EP.29

そうなのだ。どれほど景色が雄大で美しくとも、ここは遺伝子を壊す「森」の中。狂った進化の庭だ。解は腰の変換杖に手を掛けた。いつでも抜けるように。


 一行は上流へと進む。時折、河岸に廃墟を見た。ボートが崩れた橋の下を通り抜ける。


「冒険みたい」


 リツが言った。彼女は舳先へさきの方に座り、目を輝かせている。


「冒険だろ。実際」

「そうだった!」

「お姉ちゃん。遊んでるのなら、操縦、代わってくださいよ」

「えー。私、隊長なんだけど」

「何です、それは……」


 船旅は順調だった。異常進化生物と出くわすこともなく、他愛もない会話を交わす余裕さえあった。

予定通り、昼には河口から約五十キロメートルに位置する、羽村取水堰はむらしゅすいぜきに辿り着いた。承応しょうおう三年、つまり西暦一六五四年以来、街の名前が江戸から東京へ変わっても、そのせきは多摩川より水を引き続けてきた。しかし、今や森の中、孤城のように佇むのみ。

 この先、水深は浅く、流れは速くなる。探検という趣が増した。そのせいか、


「私が操縦する」


 と、リツが言い出した。ボートが波に乗り上げて跳ねる度、彼女は楽しそうに笑う。


「お、お姉ちゃん! あ、安全運転で!」


 リコが叫ぶほど、リツは余計にエンジンを吹かした。

 やがて、旧青梅市街きゅうおうめしがいに辿り着く。街道沿いのこの町は、古くは江戸時代から宿場町として栄えた。この先、街道は山道になるため旅人は青梅で宿を取り英気を養った。解たちもそれにならい、まだ建物の形を留める青梅市役所跡で野営する。

 翌日、夜明けと共に三人は出発した。ここからは山道が続く。山の中をうように伸びる旧JR青梅線を道代わりに、西へと向かう。

 太陽が天頂へと達した頃、視界が開けた。山々の間に漠々と広がる水面が現れた。青梅湖だ。分厚いコンクリート壁によって、莫大な量の水がせき止められている。

 解たちはダムの天端、つまりダム壁の上に移動する。

 山から吹き下ろす風が、遮る物は何も無い湖面を吹き抜ける。


「爽快」


 リツがニマリとする。


「そうだな」


 解が同意する。彼は、こういう巨大な人工物に胸が躍る性質たちだった。興味本位で、壁の湖側を覗き込んでみる。

 目が合った。

頑強なコンクリートの壁面に、冗談みたいなモノがへばりついていた。

映画に出てくる怪獣のよう。

 全長五メートルほど。

 全体のシルエットはしゃもじに近い。柄の先端が頭で、ご飯をすくう部分が尻だ。全体的に刺々しい。鎧でも着込んでいるようだった。身体には節くれだった六本の足が生えている。頭には、バスケットボールほどの黒い眼球が乗っていた。


『ヤゴだな』


 カメラで状況を確認したゆず葉が言った。ヤゴ。つまり、トンボの幼虫だ。しかし、この大きさは何だ。解が変換杖に手を掛ける。


『待ちたまえ。……どうも、抜け殻のようだよ』


 ゆず葉の言った通り、怪物の背中はパックリと割れている。


「嫌な予感がする……」


『奇遇だね。私もだよ』


 解が、恐る恐る視線を上げた。広大な青梅湖。その上空にポツリと浮かぶ飛行物体が在った。ヘリコプターほどに巨大なそれは、何もない中空にも関わらず、ピタッと一点で静止していた。生物なのにどこか機械じみた骨格。突き出した球状の複眼は、全方位を見渡す。

 大型肉食昆虫、トンボ。

その異常進化生物。

 三人はすかさず地面に伏せた。

 距離は有った。

 気づかないでくれ。

 解は祈るように、コンクリートに身体を伏せる。しかし、トンボの無機質な複眼ふくがんは、確かに彼等を捉えていた。蟲は、停止状態から一瞬で最高速度に達すると、一直線、解たち目掛けて矢のように飛ぶ。

 解が跳び起きる。

同時に変換杖を抜いた。

 接続されたタングステンロッドが、煙の如く大気に溶ける。

 二対四枚の翅で空を裂き、トンボが迫る。

瞬間、解は刃を顕現させた。

タングステンの霧が再配列し、刃を成す。

その刃が、トンボの目前で碁盤の目のように並んだ。

 しかし、トンボは難無く避ける。

 慣性など無視して、ほとんど直角の軌道を描き、上空へ離脱した。


「マジかよ……」


 呟く解を尻目に、飛ぶために設計された生物は青空を背景に悠然と旋回。そのまま向きを整え、再び、解たち目掛けて翔ける。

 トンボが迫る。

 解の手が震えた。

 しかし、その震えを殺す。


「俺は大島大洋」


 心の中で叫びながら。

 真っ直ぐ、前を見据えた。

 引き付けて、引き付けて、解は変換杖を振る。

 今度は広く包み込むように刃の網をかけた。 

 しかし、トンボは駆け抜けた。

 トンボの眼は銃弾の軌道ですら捉える。その二万個の眼から成る複眼を以って、刃の網の隙間を見つけ出した。そして、棒のように細い体を網の隙間に滑り込ませる。

 トンボの翅が、タングステンの刃と交錯する。

 瞬間、甲高い音を立てて、弾け飛んだのはタングステンだった。

 くるくると回転しながら、無数の刃が四散する。


『無事か!?』


 インカム越しにゆず葉が叫んだ。


「……何とか」

「私もです」

「全然平気」


 流石と言うべきか、東雲姉妹はすぐさま身を伏せて被害を最小限に留めた。三人とも、幾筋かの切り傷は見受けられるが、致命傷は無い。 

 トンボが彼方へ飛び去った後に、キラキラと光る、粒子が残される。


『キチン(※注 多糖の一種。虫の翅などを作る)は、こんなに固くないぞ。……もしや、水晶シリカか?』


 水晶とは、酸素とケイ素の化合物だ。ケイ素は一番目、酸素は二番目に多く地殻に存在する原子だ。そのため、生物は巧みに水晶を利用する。水晶質の棘を生やす植物もいるくらいだ。ただ、水晶で翅を作るには靭性が足らない。この異常進化生物は、キチン質がベースの翅を、極薄の水晶でコーティングしているのだろう、とゆず葉は推察した。そして、こんな言葉を漏らした。


『……そんな生物、空飛ぶ名刀じゃないか。冗談にしても悪趣味だぞ』

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