EP.28


「君たちに任務を言い渡す。大島君にとっては、最初の任務だ」


 宮藤は解たちを司令室に呼び出すと、こう言った。


「……任務?」


 解が緊張した表情で訊いた。


「大丈夫ですよ。私も一緒です」

「私も」


 東雲姉妹がすぐさま言った。わずかに、解は希望を抱く。しかし、そんな希望は、宮藤の一言ですぐに吹き飛んだ。


「森都が水没する」


 宮藤が見せた一枚の衛星写真。それは、東京西部を映したものだった。当然、一面の「森」が広がる。ただ、二か所だけ、シミのように青い点が有った。


「ダム、ですね」


 リコはすぐにその正体に気が付いた。

 二つのダムは、どちらも多摩川に造られていた。上流側のダムは小河内貯水池。通称、奥多摩湖。総貯水量一億九千万立方メートル。旧東京における使用量の、約四十日分に相当する水を貯える事ができた。

 そして、その下流が沢井貯水池。通称青梅湖。経済成長によるエネルギー需要が高まる中、起こったオイルショック。それが引き金となって竣工されたのが青梅湖だ。しかし、数百億の金を費やしたものの、二〇〇〇年に東日本は「森」に沈んだため、仕事をしたのは数年だけ。戦後最大の無駄遣い、と悪名高いダムだった。


「こいつがまた、悩みの種になっている」


 心底うんざりした様子で宮藤は言う。

 奥多摩湖は完成から七十年が経過していた。加えて、「森」ができてからは完全に放置されている。近い将来、奥多摩湖は決壊する危険性があった。そして、その事態は約一か月後、つまり、来るべき台風シーズンに発生する可能性が極めて高い。  

奥多摩湖が崩壊すると、どうなるのか。

 溢れ出した膨大な量の水は、津波の如く下流の青梅湖に流れ込む。青梅湖はまだ若いダムだが、濁流の膨大な運動量に耐え切れず崩壊する。奥多摩湖の総貯水量は約一億九千万立法メートル。そして、青梅湖の貯水量は奥多摩湖の二倍以上。合計、六億立方メートルを超える水が、一気に多摩川を流れ落ちる計算だ。

 青梅湖から森都までは、おおよそ五十キロメートル。もちろん、その水が直接、森都に流れ込むわけではない。溢れた水は地面に吸い込まれる。その後、帯水層たいすいそうに沿って、東京中の地下に広がる。

ここで重要なのが


「森都は半地下の都市」


 という事だ。言ってみれば、巨大な井戸のようなモノだった。帯水層に広がった水は、やがて森都の壁面から染み出す。

 水の湧き出しは普段も起きているが、二十四時間、ポンプを稼働させること排出している。しかし、ダムの崩壊は流石に想定外だった。


「君達には、青梅湖のダム壁に穴を開けて水を抜いて貰う」

 

 宮藤は言った。



 

 夜明け前。解と東雲姉妹は、ボートの上に居た。ボートと言っても、強化繊維プラスチック製の、自衛隊御用達のそれだ。

 水面に白い霧が立ち込める。舟はその中を滑るように上流へと進む。濃霧が音を吸い込んでしまったようだ。電動エンジンの音だけが規則正しく響く。


「この服、あまりに好きにはなれませんね」

「私も。大洋。あんまり見ないで」


 姉妹の華奢な身体を包むのは、アラミドの強化繊維でできた野暮ったい野戦服だ。その上から防弾ベストを着込む。姉妹の太股に巻き付けられたベルトには、〇六式拳銃が括り付けてあった。もちろん、リコの腰には変換杖が在る。


「大洋。緊張してる?」


 リツが訊いた。


「少し」


 どころではない。

 自分に務まるのかと何度も自問した。しかし、問うたところで答えは出ない。答えは出なくても、やらなくてはいけない。自分は「大島大洋」なのだ。森都の英雄。

三十万の市民と共に、森都はまだまどろみの中に居るのだろう。その中にはきっと、クラスメイト達や、温が居る。解は背負ったものの大きさを自覚していた。腰に吊られた変換杖・枝枉しおう。その重みを感じる。


「俺は大島大洋」


 自分にだけ聞こえるように、解は言った。

 その時、一陣の風が吹いた。

 白い霧を一瞬で吹き散らす。そのベールを剥されて、解たちの乗るボートが大河に浮かぶ孤舟であったことが暴かれる。東の空の果て、太陽が顔を出したところだった。朝日を反射して水面がきらきらと光る。滔々と流れる大河の名は多摩川。かつて、大都市東京と神奈川の間を流れていた河は、都市が「森」に変わった今も穏やかに流れ続ける。


「こんなに、広いのか……」


 解が呟いた。


『昔は、もっと狭かった』


 不意に、耳元にゆず葉の声。カメラ内臓のインカム越しに、彼女が解に話しかけたのだ。


「何で?」

『飲み水、工業用水、農業用水。何かと理由をつけて、水を汲み上げる連中が居たからな』

「そんなに変わるのか?」

『それと植生のせいだな。昔、多摩川の上流はスギやらヒノキばかりを植えていた。建材としてだ。だけど、コイツらは保水力が弱い。今よりも川に流れ込む湧き水の量は少なかったはずだよ』

「こっちの方が壮大で、俺は好きだよ」


 コンクリートに両脇を固められて、身動きの取れなくなった河ではない。思うままにくねりながら流れる河が、解は好ましく思えた。


見惚みとれるのは結構だが、油断はするな』

「イルカ!」


 その時、リツが叫んだ。水面を何かが跳ねたのだ。確かに、その突き出した口はイルカのようだった。しかし、全体のシルエットは、もっとずんぐりむっくりとしていた。例えるなら、カバとサカナを足して二で割ったような。


げんクジラの類か?』


 ゆず葉がカメラの映像から推察する。


「原クジラ?」

『クジラの祖先は陸上で暮らしていたのは知っているだろう? 原クジラは海に進出したばかりのクジラだ』

「それが、なんで多摩川に?」

『さあな。カワウソか何かが進化したんだろ?』


 そうなのだ。どれほど景色が雄大で美しくとも、ここは遺伝子を壊す「森」の中。狂った進化の庭だ。解は腰の変換杖に手を掛けた。いつでも抜けるように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る