EP.22


 解が異常事態だと理解した時には、既にリコは変換杖を抜いていた。


「大洋くん。私の後ろに」


 伸びた線路は緩やかなカーブを描いて森の奥へ消える。その向こうから彼らは現れた。地を這うように疾走する四足の獣。それも、集団で。


「オオカミ?」


 リツが呟く。リコは目を細めた。突き出た鼻先と黒い毛皮は、オオカミの類に見えた。しかし、リコは言う。


「違う。……速すぎる」


 オオカミの最高時速はせいぜい時速七十キロ。獣の集団はそれを軽く上回っていた。しかし、リコがそう気づいた時には、彼らはもう目の前に居た。


「伏せて!」


 リコが叫ぶ。

 膝立ちになって月華げっかぐ。

光をじ曲げた。解たちの手前に、深い溝が有るように見せかける。獣たちは突如として目の前に現れた溝を避けようと跳んだ。合計十数匹の獣が、解たちの頭上を通り過ぎる。彼らが走り去った後、地面にはカマボコのような足跡が無数に残されていた。


「ひづめ? オオカミなのに?」


 リコが呟いた。

 オオカミとウマは、同じ哺乳類ほにゅうるい。よって、骨格は同じだ。つまり、一つ一つの骨の並びはほとんど変わらない。ただ、ウマの場合、中指の骨が異様に発達していた。それがひづめだ。二つの生物の脚は見た目ほど違わない。遺伝子を壊す「森」の中であれば、オオカミの脚がウマのように進化したとしても不思議ではなかった。オオカミは新たに獲得した蹄で、人間が残した交通網、つまり、山手線を疾駆しっくしていた。

 何故。

 逃げる為。

 カーブの向こうから、黒いウマが現れた。それはインドゾウほどに巨大だった。加えて、牙まで生えている。上顎から巨大な牙が氷柱のように垂れさがっていた。牡馬は犬歯を持つ。ただ、それはやはり牙だ。犬歯と呼ぶには余りにも肥大化しすぎている。

 蹄の生えたオオカミ達は、この牙の生えたウマから逃げていたのだ。彼らは無事にウマから逃げおおせた。そして、ウマは幾らか落胆していた。そんな時、彼の目の前に現れたのが、解たちだった。

 牙も、爪も、蹄も無い。

 良く分からないが、食えそうだ。

 ウマの目にはそう映った。

 蹄で地面を蹴る。

 一蹴りする度、その巨体は慣性を引きちぎり、加速する。

 高架線が不安げに軋む。

 しかし、リコは毅然と立つ。

 変換杖・月華。

 その切っ先を、真っ直ぐにウマへ向ける。

 右へ払った。

 真っ直ぐ伸びた高架線。それを僅かに曲がっているように見せかける。ウマは錯覚に引きずられて進路を曲げ、高架線から飛び出す、はずだった。

リコの体調は万全ではなかった。一晩の野宿。水分不足。そこに、この大技。だから、発動が僅かに遅れる。リコが錯覚を造り上げた時には、既に怪馬は解たちすぐ目の前に居た。ウマは僅かに進路を変えるが、橋から落ちるには至らない。解たちの僅かに右側を駆けた。

 まるで爆撃のようだった。

 巨大な蹄が四つ、高架線に敷き詰められた石を跳ね上げたのだ。

 本当に何かが爆発したのかと、解は思った。

 しかし、石は一つとして解には当たらなかった。それもそのはず。リツが解に覆い被さるように、彼を地面に押し倒していたからだ。


「大丈夫か!」


 解が叫ぶ。リツは何の反応も返さなかった。


「……逃げて」


 か細い声が聞こえた。声の方へ視線を向ければ、リコが倒れていた。額から一筋の血が垂れている。彼女の手から、力なく変換杖が零れた。

 ウマは既に解へ向き直っていた。

 蹄で地面を掻く。

 しなやかな鋼のような筋肉。

 それが造り出す熱が、水蒸気となって口の隙間から洩れた。

 牙をく。

 解にはそれが、笑っているように見えた。




 時は少しさかのぼる。解たちが旧山手線の高架線こうかせんを見つけた頃だ。

ノックと同時に扉が開く。駆けこんできたのは息を切らしたゆず葉だった。彼女は宮藤の執務机しつむづくえに、幾枚かの写真をぶちまける。


「これは?」


 宮藤が訊いた。


「大洋君たちが巻き込まれた地下通路の崩落事故。その現場の写真だ」

「ほう。どうやって撮った?」

「ドローンを飛ばした」

「許可は取ったのかね?」

「そんな事はどうだって良い。問題はこの事故が、に起こされたということだ」


 ゆず葉は幾枚のレポートを宮藤に突き付ける。それは、東京が「森」に呑まれる前、地下鉄を建造するために測量された周辺の地質データだった。それらはこの崩落事故が明らかに人為的に起こされたものだと物語っていた。


「あの一帯の地盤は頑丈だ。あんな崩落の仕方は起きない。それこそ、人為的に爆薬でも仕掛けなければ」


ゆず葉が苛立つが、執務机の向こう側の宮藤の反応はにぶい。


「大洋君の命を狙っている者が居る」


 宮藤は書類を置いた。


「それで?」

「早急に手を打つべきだ!」


 前のめりに、宮藤に掴みかかる勢いで言った。しかし、彼は淡々と答えるのみ。


「その件なら問題ない」

「何故だ!?」

「あの地下通路の崩落を計画したのは、私だからだ」


 ゆず葉は言葉を失う。


「……貴様、一体、何を考えている?」


「君こそ、一つ忘れていないか? 彼は試料(サンプル)の一つに過ぎない。クローンという実験の、一つの試料だ」


 宮藤はすぐに自分の仕業しわざだと認めた。

曰く、解たちは通路の崩落に巻き込まれたのではない。予め眠らされたのだ。その後、地下通路の天井を爆破。眠っている解たちを瓦礫がれきの上に転がした。あれだけの崩落で、三人とも無傷など、偶然だとしたら出来すぎている。


「何故、そんな事を?」

「「大島大洋」は変換杖へんかんじょうを使えない」

「……命の危険にさらせば、変換杖を使えるようになるとでも?」

「ああ。そうだ」

「バカか貴様は!?」

「私は、この方法で彼が変換杖を使えるように可能性は極めて高いと考えている」

「ふざけるな!? 根拠は!?」

「あくまで仮説だけれどね。精神的な状態が適性にどう影響するか、非常に興味深いデータが採れると考えている」

「大洋君はモルモットじゃない!」

「もちろんだよ。モルモットと比べたら、彼は遥かに貴重だ。しかし、代わりならいる」

「貴様」

「言い争っている時間は無さそうだよ」


 そう言って、宮藤は壁のモニターの電源を入れる。画面に映し出された荒い映像は、解に仕込まれた隠しカメラによるものだった。まさに今、解が対峙たいじする牙の生えたウマが、映し出されていた。宮藤は笑う。


「我々は、英雄の誕生に立ち会えるかもしれない」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る