EP.9


 フクロウは円を描いて飛ぶ。一周、二周。そして、三周目に差し掛かった時、ついに翼を畳んだ。墜ちる。

 リコは両手で変換杖へんかんじょうを握る。その先端に額を押し当てた。解には、彼女が祈っているように見えた。

怪鳥に比べ、その華奢な身体も、その美しい杖も、余りに無力に見えた。

 巨大フクロウは黒い砲弾と成り、突進する。今までで、一番、速い。

 しかし、砲弾はリコの頭上を通り過ぎた。

地面が揺れる。

フクロウが激突したのだ。

聞く者の内臓を揺さぶるような、奇怪な断末魔が響く。


「何が?」


 解が目を丸くしていると、リコは、風に吹き散らされた髪を整えながら言った。


「月華で光を曲げました。地面を、実際より遠くに見せたのです」


 つまり、フクロウは地面との距離を見誤っていたのだ。だから、こうして地面に激突した。しかし、フクロウが起き上がる。


「GYAAGAYAAYAAAGAAAA!」


 耳を塞ぎたくなるような声で、フクロウが喚く。


「まだ生きてるのか!?」


 解が叫ぶ。

怪鳥の翼はあり得ない方向に折れ曲がり、空を飛ぶことは最早、叶いそうになかった。それでも立ち上がる。その眼は殺意さついに燃えていた。せめて目の前の人間の頭蓋骨を、この嘴で潰さねば。そんな意志が感じ取れた。


「全く、しぶとい……」


 リコは心底うんざりした調子で呟く。すると、リツが言った。


「後は私がやる」


 リコと解を背負うように、リツが立つ。彼女は最初からずっと、変換杖を展開していたのだ。それは、彼女のほっそりとした白い脚をおおう、黒いオーバーニーの編み上げブーツ。その踵のスリットに挿入された、カード状の物体。それが彼女の変換杖だった。

変換杖・黒蓮こくれん

自分より遥かに大きな怪鳥を、リツはめ付ける。その咆哮ほうこうにも、りんとした表情は揺らがない。フクロウがクチバシを振り落とす。もはや重機じゅうきれた土や小石が跳ね飛ぶ。

しかし、リツは無事だった。軽やかに後ろに跳び、紙一重かみひとえで攻撃をかわしていた。一方フクロウは、クチバシを振り落とした姿勢のままで固まっていた。リツが左脚で怪鳥のクチバシを踏みつけているからだ。

しかし、リツはフクロウに比べて余りにも小さい。何故、フクロウはリツを跳ね飛ばさないのか。解は、フクロウの羽毛が月光を跳ね返して、キラキラと光っていることに気づく。それはしもだった。フクロウの身体は凍り付いていたのだ。

リツが、今度は右脚を頭上高く上げる。そして、クチバシに振り落とした。

瞬間、クチバシが砕けた。

解が目を細める。リツの右脚がぼんやりと揺らめいて見えた。それは陽炎かげろう。彼女の右脚が相当な高温だと物語っていた。

フクロウのクチバシがあっけなく割れたのは、温度勾配による膨張の違い。つまり、冷えたグラスに、熱湯を注ぐと割れてしまうのと同じ現象だ。

変換杖・黒蓮。

それは、左脚に極低温を、右脚に超高温を造り出す。


「終わった」


 リツが言う。漆黒のブーツはただなまめかしく、リツの細い足を包んでいた。

 フクロウはまだ生きていた。しかし、砕けた嘴の間から泡を吐いて気絶している。ピクピクと痙攣するばかり。起き上がる気配は無い。解はリコに尋ねる。


「……変換杖は、このバケモノを倒すために?」


そうです、と答えながら、リコは腰から拳銃を抜く。解は、銃そのものより、むしろ彼女の手慣れた所作に驚いた。リコは自分と変わらない歳の女の子なのだ。リコが三発ほど銃弾を撃ち込む。


「見てください。全然、効いていないでしょう?」


 フクロウは、針のように硬い極細の羽毛に覆われていた。確かに、弾丸はそれに遮られて、身体まで届いていなかった。


「異常進化生物は頑丈です。とにかく、生半可な銃火器は意味が有りません。このバケモノを倒そうと思ったら、戦車や戦闘機を持ってこないと。もしくは、変換杖か」

「ゾッとするな」

「どちらに?」

「両方」


 リコは解の意図を理解したらしい。彼が恐怖したのは、バケモノもそうだが、むしろ、そのバケモノと渡り合う武器、変換杖だった。

リコは言う。


「もしも変換杖が量産されれば、世界の均衡きんこうを壊しかねません。森都が「壁」の東側に有るのは、そういう理由もあります」


そんな兵器が、一人の少女の腰に吊られていた。


しばらくすると、緑色のトラックが一台やって来た。荷台から小型クレーンと共に自衛隊員がわらわらと降りてくる。いつの間にか、解の周りに、むさ苦しい自衛隊員の人垣が出来ていた。


「大洋さん。よくご無事で」

「大洋さんが帰ってくれば安泰あんたいです!」

「握手してください!」


 そんな類の台詞を次々に投げかける。皆、笑顔だった。解が戸惑っていると、一人の隊員が怒鳴った。


「さっさと仕事にかかれ!」


 すると、今までニコニコと笑っていた隊員たちは、それぞれが一つの機械の部品の如くキビキビ働き出す。彼らは泡を吹いて倒れているフクロウを拘束すると、クレーンでトラックに積んでしまった。

 解が隊員の一糸乱れぬ作業に見入っていると、一人の自衛隊が近づいて来た。先ほど隊員を怒鳴りつけた男だ。彼は敬礼をする。東雲姉妹は慣れた所作で敬礼を返す。解も見よう見まねで敬礼してみる。


「先ほどは失礼いたしました。皆、貴方に会えて舞い上がっているのです。許してやってください」


 それだけ言い残して隊員は去った。そんな彼の声も弾むような調子で、どこか嬉しさがにじんでいた。

 病院へと向かう帰りの車の中。運転手の自衛官は、フクロウ型の異常進化生物がいかに巨大で、それを屠った「大洋」がいかに強いかを興奮気味に語った。フクロウを倒したのは東雲姉妹だ、と解は話したが、果たして聞こえていたのか。


「俺、大人気だな」


 解がぽつりと呟く。大人である自衛隊たちでさえ、解を前にすると少年のように目を輝かせるのだ。


「そうです。大洋君は英雄ですから」


 リコが言った。


「なるほどね。英雄か……」


それこそ、解がこの森都で果たすべき役割だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る