EP.24
「大洋くん! もう良いのです!」
解の手から変換杖が零れ落ちる。彼はリコに身体を預けるようにして、気を失った。
「もう、大丈夫、だから……」
解を支えながら、リコは言った。
◆
「死にはしないだろう。死ぬほど重傷だが」
ゆず葉の言葉に、リコは
リコ自身は結局、ただの脳震盪だった。CT像を見ながら、
「問題無さそうだ」
と、ゆず葉が下す診断が酷く恨めしかった。肝心のところで大洋くんを守れなかった、という自責の念。自分が呑気に気を失っている間、大洋くんはどんな思いをしていたのか。悔しさばかりが募る。
一方、リツは内臓に損傷を負ったものの、命に別状は無いらしい。実際、あの後、意識を取り戻した彼女は、森都まで自力で歩いた。幸いなことに、あれ以降、異常進化生物と出くわす事も無かった。
VIP病室のベッド。意識が戻らない解は、管に繋がれて眠っていた。
頭に包帯を巻いたリコが、その傍らの椅子に座って解の寝顔を見守っていた。
「リンゴ食べたい」
ふと、リツが言った。
「……ダメですよ」
リコが呆れながら答える。
解の隣のベッドに、リツは寝ていた。
「大洋と同じ部屋じゃないと嫌だ」
彼女が頑なに主張したため、二人には同じ病室が宛がわれた。内臓が傷ついたとは思えない食欲で、リツはリンゴを要求する。
時刻は夜の九時。普段であれば、夕食を終えてくつろいでいる頃か。病室には重い空気が立ち込めていた。暗めに設定した照明のせいだけではない。
「「
ふと、リコが呟く。
「オウ?」
「大洋くんの、変換杖の」
「知らない」
リコも分からなかった。それで、辞書を引いて、
「いわれなき罪」
「何、それ?」
リコは目を伏せる。彼女も、何故そんな名前を付けたのか疑問だった。変換杖は全て、「森」の最初の一本である、「木」の枝から造られている。十六振り存在する変換杖の中でも、最強の一振りが
「大洋くんは記憶を失くしましたよね?」
「うん」
「でも、全てではない」
実際、記憶喪失に陥った人間が、全ての記憶を失くすとは限らない。一部の記憶だけが消えるという事は起こる。その結果、靴紐の結び方は覚えていても、恋人の名前が思い出せない、といった事態が起こり得る。
「大洋くんは、例えば、カレーとか、トランプとか、テレビは覚えていました。彼が忘れたのは、「森」、森都、異常進化生物、変換杖、そして、私たちのこと。……森都の英雄という、大洋くんの役目に関わることばかりなのです」
解の寝顔。額が汗で湿っている。リコはハンカチで、そっと拭った。
「……辛かったのでしょうか」
「辛い?」
「英雄で在ることが。……いつもは明るく振る舞いながら、本当は辛かったのかもしれません。……いえ。辛くないはずが無い。だから、大洋くんは変換杖に関する記憶ばかりを失くしたのです」
それでも彼は、英雄で在る事を止める訳にはいかなかった。たとえ記憶を消し去ろうとも、「大島大洋」を成す三十億の塩基対の配列が変換杖を発動させる。そして、再び彼を戦場へと
彼が、彼であること。
それは
枕元に置かれた変換杖は何も答えない。
「せめて、私がもっと強ければ……」
その時、リツがガバリと起き上がった。リコの左右のほっぺたを、指でつねる。
「
リツは妹の頬を
「リコはブスだなあ」
姉の指を払う。
「私がブスなら、お姉ちゃんだってブスじゃないですか。双子なんだから同じ顔でしょうに」
「でも、私はそんな
リツは言った。
「隣でそんな顔されても、嫌なことが増えるだけだよ」
それだけ言い切ると、リツはまたベッドに寝転んでしまった。
「お姉ちゃんは、強いですね……」
「別に……。たぶん、リコもできる」
天井を見ながらリツが呟く。
「……はい」
リコは、目の端に溜まった涙を拭った。
「うん。それじゃあリンゴ剝いて」
「それとこれとは話が別なのです」
ちなみに、この後、数日間、リツの食事は流動食になる。固形物に飢えた彼女は狂ったようにつまみ食いを試み、リコを悩ませる。それでも今は、疲れと森都に帰り着いた安堵から、間もなく、穏やかな寝息を立て始めた。
◆
解が目を覚ましたのは、夜明け前のことだった。上半身を起こそうとすると、身体中が痛む。
「……ここは、……帰って来たのか」
白い壁と天井。解は安堵する。彼はベッドに寝かされ、身体には包帯が巻かれていた。横を向けばリコが居た。彼女は上半身をベッドに乗せ、
リコの背中がゆっくりと上下していた。隣のベッドにはリツも居た。点滴の管が腕に繋がっているものの、呼吸は穏やかだ。
二人とも生きていた。
解が助けたのだ。
「そうか……」
解は自分の手の平を見た。変換杖の重みがまだ残っている。自分は枝枉を制御した。そして、異常進化生物を斬り伏せた。こうして、姉妹が生きていることが、それを証明していた。
「リコ」
呼んだけれど目覚めない。スー、スー、と穏やかな寝息を立てている。少し悩んで、彼女の背中に解はそっと触れた。リコがハッと目を覚ます。
「大洋くん!? 身体は?」
「大丈夫だよ」
「良かった……」
「風邪ひくから。客間のベッド、使いなよ」
リコが頷く。去り際、彼女は言った。
「大洋くん。雰囲気、変わりました?」
「え?」
「私の名前、久しぶりに呼んでくれましたね」
指摘されて初めて、解はその事に気付いた。リコの言う通りだ。解は無意識のうちに、彼女たちの名前を呼ぶことを避けていた。それだけではない。彼女たちに「大洋」と呼ばれる度に身構えてしまう自分が居た。しかし、今は自然と、リコの名前を呼ぶことができた。
何故だろうか。解がぼんやりと考えているうちに、いつの間にか、再び深い眠りに落ちていた。疲れのせいもあっただろう。森都に来て以来、解は一番深い眠りに落ちた。
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