EP.4


 全てを理解したわけではない。しかし、解は問う。


「……だけど、殺すつもりが無いのなら、どうして通り魔に襲わせた」

 

 すると、ゆず葉はうっすらと笑いながら答えた。


「いや。御堂解という人間を殺す必要は有ったよ」

「ふざけてんのか?」

「「殺す」と言っても、「命を奪う」という意味ではない」


 要領を得ない答えに、解は苛立ちを募らせる。


「そうだな……。説明するより、実際に見た方が早いか。ついて来たまえ」


 ゆず葉がスライド式の扉を開けた。解は彼女に続く。外に出ると、真っ白な廊下が左右に伸びていた。蛍光灯と白い扉が等間隔で並んでいる。同じ光景が規則的に続くせいで、どのくらい進んだのか、そもそも進んでいるのかさえ怪しくなってくる。しかし、それもやがて終わる。廊下の終点が見えた。そこにはエレベーターが在った。

 エレベーターの操作盤には、B5から50までの文字が並んでいた。B5の文字だけ黄色く点灯している。二人は今、地下に居るらしい。ゆず葉は躊躇わず、50のボタンを押した。

エレベーターが上向きに加速する。すぐに地上に出た。一面ガラス張りのエレベーターから、下界の様子を見渡せた。世界はオレンジ色に染まっている。これは朝焼けなのか、夕焼けなのか。遠く、山の影が見える。頂上にまだ雪を残したその山は、日本人なら間違いようが無い。霊峰富士だ。

 足元の街は薄暗闇の中に沈んでいた。聳え立つ高層ビルの黒いシルエットが、ここは大都市なのだと教えてくれる。大阪、名古屋、京都、福岡。あり得そうな候補が、解の頭に浮かぶ。

やがて、最上階に辿り着いた。エレベーターから降りる。そして、愕然とした。

 そこは森だった。

 空中庭園などではない。明らかに地続きの森だ。


「……どういうことだ?」


 狐につままれた気分だった。つい数秒前まで、足元に大都市を見下ろしていた。しかし、エレベーターから降りてみれば、そこは森だった。鼻孔をくすぐる湿った空気は、確かに森の匂いがする。

 恐る恐る、踏み出してみる。地面は崩れたりしなかった。解の足元に有るのはスポンジのように柔らかい腐葉土ふようどだ。踏み出す度に柔らかな、しかし、確かな土の感触が返ってくる。


「ははは。私も初めて来たときは驚いた。すごいだろう?」


 ゆず葉が言った。野山に遊ぶ少女のような足取りで、解の周りを歩きまわって見せる。


「さあ、こっちだよ」


 大きなケヤキの樹の下に白いカフェテーブルが有った。解は促されるまま席に着く。その隣にゆず葉が腰かけた。椅子が一つ余る。間もなく、エレベーターから一人の男が現れた。


「御堂解。君が……」


 男が言った。彼は立ったまま、解を上から下までゆっくりと眺めた。

 初老の男だが、くたびれた印象は無い。背筋はピンと伸び、カッチリした黒いスーツを見事に着こなしていた。ただ、大きな野暮ったいサングラスによって顏が半分以上も隠れていた。そのせいで、表情が読めない。


「済まないね。ちょっとこのグラスの下は見苦しくてね。掛けたままで構わないかな?」

「どうでも良いよ。それより、今、何時だ?」


 解は言った。男はそれを聞いて笑いだす。


「いや、失礼。……しかし「何時だ?」ときたか。全く頼もしいじゃないか。こんな状況でも冷静だね。肝が据わっているようだ」

「そういうのは良いから。何時だよ?」

「間もなく午後六時だ。君の想像通り、これは夕焼けだ」

「嘘だ」

「本当だ


 実際のところ解も、男が真実を話している事は分かっていた。先ほどより、僅かだけれど辺りは暗い。これは間違いなく夕焼けだ。

 それでも信じ難かった。何故なら、夕焼けと一緒に富士山を見たから。太陽と富士が同時に見えるという事は、富士山の東側に居るという事だ。しかし、富士山の東側は「壁」の遥かに向こう側。つまり、「森」に覆われたはずの東日本に、解は居ることになってしまう。


「ここは何処だよ?」

「位置で言うなら東京が有った場所だ。現在では「森都(しんと)」と呼ばれている」


 森都。


 そんな名前の都市、まして壁の東側に存在する都市など、解は知らない。


「私はこの森都の知事をやらせて貰っている。宮藤藤十郎(くどう とうじゅうろう)だ」


 この街で一番偉いぞ、とゆず葉が付け足した。宮藤と名乗った男は右手を差し出した。解は握手の代わりに質問を返す。


「壁の東側は「森」で覆われてるはずだ。ウイルスのせいで立ち入り禁止だって」

「ああ、あれね。嘘だよ」


 何でも無いように宮藤は言った。


「森都なんて街、衛星写真には写っていなかった」

「当然だよ。何故なら森都は空からは見えない」

「どういうことだ?」

「二階堂君。こういう説明は君の方が得意だろう」

 

 うながされてゆず葉が語りだす。


「森都はすり鉢状の穴の中にある。そして、その上をドーム状の屋根に覆われている。大きなホタテ貝を想像したまえ。京都の中京区が収まるほどの大きなホタテだ。それが口を半開きにして、半分地面に埋まっている。その貝の中に在る街が森都だ」

「じゃあ、この森は」

「森都を覆うドーム状の蓋の上だよ。この通り人工の森で覆われているから、衛星から森都は見えない。幾つもビルが建っているのを見ただろう? あれは全部、森都の蓋を支える柱なんだ。そして、君がさっき乗っていたエレベーターはその中の一本を通っている」

「街を見下ろしていると思ったら、突然、森の中に居たのは」

「そう。エレベーターの終着点が森都の蓋の上に有った、というだけの話さ」

「……こんな街、何の為に?」

「君と言う存在を隠すためだ」


 答えたのは宮藤だった。その意味を問いただす前に、白衣の男達が数人がかりで、白い箱を運んできた。


「これは?」

「君に見て欲しい」


 宮藤に促されるまま、解は箱の中を覗く。

 長方形の箱は人間が一人収まる程度の大きさで、実際に一人の人間が収められていた。しかし、息はしていない。その箱はひつぎだった。夕日に照らされた安らかな死に顔は、解と瓜二うりふたつ。最早、解そのものだった。まるで鏡合わせのように見つめ合う二人。認められる違いは、生きているのか、死んでいるのか、という事のみ。


「これは誰だ?」

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