EP.3

「そこで何をしている!?」


 自転車に乗った警察官がいた。血まみれで転がる男と棒立ちの少年。警官の目に、この光景はどう写ったのか。



 解はすぐ病院に送られた。

 消毒液の匂いの中、彼はベッドに横たわっていた。まだ鼓動が速い。一連の出来事が脳内で再生される。それは余りにも鮮烈せんれつな出来事だった。生まれて初めて殺されそうになった。そして、見殺しにしようとした。命を、これまでの人生で最も近くに感じた気がした。興奮で眠れそうにない。枕元のデジタル時計には「4:27」の文字が映されている。

 その時、病室の扉がノックされた。


「どうぞ」


 入ってきたのは医師だった。しかし、医師は医師でも、その人は校医こういだった。


「……先生、何してんだよ?」

「来ちゃった」


 語尾に音符でも付きそうな調子で、ゆず葉は言う。ははは、と笑いながら、彼女はベッドに腰かけた。


「おや。あまり嬉しそうじゃないね。お見舞いだって持って来たんだぞ」

「お見舞いって、こんな時間に……?」

「ああ。お見舞いの品もあるぞ。ほら」


 ゆず葉が放って渡したのは、音楽用の携帯端末だった。昼間、彼女が解から没収したものだ。


「俺のだろ……。こっちは怪我してるんだ。遊びに来たんなら」


 帰ってくれ、と言葉を続けられなかった。ゆず葉が、解の頭を胸に押し付けるようにして、彼を抱きすくめていたからだ。


「怖かっただろう。もう大丈夫だ」

「大した怪我じゃないから。離れてくれよ」

「嫌だ」

「は?」


 ゆず葉は解の頭を撫で続ける。


「おい。止めろって」

「嬉しいくせに。もっと素直になりたまえよ」


 確かに、ほんの一瞬だけ、柔らかさとか、良い匂いとか、そんなものを感じてしまった。ゆず葉を相手に。それを悟られないように、解は言う。


「別に、嬉しくねえよ。いい加減に離れてくれ」


 解が引きはがしにかかるが、なかなか離れない。


「静かにしたまえ。ナースコールを押すぞ」

「勝手に押せよ」

「いいか。よく聞きたまえ。君は生徒で、私は教師なんだ。こんなところ他人に見られたら懲戒ちょうかいものだぞ? 私はクビだ! 良いのか!?」

おどしになってねえよ。それ」


 それでも解は、ゆず葉を振りほどく事を止めた。頭を抱きかかえられたままで言う。


「だいたい先生、どうして来たんだよ?」

「君が心配だった。それ以外に理由なんて有るとでも?」

「それは、ごめん……」

「こういう時は、ありがとう、って言うんだぞ? ほら、言ってごらん?」


 解は目を合わせないで言った。


「ありがとう」

「どういたしまして。次はもう少し堂々と言えるようになると良いな」


 ゆず葉が解から離れる。満足そうな笑顔だった。


「全く。君があの男に馬乗りになられた時は、心臓が飛び出るかと思ったぞ」


 解の表情が強張こわばった。


「……あんた、どうして知ってるんだ?」

「見ていたからさ。一部始終」


 ゆず葉はさらりと言った。


「あの時、警察が来たのは?」

「私が手配した。ついでに言うと、あのえない男を君にけし掛けたのも私だ。頭がハッピーになるお薬と、少しばかりのお金を渡してね」

「どういうことだ?」

「心配要らないよ。あの男は指名手配中の犯罪者でね。そのうち捕まって、死刑になる予定だった」

「そんな事は訊いてない。……あんた、俺を殺したいのか!?」

「断じて違う」


 ゆず葉は、解の目をじっと見つめた。その黒い瞳に、解は思わず気圧けおされる。


「あまり時間は無いが、これだけは言っておこう。私は君の味方だ」

「どう、いう……」


 解が言った。その声はどこか虚ろで、目線はふらふらと泳いでいた。ゆず葉は横目で、吊り下げられた点滴の袋を見た。彼女は解の背中を支えながら、彼を優しくベッドに寝かせる。毛布を掛けると、解の前髪を指でそっと梳いた。そして、囁く。


「大丈夫。今は、ゆっくりお休み」


 解は深い眠りの淵へと落ちながら、音を聞いた。その音の連なりが、子守歌である事に気付かないまま、彼の意識は途切れた。


 ◆



「やあ。目は覚めたかい?」


 解が目を覚ますと、ベッドの横にゆず葉が座っていた。解がゆっくり上半身を起こす。身体は痛むが、動く。


「……ここは?」


 病室ではないようだ。白ばかりが多い部屋だった。白い床に、白い壁。ゆず葉まで白衣を羽織っている。解のベッドの他には、ゆず葉が座る椅子が一つ有るばかり。窓すら無い。


「そんなににらまないでおくれ。君にそうやって見られると、悲しくなってしまうから」

「あの男をけしかけて、俺を殺そうとしたんだろ?」

「違う。違うよ解君」

「何が?」

「確かに、あの犯罪者をけしかけたのは私だ。だが、殺そうとはしてない。もしも、あの男が本当に君を殺してしまいそうになったら、私があの男を殺すつもりでいた」

「あんた、何言ってんだよ」

「本気だよ」


 ゆず葉が白衣の内側から取り出したのは、拳銃だった。


「本物?」

「もちろん」


 銃口を壁に向け、ゆず葉は引き金を引く。パスッという、炭酸飲料のボトルを開けた時のような間の抜けた音がした。同時に、鈍く金色に光る粒が壁にめり込んでいた。


「ほら。本物だろう?」

「だからって撃つかよ。普通」


 鼻の奥がカサカサするような匂い。これが硝煙の香りか。


「君に信じてもらうためさ。ここでの普通は、君の言う普通と少し違うんだ」


 そう言って、ゆず葉は拳銃を白衣の内側に収めた。

 全てを理解したわけではない。しかし、解は問う。


「……だけど、殺すつもりが無いのなら、どうして通り魔に襲わせた」


 すると、ゆず葉はうっすらと笑いながら答えた。


「いや。御堂解という人間を殺す必要は有ったよ」


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