様を思い浮かべる。プールに二本目の氷柱が立った。


「はは……」


 口から洩れた乾いた音が耳に入って初めて、解は自分が笑っていることに気付く。途方もない力が自分の手の中に在る。戯れに三本目の氷柱を突き立てた。

 解は自然と笑っていた。自分にこれだけの力が有った。たった一振りで引き起こる、その超常の事象は、一体、何を壊し得るのか。人間などは一溜まりも無い。きっと、あのフクロウのバケモノだって屠れるだろう。そんな力が解の中に有った。

 それが愉快で、解は笑ってしまう。


「ふむ。待てよ」


 その時、ゆず葉が言った。唇に指を当てながら思案する。

「……大洋君。試しに、小さな氷を創ってみてくれないか? それこそ、コップに入るような小さな氷を」

「小さい氷? ……良いけど」


 解は言われた通り、小さな氷を想像する。しかし、聳え立ったのは氷柱だった。その大きさは、今までに創り出した三本の氷柱と変わらない。


「制御できてないな。これは」

 ゆず葉が言った。解はもう一度、小さな氷塊を創ろうと試みる。やはり、氷柱が聳える。幾度か同じことを繰り返すが、結果は同じだった。


「これ以上は止めた方が良い。身体に障る」


 やがて、ゆず葉のドクターストップが入った。


「何度も言うが、初回でこれだけ扱えれば大したものさ。焦る必要は無い」


 ゆず葉は言う。リコも、リツも、同じようなことを言っていた。そんなものか。ならば、そのうち使えるようになるのだろう。解は思う。しかし、そんな解の楽観は、すぐに裏切られることになる。

 やがて、一切の進歩も無いままに一週間が過ぎていた。

 プールに乱立する氷柱は相も変わらず、形も大きさもバラバラだった。

解は「大島大洋」と同じ遺伝子を持っている。実際、変換杖も起動した。それなのに、何故、制御が利かないのだろうか。


「何が違う……」


 解が呟いた。もちろん答えは無い。

 宮藤から呼び出されたのは、そんな時だった。

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