EP.10

「なるほどね。英雄か……」


それこそ、解がこの森都で果たすべき役割だった。


 ◆


 病室、という名前の3LDKに帰り着くと、リツはベッドに潜り込み、すーすーと寝息を立て始めた。


「寝ないの?」

護衛ごえいですから。大洋くんは?」

「寝られそうにない」

「お話し相手は要ります?」

「ありがとう。でも、今は一人になりたい」


 解は寝室に引きこもる。殺風景な部屋だった。病人用のベッドとテレビ、そして空のクローゼットが有るだけ。自然と足が窓際に向かっていた。ガラス越しに摩天楼まてんろうが見える。そこには、半透明な解の顔も写っていた。

昨日まで、その人間は御堂解という名前だった。今日からは「大島大洋」になった。遺伝子は完全に同じだ。複製なのだから当然だ。しかし「大島大洋」は随分と他人に愛されているらしい。

 リツは身を挺して、フクロウの爪から解を守った。その事は鮮明に覚えている。解を抱きしめた、しなやかな肢体の感触。身体に秘めた熱。吐息。凛としたかお。そして、意志の籠った瞳は


「君を守る」


 と言外に語っていた。

 窓に映る顔は、夕刻、森の中で対面した死体と完璧に同じだ。それなのに、自分と「大島大洋」は余りにも違うように思える。


「……お前、英雄なんだってね」


 ガラスの中の人間に向かって言った。返事は無い。解はベッドに身を投げ出す。仰向あおむけのまま、手の平を顔の前にかざす。閉じて、開く。思った通りに動いた。

 自分は何一つ変わっていない。だけど、世界は変わった。これから、どうなるのか。分からないままに夜は更けていく。


  ◆


 朝日で目が覚めた。カーテンを閉めないで眠っていたらしい。朝は強くない解だったが、今日に限って眠気はすぐに吹き飛んだ。奇妙な匂いがしたのだ。焦げ臭いような、生臭いような。慌ててキッチンに駆け込むとリツがいた。ジャージの上からエプロンを付けている。


「おーはよー」


 あくび交じり。ヘンテコなイントネーションで朝の挨拶を投げかけてくる。彼女は包丁を逆手さかてに握っていた。


「何、してるの?」

「朝ごはん」

「あ、朝ごはんの準備ね。ありがとう」


 しかし、火にかけられた鍋の中身は黒い。そして、ドロリとしている。リツが鍋を指して言った。


「何これ?」

「いや、知らないけど……」


 作っている本人も知らないのに、解に分かるわけが無かった。リコも起き出してきた。パジャマの上にカーディガンを羽織っている。


「なんですー? この変な匂いはー?」


 普段も柔らかいリコの雰囲気は、彼女が寝起きのためかますます柔らかい。しかし、鍋を見るなり目を丸くした。


「お、お姉ちゃん!? もしや、一人で料理を!?」

「うん。一人」

「こ、こ、これは何ですか?」

「私が知りたい」

「分からないのですか!?」


 結局それは何だったのか。しかし、解たちは考える事を止めた。それが分かったから何だというのか。余りにも不毛だ。三人はいそいそと代わりの朝食の準備に取り掛かる。トーストとコーヒー。スクランブルエッグと、昨日の残りのサラダがテーブルに並ぶ。作り直した朝食を食べながら、リコはぶつくさと文句を言う。


「全く。お姉ちゃん、普段は料理なんてしないのに、大洋くんが居るからって妙に張り切るんですから」

「次は頑張る」

「良いですけど、今度は私も一緒に作りますからね」

「仕方ないなあ」

「どうして私がお願いしている側なのです……」


 朝食も昨日の夕食と変わらず和やかだった。解はふと、壁の西側に居た頃の朝食を思い出した。


「最近、学校はどうだ?」


 という父の言葉は、やはり義務感から発せられていたのか。その男は「御堂解の父親」が仕事だった。解はコーヒーを啜った。熱さと、苦さで、その光景を流し去る。


「なあ」

「なんですか?」


 解は一拍の間を置いて言った。


「変換杖の使い方を教えて欲しい」

「それは、もちろん。いずれは」

「なるべく早い方が良い」

「まだ病み上がりなんですから、無理は良くないですよ」

「頼む」

「そう言われましても……」


 リコが眉をハの字にして困っていると、リツが言った。


「良いよ」

「お姉ちゃん!?」

「大洋って、頑固がんこなとこ有るから」


 リコはため息を吐いた。


「……分かりました。二階堂先生に相談してみましょう」


 食後、三人は第二番柱の前にいた。森都はほぼ円形の街で、中心に近いほど柱の番号は若くなる。つまり、第二番柱は森都のほぼ中央に有った。


「ここは?」

「第二番柱。森都自衛隊の司令本部ですね」

「その割には綺麗だな」

「自衛隊と言っても、銃を持つことだけが仕事というわけではないですから」


 その言葉の通り、司令本部の一階の受付は植物園のようだった。全面ガラス張りの明るい空間には人工の小川が流れ、周囲には植物が配置されている。その草木を衝立ついたて代わりに、あちこちにテーブルとイスが置かれていた。

 テーブルの一つで待っていると、間もなく、ゆず葉が駆けてきた。白衣の前を留めずに羽織り、首からIDカードを下げている。


「待たせたね。さあ、こっちだ」


 三人はゆず葉にうながされるままに、エレベーターに乗り込む。


「地下二十一階」


 ゆず葉が言った。しかし、その操作パネルには、B1からB20までの文字しかない。それでも、オペレーターは頷いた。エレベーターが動き出す。そして、地下二十階を過ぎても、さらに地底へと潜り続ける。やがて、エレベーターが止まった。

 そこは巨大な地下トンネルだった。片側二車線の車道が余裕を持って引けるほどの空間には、静寂が詰まっていた。トンネルの天井に青白いLEDが等間隔で並ぶ。


「ここが変換杖の研究施設?」

「いや。研究所へ続く道さ。元々は都営大江戸線とえいおおえどせんと呼ばれていたけれどね」


 壁の一部がシャッターになっていた。ゆず葉がIDカードを操作基盤に晒すと、シャッターが開く。中から四輪駆動の装甲車が現れる。


「コイツで二十分もかからない」


 ゆず葉が言った。トンネルの中、エンジン音とタイヤがコンクリートを噛む音だけが響く。ゆず葉は助手席に座る解に話しかけた。


「しかし、大洋君。流石に急だぞ。今日はリハビリがてら森都を見て回る予定だったろう? 施設を抑えるのもなかなか骨を折った」

「悪かった」

「昨日、異常進化生物との戦闘に立ち会ったそうだね? まあ、焦る気持ちも分からないでもないけどね」


 やがて、装甲車が止まった。そこは完全なる廃墟だった。うち捨てられた看板には、


『          恵比寿

中目黒←               →広尾』


 という文字。どうやら、元々は駅だったらしい。


「ここは?」


 解が訊いた。


「変換所の研究施設だよ」

「は?」

「第三十七研究所だ。私たちは縮めて三七研さんななけんよんでいる。ちなみに、森都の中でも公になっているのは、第三十六研究所までだ。他言無用で頼む」

「言っても信じないだろ。……こんな場所」

「だろうね」


 ゆず葉が笑う。


「さあ。こっちだよ」


 ゆず葉にいざなわれて三人は廃墟に踏み込む。東日本を歩き回れば、こんな廃墟が幾つも転がっているだろう。ホコリまみれのベンチの上に、紙束が落ちていた。カビで黒く変色していたが、かろうじて『2××0 時×表』という文字が読めた。


「怖い……」


 リツが解の袖を摘まむ。すかさずリコが引きはがした。


「お姉ちゃん。最初に来たときは喜んでたじゃないですか。「映画みたい。最高!」とか言って」

「今日は怖い」

「都合、良すぎないですか?」

「ほらほら! 遠足じゃないんだぞ! さっさと歩く!」


 ゆず葉にせかされて、三人は、もはや階段になったエスカレータを上る。動かない自動改札を過ぎたところでゆず葉が足を止める。


「ふむ。ここだな……」


 彼女が見つけたのは駅でよく見かけるコインロッカーだった。半分以上の棚は既に扉が無い。ゆず葉がライトを向けると、何かがカサコソ音を立てながら逃げ出した。


「ネズミ?」

「ひゃっ!」


 リコが短い悲鳴を上げた。


「……い、いいえ、お姉ちゃん。ネズミなんていません。野生に帰ったハムスターですよ」

「ネズミじゃん」

「止めてください! ネズミとハムスターは別物です!」


 リコがぶんぶんと頭を振る。そんな姉妹をよそに、ゆず葉はロッカーの操作盤にIDカードをかざした。暗闇の中、青白い光が浮かび上がる。操作盤はまだ生きているらしい。


「パスワード二十六文字とか、阿保だよな……。指紋認証と、虹彩パターンまで付けやがって。面倒だ……」


 ぶつぶつ呟きながらゆず葉はキーボードを叩く。その時、ロッカーの一つが勢いよく開いた。


「ネズミ?」

「ネズミなんて居ません! ネズミなんて居ません! モルモットです!」

「大きいネズミじゃん」

「そこの双子。うるさいぞ」


 ゆず葉は、今しがた開いたロッカーの奥に手を突っ込む。取り出したのは、印鑑ほどの大きさの透明な樹脂製じゅしせいの筒だった。


「一回限り有効な、インスタントキーさ」


 駅構内の多目的トイレは、何故か鍵が掛かっていた。扉の脇の小さな穴に、インスタントキーを差し込む。扉が開いた。


「ようこそ。第三十七研究所へ」

「すごい……」


 解が呟く。扉を一枚隔てて、まるで別世界だった。

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