EP.29
そうなのだ。どれほど景色が雄大で美しくとも、ここは遺伝子を壊す「森」の中。狂った進化の庭だ。解は腰の変換杖に手を掛けた。いつでも抜けるように。
一行は上流へと進む。時折、河岸に廃墟を見た。ボートが崩れた橋の下を通り抜ける。
「冒険みたい」
リツが言った。彼女は
「冒険だろ。実際」
「そうだった!」
「お姉ちゃん。遊んでるのなら、操縦、代わってくださいよ」
「えー。私、隊長なんだけど」
「何です、それは……」
船旅は順調だった。異常進化生物と出くわすこともなく、他愛もない会話を交わす余裕さえあった。
予定通り、昼には河口から約五十キロメートルに位置する、
この先、水深は浅く、流れは速くなる。探検という趣が増した。そのせいか、
「私が操縦する」
と、リツが言い出した。ボートが波に乗り上げて跳ねる度、彼女は楽しそうに笑う。
「お、お姉ちゃん! あ、安全運転で!」
リコが叫ぶほど、リツは余計にエンジンを吹かした。
やがて、
翌日、夜明けと共に三人は出発した。ここからは山道が続く。山の中を
太陽が天頂へと達した頃、視界が開けた。山々の間に漠々と広がる水面が現れた。青梅湖だ。分厚いコンクリート壁によって、莫大な量の水がせき止められている。
解たちはダムの天端、つまりダム壁の上に移動する。
山から吹き下ろす風が、遮る物は何も無い湖面を吹き抜ける。
「爽快」
リツがニマリとする。
「そうだな」
解が同意する。彼は、こういう巨大な人工物に胸が躍る
目が合った。
頑強なコンクリートの壁面に、冗談みたいなモノがへばりついていた。
映画に出てくる怪獣のよう。
全長五メートルほど。
全体のシルエットはしゃもじに近い。柄の先端が頭で、ご飯をすくう部分が尻だ。全体的に刺々しい。鎧でも着込んでいるようだった。身体には節くれだった六本の足が生えている。頭には、バスケットボールほどの黒い眼球が乗っていた。
『ヤゴだな』
カメラで状況を確認したゆず葉が言った。ヤゴ。つまり、トンボの幼虫だ。しかし、この大きさは何だ。解が変換杖に手を掛ける。
『待ちたまえ。……どうも、抜け殻のようだよ』
ゆず葉の言った通り、怪物の背中はパックリと割れている。
「嫌な予感がする……」
『奇遇だね。私もだよ』
解が、恐る恐る視線を上げた。広大な青梅湖。その上空にポツリと浮かぶ飛行物体が在った。ヘリコプターほどに巨大なそれは、何もない中空にも関わらず、ピタッと一点で静止していた。生物なのにどこか機械じみた骨格。突き出した球状の複眼は、全方位を見渡す。
大型肉食昆虫、トンボ。
その異常進化生物。
三人はすかさず地面に伏せた。
距離は有った。
気づかないでくれ。
解は祈るように、コンクリートに身体を伏せる。しかし、トンボの無機質な
解が跳び起きる。
同時に変換杖を抜いた。
接続されたタングステンロッドが、煙の如く大気に溶ける。
二対四枚の翅で空を裂き、トンボが迫る。
瞬間、解は刃を顕現させた。
タングステンの霧が再配列し、刃を成す。
その刃が、トンボの目前で碁盤の目のように並んだ。
しかし、トンボは難無く避ける。
慣性など無視して、ほとんど直角の軌道を描き、上空へ離脱した。
「マジかよ……」
呟く解を尻目に、飛ぶために設計された生物は青空を背景に悠然と旋回。そのまま向きを整え、再び、解たち目掛けて翔ける。
トンボが迫る。
解の手が震えた。
しかし、その震えを殺す。
「俺は大島大洋」
心の中で叫びながら。
真っ直ぐ、前を見据えた。
引き付けて、引き付けて、解は変換杖を振る。
今度は広く包み込むように刃の網をかけた。
しかし、トンボは駆け抜けた。
トンボの眼は銃弾の軌道ですら捉える。その二万個の眼から成る複眼を以って、刃の網の隙間を見つけ出した。そして、棒のように細い体を網の隙間に滑り込ませる。
トンボの翅が、タングステンの刃と交錯する。
瞬間、甲高い音を立てて、弾け飛んだのはタングステンだった。
くるくると回転しながら、無数の刃が四散する。
『無事か!?』
インカム越しにゆず葉が叫んだ。
「……何とか」
「私もです」
「全然平気」
流石と言うべきか、東雲姉妹はすぐさま身を伏せて被害を最小限に留めた。三人とも、幾筋かの切り傷は見受けられるが、致命傷は無い。
トンボが彼方へ飛び去った後に、キラキラと光る、粒子が残される。
『キチン(※注 多糖の一種。虫の翅などを作る)は、こんなに固くないぞ。……もしや、
水晶とは、酸素とケイ素の化合物だ。ケイ素は一番目、酸素は二番目に多く地殻に存在する原子だ。そのため、生物は巧みに水晶を利用する。水晶質の棘を生やす植物もいるくらいだ。ただ、水晶で翅を作るには靭性が足らない。この異常進化生物は、キチン質がベースの翅を、極薄の水晶でコーティングしているのだろう、とゆず葉は推察した。そして、こんな言葉を漏らした。
『……そんな生物、空飛ぶ名刀じゃないか。冗談にしても悪趣味だぞ』
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