EP.26
「それじゃあ、私、行きますね。一時間くらいで戻ります」
リコはそう言って、そそくさと病室を後にした。
そして、病室に二人だけが取り残される。
解と、
沈黙が流れる。
温は無言で雑誌の頁を捲っている。ただ、さっきから同じページを行ったり来たりしていた。解はそれに気づいていながらも、なかなか声を掛けられないでいた。しかし、意を決した。
「温」
その声は上ずっていたのかもしれない。
彼女が雑誌を置いて、じっと解を見た。
「少し、話さない?」
「うん」
温は頷いて、ベッド脇の椅子に座った。しかし、身体は横を向いていて、俯きがちだった。会話も無い。
「……あの、さっきの、膝枕だけど」
「そんな事もう気にしてないし!」
「あ、ごめん……」
「二階堂先生、大洋の事、気に入ってるみたいだし。……スキンシップは、少し過激な気もするけどね」
再び会話が途切れた。気まずい沈黙が流れる。解は真っ直ぐに温を見られないでいた。窓からは夜景が見える。森都は屋根に覆われているから、星は見えない。林立する摩天楼の灯りが、星の代わりだった。
「「あの」」
二人の声が重なった。
「ごめん。何?」
「平気。大洋から、言ってよ」
解は少し躊躇ってから、口を開く。
「温に、言いたいことが有った」
「ボクに?」
「……この前は、ごめん。初めて会った時、突き飛ばして」
「バカだな……。ごめん。バカはボクなんだけど。ボクも、謝りたいことが有ったんだ」
「何を?」
「あの時、大洋に、告白したこと」
「謝るような事じゃない」
「違うよ」
温が解に向き直る。ベッドに横たえられた彼の身体には、幾本かのチューブが繋がれている。
「大洋は記憶を失くして、それでも、森都を守らないといけないのに。……ボクは、君に好きって言いたいって、それしか考えてなかった。自分の事だけしか、考えられなかったんだ。ボクはダメな奴だ」
「そんな事はない」
解はとっさに否定していた。
「温は皆のために歌っている。温の歌で元気になった人が沢山いるはずだ。……俺も、その一人だから」
「ボクはそんなに立派な人間じゃないよ。たまたま声が綺麗だっただけで」
「……それなら、俺も。……たまたま遺伝子の並びが、変換杖に合っていただけだ。皆、俺を英雄だって言うけど」
「ボク達、似てるね」
温は口元を隠しながらう。ふと、彼女が言った。
「
それは詩灯の通り名だった。彼女が初めて舞台で歌った夜、全く予想されていなかった流星群が現れたことに由来する。その奇跡は、解もこの目で見た。
「あれね、嘘なんだ」
「嘘?」
曰く、あの流れ星は造り物なのだという。人工衛星から金属製のペレットを大気圏に落とす。すると、大気との摩擦でペレットが燃焼する。その炎によって、流れ星のように見えるのだ。
「どうして、そんな嘘を?」
「現実を忘れたいんだよ」
温は言った。
「日本はね、世界で二番目の経済大国だった時代もあったんだ。信じられないよね?」
それは、解が生まれる十数年前の話だ。しかし、そんな日本経済も、東日本が「森」で覆われたことで大打撃を受けた。森都もその一因だ。この都市を支えるためには莫大な金が要る。つまり、公共事業や福祉に使われるべき税金の一部が、この街に流れているという事だ。もちろん、それを知るのは一握りの人間のみだが。
閉塞感に包まれた社会で、人々を慰める為、政府が造り出した宣伝塔。
それが「星零の歌姫」だった。
「ボクは丁度良かったんだ。声が綺麗で、見た目も良かったから。あとは、ほんの少しの奇跡が有れば良い」
温は言った。
「みんな、ボクの歌を褒めてくれる」
舞台に上がると、大勢の観客が温を見つめている。
痛いほどにぶつけられる、無邪気な熱狂。
「素晴らしい歌だ。生きる勇気が湧いた」
何の考えもなく吐き出される
「怖いよ、大洋。ボクが歌うと、誰かの心が動くんだ」
解は、ゆっくりと上半身を起こした。
「……大洋?」
あの時、温を突き飛ばした右手。
駆け去る温に、伸ばせなかった右手。
今は、彼女の背中に、そっと回すことができた。
「……大丈夫だよ。その役目を果たすことが、きっと、俺たちの生きる意味だから」
「あー、さっぱりした」
その時、パジャマ姿のリツが病室に帰って来た。二人が慌てて離れた。
「ん? どうかした?」
「いや、別に」
「本当?」
リツは疑わしそうに、二人の顔を交互に見た。
「あ!」
そして、重大な事に気が付いてしまった。
「私のベッドが無い!」
東雲姉妹が病室を去った直後、看護師が
「大洋、怪我してるしなあ……」
リツは、解の横のスペースを眺めながら不服そうに呟く。怪我をしていなかったら、どうするつもりだったのか。リツは渋々、新しく用意された病室へと向かった。
再び、温と解だけが残された。気まずい沈黙が二人を隔てる。
「温」
と解が声をかけようとした時だ。
「あ、ボクもそろそろ行くね」
温が立ち上がって言った。
「沢山寝ないと、良くならないよ」
温が笑った。まるで、何も無かったかのように。その笑顔は、解が最も良く知る笑顔だった。その笑顔を、解は何度だって見たから。いつも、画面の中で。
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