EP.34

「でも、それが俺の役目だから」


 そう答えると、犬養いぬかいはまじまじと解の顔を見た。


「な、何だよ?」

「凄いよ。尊敬する」

「別に」

「俺が男にこんなこと言うの、お前ぐらいだぞ」

「女には言うのかよ」

「たりめーだろ」

「お前……」

「おっと。文句なら後にしろ。そろそろ花火の時間だ。野郎ども。行くぞ!」


 花火は湖の直上で上がる。見物客は我先にと湖の周りに陣取り始める。しかし、犬養は湖に背を向けた。森都の外縁部へ歩いて行く。


「犬養。何処行くんだ?」

「そうか。お前さん、忘れたんだっけ? ……まあ、返ってラッキーじゃないの? もう一回、驚ける訳だ」


 犬養はそう言ってはぐらかす。

 辿り着いたのは、解たちが良く知った場所だった。森都総合高校。いつもの教室だ。見慣れた教卓、座席、ホワイトボードが整然と並んでいる。皆がぞろぞろ教室に入り込む。当然のように灯は点けない。


「どうして、ここに?」


 という解の問いに答えたのは、花火の爆ぜる音だった。

 教室の窓から花火が見えた。

 そびえ立つ柱の間に、花火が上がる。


「凄い……」


 解が呟いた。


「どうよ?」


 犬養の得意げな顔を、花火の閃光が一瞬、黄色く染め上げた。


「ああ。凄いよ。お前の手柄じゃないけどな」

「まあ、高校三年間だけの特権ってやつだな」

「凄いな。本当に凄い。だけど、どうやって? ……森都は天井があるのに」

「予め天井に吊ってある花火玉を、点火してから落としているのです」


 リコが答えた。


「なるほど……」


 打ち上げ方は違っても、その美しさに遜色は無かった。鮮やかな火焔が夜空を走る度、薄暗い教室にクラスメイトの輪郭が浮かび上がった。屋根のせいで爆音が反響し、余計に迫力が増す。騒々しく、だけど心地よく、腹の底に響く。

 クラスメイト達は、思い思いに花火を楽しんでいた。窓際で花火を眺める者も居れば、花火を横目に友と語らう者も居る。屋台で買ったリンゴ飴をかじる者もいた。

 解は窓の反対、廊下側の壁に寄り掛かりながら、そんな様子を眺めていた。


「悪く、ないかも」


 解は呟いた。その時だった。彼は自分の他にも、壁に寄り掛かっている人影に気付いた。花火が一瞬、その人影を照らす。

はるだ。


「あ、大洋」


 彼女も気が付いたらしい。


「お疲れ」

「大洋こそ」

「俺?」

「ダムの事、聞いたよ。すごいな。大洋は」

「一人じゃなかったから」

「それでも、すごいよ」


 そこで会話が途切れる。

 時折、爆ぜる花火が二人を照らす。解は横目に温を見た。

 その数瞬、解は言葉を忘れていた。

 綺麗だった。

 つい先ほどまで、彼女は舞台で歌っていた。衣装のままで来たらしい。彼女の身体を包むのは、群青の浴衣だ。夜に変わる少し前の空を、そのまま切り取ってきたような深い群青。そこに金銀の星々があしらわれている。「星零の歌姫」にふさわしい。

化粧もそのままだ。長い睫毛はさらに長く。そして、艶やかに。頬は桃色に染まっている。朱を塗った唇を眺めていると、何故か悪いことをしているような気にさえなる。不意に、その唇が動いた。


「流石に見過ぎじゃないかな? ちょっと照れるよ」

 

 解が慌てて目を逸らす。 


「ご、ごめん」

「別に、良いけど……」


 温がうつむく。それを見た解は、こらえきれなくなって言った。


「少し出ない?」

 

 クラスメイト達は窓の外を見ていた。温が来たことにも、こうして二人が喋っていることにも、気付いてはいない。

 温は無言で頷いた。



 ◆


 解は温と二人、誰も居ない夜の校舎を歩く。

 森都総合高校は、隣り合った二本の柱から成る。柱の間には広大な甲板が三段ほど渡されている。その二段目、実習農場へと続く扉の前に辿り着く。


「大洋。そっちは行けないよ」


 解は得意気に笑う。


「行けるよ」


 そう言って、扉横のコントロールパネルに枝枉しおうをかざす。すると、緑色のランプが点滅し、ロックが解除された。


「なんで?」

「英雄だから、かな」


 解たち適応者は、例えば異常進化生物が森都に入り込んだ場合などの緊急時に、移動が阻害されないよう、ほぼ無制限の開錠権が認められていた。もちろん、これを知るのはごく一部の者だけだが。当然、使用ログは残るので後で処罰を受けることになるだろう。それは甘んじて受けよう、と解は思う。

目の前の光景には、それだけの価値が有った。

 実習農場の中ほど。小麦の栽培区画に二人は立っていた。夜風が吹き抜け、まだ青い麦の穂を揺らす。波打つ麦畑の先には、夜空が続いていた。色とりどりの花火が弾ける夜空へ。


「綺麗……」


 温が呟く。


「君の方が」


 解は言ってから後悔した。こんな臭い台詞、取り消したい。しかし、一度、口から飛び出した言葉は、決して戻らない。このまま走って、この夜空に跳び出してやろうか。解がそんな事を思って、もだえていた時だ。


「……ありがと」


 温はうつむききながら言った。

 それが引き金だった。


「は、温!」


 思わず大きな声が出た。呼ばれた彼女が、驚いて解を見る。


「大洋?」

「えっと、何て言うか……」


 伝えたいことは決まっていた。だけど、どう言えば良いか分からない。結局、口から出たのは、こんな言葉だった。


「……好きです」


 気づけば、解は両手をぎゅっと握っていた。強く握りすぎて、汗でぐっしょりと濡れた手の平に、爪が痛いくらいに食い込む。真っ直ぐ彼女を見ることができずに、自分のつま先を見ていた。


「ありがとう。嬉しいよ」


 その言葉に解は顔を上げた。

 温は笑っていた。

 今、目の前の温は、花が咲き零れるように笑っている。

 解は、自分の身体から力が抜けるのを感じた。

 その笑顔を、解はよく知っていた。テレビの画面で、ポスターで、何度だって見たから。酷く美しいそれは、だけど造られた笑顔。それは「星零の歌姫」の表情だ。雪村温が、思い人に向ける笑顔ではなかった。



「……何で?」 


 呟いた言葉は、花火の音が掻き消した。それでも温は、解の表情で、彼の言いたい事が分かったらしい。


「ねえ、大洋。キスしようよ」


 造った笑顔のまま、温が言った。

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