EP.25

 何故だろうか。解がぼんやりと考えているうちに、いつの間にか、再び深い眠りに落ちていた。疲れのせいもあっただろう。森都に来て以来、解は一番深い眠りに。


 それから、どれほど経っただろうか。

覚醒と、眠りの間。解はその心地よさの中に、ふわふわと漂っていた。頭が温かい。何か柔らかなものに包まれているような感覚だった。ふと、歌が聞こえた。どこか懐かしいけれど、何処で聞いたのかは思い出せない。それは子守歌だった。


「やあ。目が覚めたか」


 ゆず葉が、解を真上から見下ろしていた。彼女はベッドの上で正坐し、その膝の上に解の頭を乗せていた。いわゆる、膝枕ひざまくらと呼ばれる行為だ。解は起き上がろうとするが、ゆず葉はそれを簡単に押さえ込む。


「君は怪我人だからね。安静にしていないと」

「何がしたいんだよ?」

「膝枕」


 ゆず葉は「当然だろう」とでも言いたそうな顔をする。


「君が生きていて、本当に良かった」


 解は目を逸らして言った。


「……ありがとう」


 その言葉を聞いて、ゆず葉がほほ笑む。

 その時だった。病室のドアがノックされる。しかし、解が起き上がろうとするのを、ゆず葉は簡単に押さえつける。


「おっと。ダメだよ」


 その顔には、意地悪そうな笑みが張り付いていた。


「入りたまえ」


 答えたのはゆず葉だった。


「待って」


 という解の制止も空しく、扉が開く。


「大洋。何それ?」


 現れたのはこの光景を一番見られたくない人物。雪村温だった。彼女は入り口で棒立ちのまま、解を見下ろしていた。それは歌姫が見せて良い類の表情ではなかった。


「大洋。どういうこと? 説明してくれるんだよね?」

「仕方あるまい。英雄の頼みだ。膝枕ぐらい断れんだろう」

「大洋の変態!」


 温は病室を飛び出してしまった。バンッ、と勢いよく扉が閉まる。


「膝枕くらいで初心うぶだね」


 ゆず葉は解の顔をのぞき込みながら、ニヤニヤと笑っていた。


「先生。勘弁かんべんしてくれよ……」


 その時、また別の来客がずかずかと病室に上がり込んできた。犬養いぬかいだ。


「よー、大洋。今、雪村とすれ違ったけど、どうしたのよ?」


 そして、目を丸くする。震える声で訊いた。


「し、失礼ですが、貴方は?」

「大洋君の主治医だ」

「で、では、その膝枕は?」

「大洋君の頼みだ」

「殺す」


 犬養が言った。ベッドのそばに置いてあった花瓶を手に取る。


「美人な女医さんに膝枕だと!? 俺は入院してもそんなサービス受けた事ねえよ! 英雄がそんなに偉いのか!? お前を殺して、俺も死ぬ! 死んでやるよお!」

「まて! 誤解だ!」

「誤解? すでにされてんだろうが! 膝枕! 誤解も何も無えんだよなあ!」


 苦し紛れに解は叫んだ。


「こいつは三十路みそじだ!」


 グイッ。


「痛い! 痛い! 痛い!」

「ああ。ここね、肩こりに効くツボなんだ。ここは腰痛に良い。こっちは胃だ。大丈夫。神経が集まっているから痛く感じるだけで、むしろ身体に良いから」


 そう言ってゆず葉は、解の首のあたりを親指で押す。解の顔が、みるみる紫色に変わる。


「はっはっはっ。早く元気になってくれよ!」


 犬養の顔が引きつっていた。彼は手にした花瓶を、そっと元の場所に戻す。



 ◆


 その後、クラスメイト達が続々とやって来た。見舞いに来たと言って、菓子や、雑誌や、日用品を置いていく。誰もが、解が無事で良かったと声を掛ける。


「ありがとう」


 解はその度にそう答えた。

 いつの間にか、病室は集会所のようになっていた。クラスメイトは思い思いの場所でボードゲームに興じたり、とりとめもない会話にふけったり、ノートを開いて課題に取りくんだりしている。読書や編み物を始めた者までいた。解はその様子をベッドから眺めていた。

 温もひょっこりと戻って来た。トランプで遊んでいた。解と目が合うと、ぷいっ、と顔を逸らした。

 その時、覚えた違和感。そうなのだ。解は、温の怒った表情を見るのはこれが初めてだった。テレビの中で望月詩灯はいつも笑っていたから。解はその顔しか知らなかった。しかし、雪村温の表情はころころと変わる。そのどれもが不思議と人を惹きつける。森都に来てから、解はそのことに気づいた。

 ふと、ゆず葉が言う。


「ふむ。私はそろそろ行くか。自主休憩も潮時だろう。東雲姉しののめあね

「何?」


 固形物が食べられないだけで元気のあるリツは、時折、ベッドから起き出して、ふらふらと歩きまわっていた。今もクラスメイトとファッション雑誌を囲みながら、あーでもない、こーでもない、と意見を交わしている。


「お前さんも無理はするな。あと、つまみ食いは絶対にするなよ。絶対にだ」

「ふり?」

「違う!」


 さらに、ゆず葉はリコを呼び寄せて言った。


「ガキどもがおいたをしないように、しっかり見ていろよ」

「はい。もちろん」


 リコはニコニコと笑いながら答えた。ゆず葉は不審そうに眉をひそめる。


「何かあったのか?」

「いつも通りですよ?」


 リコはそう言って笑う。リツが、妹にだけ聞こえるように言った。


「笑いすぎ。不自然」



 ◆


 いつの間にか、皆で夕ご飯を作るという話になっていた。メニューはカレーらしい。大量に作るとなれば、やはりカレーだろう。自然と効率の良い分業体制が出来ていた。ジャガイモの皮を剥く係、ニンジンを切る係、玉ねぎを切る係、料理に参加できないため暇を持て余した解とお喋りする係(リツが担当)。その中心でリコが取り仕切る。


「あ、温。ニンジンの皮は剥かないで良いのです」

「そうなの?」

「そもそも、それ、皮ではないのです。ニンジンの皮は、出荷前の洗浄で既にむけているのです。皮に見える白いカピカピは、実は表面が乾いたものなのです」

「リコ、詳しいなあ。将来、良いお嫁さんになるよ!」

「止めてくださいよ」


 そうは言いながらも、リコはまんざらでもなさそうだった。


「なんならボクの所に来る?」

「な、何言ってるのですか!?」

「はあ。リコは可愛いなあ」

「おい、待て。東雲と結婚するのは俺だ。何なら、お前と結婚するのも俺だ」


 犬養だ。すぐさま女子に簀巻すまきにされ、隣の和室に放り込まれていた。流石は防衛科。その連携は水際立った動きだった。ここが病院で良かった、と解は思う。

 出来上がったカレーは美味しかった。少なくとも、自分が食べられないことに腹を立てたリツが、タバスコによる無差別爆撃を開始するまでは。

 夕食が終わると、一人、また一人と家に帰り始めた。また明日ね、という言葉を残して。また明日も、見舞いに来てくれるらしい。


「みんな、仲が良いのな」


 今更ながら、解はそんな感想を呟く。


「それはもう、クラスメイトですから」


 リコが言った。

 答えになってないな、と解は思う。

 壁の西に居た時、クラスメイトというだけで、誰もが親しくはなかった。人が数十人も集まれば色々な奴がいる。

 明るい奴。暗い奴。真面目なやつ。ちゃらんぽらんな奴。数字が好きな奴。文章が好きな奴。身体を動かすのが好きな奴。考えるのが好き奴。

 そうなると、大概は似たような連中で固まる。そして、時に誰かを排斥はいせきする。しかし、森都の教室ではそれが無い。皆が対等で信頼し合っている。やはり、ここが「森」の中だからだろうか、と解は思う。誰もが共に森都を支える仲間なのだ。そのことが互いに敬意を抱かせる。

 人口三十万の森都と、八十億の人間が居た外の世界。

 三十万分の一人と、八十億分の一人。

 一人の重みは、ざっと二万五千倍も違う。

 その時、病室に看護師が現れた。リツの入浴の時間だという。彼女はそのまま看護師に連れられ、病室から出て行った。


「あ、そうでした!」


 ふと、リコが言った。


「お姉ちゃんの寝間着とか、取りに帰らないと」

「全部、病院に有るけど」


という解の意見は黙殺された。


「それじゃあ、私、行きますね。一時間くらいで戻ります」


 リコはそう言って、そそくさと病室を後にした。

 そして、病室に二人だけが取り残される。

 解と、温だった。

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