EP.27

「あ、ボクもそろそろ行くね」


はるが立ち上がって言った。


「沢山寝ないと、良くならないよ」


 温が笑った。まるで、何も無かったかのように。その笑顔は、解が最も良く知る笑顔だった。その笑顔を、解は何度だって見たから。いつも、画面の中で。



 ◆


 翌日も、そのまた翌日も、クラスメイトは病室にやって来た。

 解としても程よい騒がしさが心地良かった。

彼はベッドに座りながら、タブレット型の携帯端末を眺めていた。画面の中では小さくなった数学の教師が幾何学について説明している。


「そこ、分かりにくいですか?」


 隣に座るリコが言った。


「少し」

「任せてください」


 リコが髪をかきあげながら、タブレットを覗き込むと、簡単に解説してくれる。


「ほー、なるほどね」


 あいづちを打ったのは温だった。歌姫は多忙で、学校に来られない日も多い。そんな温も、解と一緒に教えられる側に回った。


「音楽だったら、ボクも教えてあげられるんだけどなあ。歌だけど」

「それはちょっと興味有るな」


 そうつぶやく解を、クラスメイト達は残念そうな表情で見た。解が戸惑っていると、リコがその訳を説明してくれる。


「さっぱり、分からなかったのです……。あまりに難しくて……」

「ボク頑張ったんだよ!? 頑張って教えたのに、みんな、少しも分からないって言うんだ! 酷いよね?」


 結局、温は天才の領分にいるらしい。そんな彼女の様子を見て、クラスメイト達は笑った。こんな日がしばらく続いた。



 ◆


 解が退院する頃、季節は初夏となっていた。


「勉強って、意外に楽しいんだな」


 近頃、解はこんな事すら呟くようになっていた。分からない事が有っても、クラスの仲間が助けてくれる。彼らも分からない時は一緒に悩んでくれる。できない事をわらう者は居なかった。

 退院してから初めての実技の授業。内容は一一式突撃銃の射撃。それは森都で採用されている制式のサブマシンガンだった。長方形の板のような銃身の前部に引き金が付いている。この独特な形状のおかげで、市街地でも取り回し易い。その一一式突撃銃が、一人に一丁ずつ宛がわれる。そして、生徒は分解、掃除、組み立てに取り掛かる。

 解は苦戦した。

それでも一人だけ取り残されることは無かった。

 入院中、時間は腐るほど有った。そして、仲間もいた。解はベッドに座りながら、時折、銃火器の分解と組み立ての練習をしていたのだ。

 その後、実射訓練。解の番が来た。一一式を携えてブースに入る。

 突撃銃は、引き金を引いている間、弾丸を吐き出し続ける。銃に振り回されずに、その濁流のような鉛弾を、どれだけ的に集中できるかが勝負だった。

 ストックを肩の付け根に当てる。脇を閉め、右手で銃把を握り、左手でハンドガードを支える。首は曲げず、目線の高さまで銃を持ちあげる。

 引き金を引いた。

 瞬間、銃が震えだす。まるで解の腕の中から逃げ出そうとするようだった。ただ、解はその銃声を、まるで雨の音のように聞いた。吐き出される破壊を前にしても、心は揺らがない。こんなもの、枝枉に比べれば、何て大人しい武器だろう。

 弾倉が空になった。

 弾丸はほとんど全てが的に集中していた。

 その日の解の成績は、リツ、リコに次ぐ、クラス内でも三番目だった。


「大洋。だいぶ元に戻った?」


 リツが言った。


「ああ。そうみたいだ」


 解は堂々と答えた。


「夏休み」


 そんな言葉が、ちらほら飛び交うようになった。


「やっぱ、夏服最高だな。あの二の腕がなんとも……」


 犬養がそんな事を言っていた。解と向き合って会話をしているようで、目線は全く合っていない。解の肩越しに、クラスの女子を見ている。視線に気づいた彼女たちが犬養を睨む。彼はウインクを返していた。その図太さに解は舌を巻く。


「しっかし、勿体ないよな」


 犬養が呟く。


「何が?」

「屋根だよ」


 森都の夏は暑い。屋根に覆われた半地下の都市は熱気が籠りやすいのだ。街の各所に大型ファンを設置して気流を生み出してはいるが、それも焼け石に水だ。


「ああ。確かに暑いよな」

「だから、お前は雑魚なんだよ」


 犬養は蔑むように解を見た。それどころか、男子生徒も解に憐れみの表情を見せる。


「ど、どうしたんだよ?」

「にわか雨が降らねえだろうが!」

「良い事だろ」

「良い事と来ましたか! このお坊ちゃんは!」

「お坊ちゃん?」


 犬養が立ち上がる。


「突然の夕立! 駆け込んだ軒先! 偶然出くわす気になるあの子!」

「「「「おおおっ!」」」


 周囲の男子が歓声を上げる。気を良くした犬養がさらにまくしたてる。


「雨で透けた制服! 気まずくて立ち去ろうとする俺! 彼女に引き留められる! 「濡れるから」とか何とか言っちゃって! 背中越しに彼女を感じながら、眺める雨の街は俺たち以外に誰も居ねえ! ずっと雨が降り続いて欲しいような! だけどやっぱり、早く上がってほしいような! そんな青春の一ページをこの屋根は俺たちから奪ったんだ!」


 男子の拍手が巻き起こる。しかし、屋根が無かったところで、結局それは奇跡だという事を、「壁」の西から来た解は知っていた。口には出さなかったけれど。

 犬養が舌打ちする。そして、唐突に、教室中に聞こえるように言った。


「やってらんねーよ。おい、お前ら。こうなったら夏祭りに行くぞ。女子は浴衣ゆかた着て来いよな」

「きもいね」

「うん。きもい」


 女子たちが、犬養を蔑むような目で見ていた。


「お祭りがあるの?」


 解が訊くと、近くのクラスメイトが答えてくれる。


「あ、うん。丁度、終業式の夜に」


 夏祭りには良い思い出が無いけど、と解は思う。思いながら、教室を眺める。


「行ってみたい、かも」


 解は言った。


「行こうか」

「うん。行こう」


 女子たちがささやき合う。


「お前ら、おっかしーだろがっ! なあ!?」


 犬養が叫んだ。

 にわかに活気づく教室の様子を、リコとリツは遠巻きに眺めていた。


「みんなで夏祭りに行けるように、一仕事、こなさないといけませんね」

「うん。がんばる」


 姉妹はそんな会話を交わす。

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