EP.3
「そこで何をしている!?」
自転車に乗った警察官がいた。血まみれで転がる男と棒立ちの少年。警官の目に、この光景はどう写ったのか。
◆
解はすぐ病院に送られた。
消毒液の匂いの中、彼はベッドに横たわっていた。まだ鼓動が速い。一連の出来事が脳内で再生される。それは余りにも
その時、病室の扉がノックされた。
「どうぞ」
入ってきたのは医師だった。しかし、医師は医師でも、その人は
「……先生、何してんだよ?」
「来ちゃった」
語尾に音符でも付きそうな調子で、ゆず葉は言う。ははは、と笑いながら、彼女はベッドに腰かけた。
「おや。あまり嬉しそうじゃないね。お見舞いだって持って来たんだぞ」
「お見舞いって、こんな時間に……?」
「ああ。お見舞いの品もあるぞ。ほら」
ゆず葉が放って渡したのは、音楽用の携帯端末だった。昼間、彼女が解から没収したものだ。
「俺のだろ……。こっちは怪我してるんだ。遊びに来たんなら」
帰ってくれ、と言葉を続けられなかった。ゆず葉が、解の頭を胸に押し付けるようにして、彼を抱きすくめていたからだ。
「怖かっただろう。もう大丈夫だ」
「大した怪我じゃないから。離れてくれよ」
「嫌だ」
「は?」
ゆず葉は解の頭を撫で続ける。
「おい。止めろって」
「嬉しいくせに。もっと素直になりたまえよ」
確かに、ほんの一瞬だけ、柔らかさとか、良い匂いとか、そんなものを感じてしまった。ゆず葉を相手に。それを悟られないように、解は言う。
「別に、嬉しくねえよ。いい加減に離れてくれ」
解が引きはがしにかかるが、なかなか離れない。
「静かにしたまえ。ナースコールを押すぞ」
「勝手に押せよ」
「いいか。よく聞きたまえ。君は生徒で、私は教師なんだ。こんなところ他人に見られたら
「
それでも解は、ゆず葉を振りほどく事を止めた。頭を抱きかかえられたままで言う。
「だいたい先生、どうして来たんだよ?」
「君が心配だった。それ以外に理由なんて有るとでも?」
「それは、ごめん……」
「こういう時は、ありがとう、って言うんだぞ? ほら、言ってごらん?」
解は目を合わせないで言った。
「ありがとう」
「どういたしまして。次はもう少し堂々と言えるようになると良いな」
ゆず葉が解から離れる。満足そうな笑顔だった。
「全く。君があの男に馬乗りになられた時は、心臓が飛び出るかと思ったぞ」
解の表情が
「……あんた、どうして知ってるんだ?」
「見ていたからさ。一部始終」
ゆず葉はさらりと言った。
「あの時、警察が来たのは?」
「私が手配した。ついでに言うと、あの
「どういうことだ?」
「心配要らないよ。あの男は指名手配中の犯罪者でね。そのうち捕まって、死刑になる予定だった」
「そんな事は訊いてない。……あんた、俺を殺したいのか!?」
「断じて違う」
ゆず葉は、解の目をじっと見つめた。その黒い瞳に、解は思わず
「あまり時間は無いが、これだけは言っておこう。私は君の味方だ」
「どう、いう……」
解が言った。その声はどこか虚ろで、目線はふらふらと泳いでいた。ゆず葉は横目で、吊り下げられた点滴の袋を見た。彼女は解の背中を支えながら、彼を優しくベッドに寝かせる。毛布を掛けると、解の前髪を指でそっと梳いた。そして、囁く。
「大丈夫。今は、ゆっくりお休み」
解は深い眠りの淵へと落ちながら、音を聞いた。その音の連なりが、子守歌である事に気付かないまま、彼の意識は途切れた。
◆
「やあ。目は覚めたかい?」
解が目を覚ますと、ベッドの横にゆず葉が座っていた。解がゆっくり上半身を起こす。身体は痛むが、動く。
「……ここは?」
病室ではないようだ。白ばかりが多い部屋だった。白い床に、白い壁。ゆず葉まで白衣を羽織っている。解のベッドの他には、ゆず葉が座る椅子が一つ有るばかり。窓すら無い。
「そんなに
「あの男をけしかけて、俺を殺そうとしたんだろ?」
「違う。違うよ解君」
「何が?」
「確かに、あの犯罪者をけしかけたのは私だ。だが、殺そうとはしてない。もしも、あの男が本当に君を殺してしまいそうになったら、私があの男を殺すつもりでいた」
「あんた、何言ってんだよ」
「本気だよ」
ゆず葉が白衣の内側から取り出したのは、拳銃だった。
「本物?」
「もちろん」
銃口を壁に向け、ゆず葉は引き金を引く。パスッという、炭酸飲料のボトルを開けた時のような間の抜けた音がした。同時に、鈍く金色に光る粒が壁にめり込んでいた。
「ほら。本物だろう?」
「だからって撃つかよ。普通」
鼻の奥がカサカサするような匂い。これが硝煙の香りか。
「君に信じてもらうためさ。ここでの普通は、君の言う普通と少し違うんだ」
そう言って、ゆず葉は拳銃を白衣の内側に収めた。
全てを理解したわけではない。しかし、解は問う。
「……だけど、殺すつもりが無いのなら、どうして通り魔に襲わせた」
すると、ゆず葉はうっすらと笑いながら答えた。
「いや。御堂解という人間を殺す必要は有ったよ」
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