EP.23


 ウマが長い鼻先で、解をすくい上げるように突き飛ばす。解の身体が地面を二転、三転して止まった。しかし、立ち上がろうとしたところを、また突き飛ばされる。

遊ばれていた。比喩ひゆではない。本当に遊んでいるのだ。ある程度、知能が発達した生物は、時折このような行動をとる。獲物をすぐに殺さず、なぶってから捕食する。

 ウマは解が起き上がろうとする度に、鼻先で掬い上げ、時にひづめで蹴り転がす。痛みは感じない。慣れたのか、それとも、感じないほどに身体が壊れつつあるのか。解には分からなかった。ただ、一撃もらう度、身体が重くなる。頭は霧が掛かったようだった。そんな濃霧の中を、取り留めもない情景が流れては消える。

 


 テレビのCM   


     歯ブラシ              夜の公園


同級生   偽物の両親        リツ

    学ラン   

           並んだ街

  ゆず葉        望月詩灯

          リンゴ 

                 拳銃。      流れ星

 森都  


リコ



                 曇り空

 


  曇り空


「大島大洋」の死体












 メロディ



 心臓が跳ねた。

 ほとんど真っ白になった解の脳内。最後、その隅っこにこびりついていたモノは、旋律せんりつだった。数小節にも満たない断片的な音の羅列。それは温の歌だ。

 酷く美しい歌声。

 だけど、どこか完璧じゃない。

 ノイズが混じっていたからだ。

 それは高鳴る解の鼓動こどう

 温と肩が触れる度、温が解に笑いかける度、高鳴る解の鼓動。

 解が思い出したその歌は、何度も聴いたCDから流れる音ではなかった。

 ただ一度、温が彼の隣で歌った歌だ。

 彼女の顔が頭に浮ぶ。

 泣くのかな、と解は思う。

 このまま、ここで自分が死ねば、雪村温は泣くのだろうか。

 きっと泣くだろう。

 自分は「大島大洋」ではない。

 それでも自分がここで死ねば、彼女は泣くのだ。

 その夜空のような瞳から、とめどなく、涙をあふれさせるのだろう。

 嫌だな。

 それだけは、嫌だ。

 解は立ち上がる。

 震える二本の脚で、立つ。

 ウマが、それを嘲笑うかのように鼻先で小突いた。

 解は地面を転がる。

 しかし、すぐに起き上がる。

 身体は酷く痛んだ。

 このまま壊れるかもしれない。

 それも良いか、と思う。

 温の頬を伝う涙の1ミリリットル。

 それに比べ、自分にどれほどの価値が有るというのか。

 「大島大洋」なのか、「御堂解」なのか、それすらも判然としない自分に、一体、 どれほどの価値が有るというのか。

 どうなっても良い。

 そう。

 英雄にだって、なろう。

 解は叫んだ。


「俺は大洋! 英雄、大島大洋!」


 変換杖を起動。

 スリットに銀灰色のロッドを捻じ込む。 

 解の眼光にウマはひるんだ。

 獲物は既に満身創痍。それでも怪物は、本能的に身の危険を感じた。

 殺さねば。

 わななきながら、ウマは後ろ足で立つ。そして、頭上より高く持ち上げた蹄を、解に振り落とさんとする。しかし、出来なかった。

 枝枉に接続された銀灰色のロッド。それを成す原子を並び変えた。瞬間、ロッドが槍のように伸びた。解を踏み潰そうとしたウマは、自らの重みでその槍に突き刺さった。背中から飛び出した穂先が、血に濡れて光る。

 串刺しになったウマは荒い息を吐きながら、苦しそうに目を細めた。

 苦悶に満ちた目。

 命が消えていく。

 解は、ウマの黒い瞳を真正面から見た。

 しかし、心は揺るがない。

 何故、今になって変換杖が発動したのか。

 明確な言葉にはできずとも解は理解していた。

 それは意志だ。

 遺伝子の配列が一致していても、変換杖を使うには足りない。何の為に変換杖を使うのか。明確なイメージが必要なのだ。それを明確に思い描く為に必要なのは、意志だ。

 何かを壊すという意志。

 つまり、殺意。

 自分にとって、このバケモノ存在が限りなく邪魔だ。俺の為に死んでくれ。解は心の底から願った。だから、変換杖は発動した。

 ウマが事切れる。巨体がゆっくりと傾いて地面に沈む。

 その時、足元に振動を感じた。ウマだ。また別の、牙の生えたウマが走ってくる。  解が殺したウマよりも一回り大きい。血の匂いを嗅ぎつけたらしい。

 解は慌てなかった。

 どうすれば良いのか、もう分かっていたから。

 ウマが地面を蹴る度、橋脚が震える。その振動が腹の底に響く。

 ウマの血走った目。

 殺意。

 解はただ、掲げるように変換杖を構えた。

 枝枉に接続された銀灰色のロッド。それはタングステンの結晶だった。別名、ウォルフラム。ウォルフの名を冠するその金属の密度は、一立法センチあたり十九・三グラム。鉄の二・五倍の密度を誇る。

 重く、固い。

 銀灰色のロッドが、煙となって空気に溶けた。

 枝枉によって、タングステン原子が空気中に拡散したのだ。

 ウマが地面を蹴立て突貫する。

 あと一蹴りで、その牙が解の喉元に食い込む。

 瞬間、ウマの鼻先に刃が現れた。

 八本。

 銀色の刃が碁盤の目のように格子状に並ぶ。

 タングステン原子は気体となって、解の周囲に漂っていた。解はその気体に、変換杖で「秩序」を与えた。霧として漂っていたタングステン原子が、瞬間的に規則正しく並び、刃状の結晶を成したのだ。

 そうして出来上がったのが格子状の刃だ。

 ウマは何が起きたかさえも理解できなかっただろう。

 勢いそのまま、刃の格子に頭から突っ込む。

 どんな刀匠が打ち出すよりも薄い刃。原子レベルの厚さのそれは、音も無くウマの肉に食い込んだ。型から押し出されたトコロテンのように、ウマは細長い直方体の肉塊となって地面に転がる。その時にはもう、刃の格子は粒子の煌めきだけを残し、風に溶けるように消えていた。

 解はその結果を、表情も変えずに眺めていた。驚きはない。この事態を引き起こしたのは自分だ。そうなるように望んだのも彼自身だった。

 血の匂いは随分と遠くまで届いたらしい。牙の生えたウマが、後から、後から、駆けてくる。しかし、どの牙も解には届かない。その前に肉塊と成り果てる。

 刃の通った場所だけを切り裂く、ただの剣とは訳が違う。

 それはタングステンの霧。

 その霧は、解の意のままに刃へと変わる。

 斬りたい時、斬りたい場所に、望むだけの数、思い描いた形の刃が現れる。

 牙付きのウマが二匹、前後から同時に突貫する。

 解は枝枉を掲げた。瞬間、彼を中心に、半径五メートル程の輪状の刃が現れた。ウマは避け切れず、その刃に突っ込む。刃は、ウマをハンバーガー用のパンみたいに上下で斬り分けた。上半分の身体を失くした脚は、数歩、あてもなく彷徨ってから地面に沈む。


「ははは……」

 

 解は笑う。腹の底から笑いが漏れた。

 地獄も、かくや。

 目を覚ましたリコが見たのは、そんな光景だった。

 広がる血の海。その赤黒い水面から顔を出す、死肉の塊。死臭が立ち込める。その中心で、解が幽鬼のようにたたずんでいた。手には変換杖が握られている。時折、銀色の線が空中を走っては消える。

 一瞬、リコは解と目が合った。血走った眼は、獣のそれ。き動かされたように、リコは身体を起こした。そして、ふらつく足取りで解に駆け寄ると、彼を抱きすくめた。解よりも一回り小さい身体で精一杯、彼を抱きしめていた。


「大洋くん! もう良いのです!」


 解の手から変換杖が零れ落ちる。彼はリコに身体を預けるようにして、気を失った。

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