EP.35

「ねえ、大洋。キスしようよ」


 造った笑顔のまま、はるが言った。


 どこか投げやりなその言葉。瞳に溜まった涙。解は悟っていた。彼女は、雪村温は、自分の事を好きではない。これっぽっちだって愛してなどいないのだ。その事を、温自身さえも認めたくなくて、口づけをせがむ。

 解は項垂れた。


「できない」

「……ごめん。怒ってるよね」

「怒ってなんかない」


 ただ、戸惑っていた。

 何故、と。

 最初に告白したのは君じゃないか、と。

 枝枉しおうだって使いこなした。

 バケモノをほふり、ダムを壊し、森都を救った。

 しかし、何故。


「……俺、何かしたかな?」

「分からない。分からないんだ」


 温は首を振った。


「君が好きだって、君のためなら声だって枯らしても良いって、そう言ったのは、本気なんだ。嘘じゃない。嘘じゃないんだよ」


 言葉と一緒に、温の目からは涙が溢れる。


「……大洋は、いつも笑ってた。……森都のために、戦わなくちゃいけないのに、ずっと笑ってた。きっと辛いはずなのに。……すごいなって。本当にすごいなって思った。……君を見ていると、勇気を貰えたんだ。……だから、ボクも、君を支えたいって……ずっと、ずっと思ってた。……本当に君の事を。……本当に」


 これが「星零の歌姫」か。泣きじゃくりながら、壊れたラジオのように「本当だよ」と、何度も何度も繰り返す。その様は余りにも痛々しかった。


「……誰かを好きって気持ちは、こんなに簡単に変わっちゃうモノなの?」


 その問いで、解は気付く。温が慕っていたのは森都の英雄ではなく、「大島大洋」その人なのだと。千の怪物を屠ったとしても、それは森都の英雄であって、「大島大洋」ではない。

 枝枉を扱えたところで、御堂解は、御堂解でしかない。「大島大洋」ではないのだ。だから、温に愛して貰えるはずがない。そんな簡単な事を、解は今になって理解した。

 しかし、温は「大島大洋」への思いが変わってしまったと誤解していた。自分の恋心はこんなに薄っぺらい。人を愛する資格なんて無いのだと、温は自分自身を責める。


「そうか。俺はクズだ……」


 解にはもう、嘘を吐き通す事は出来なかった。


「違うよ」


 解は言った。

 彼女の気持ちは変わってなどいない。

 最初から、ずっと一人、「大島大洋」にだけ向いていた。

 泣きじゃくる彼女を前に、解はこらえきれず言った。


「嘘を吐いていたのは、俺だ」

「……大洋?」

「俺は「大島大洋」じゃない」


 解はその言葉を口にした。

 温の顔に、困惑の色がありありと浮かぶ。


「それは、どういうこと?」

「言葉の通り、俺は「大島大洋」じゃない」

「嘘だよ。どう見ても大洋だ」

「君は俺が好きか?」


 温が言葉に詰まる。


「だ、だったら、君は誰なの!?」

「俺は……」


 何だろうか。一瞬、悩んでから、解は答えた。


「俺は「大島大洋」の複製クローン。彼の予備だ」

「クローンって、あのクローン」

「そうだよ。あのSFに出てくるやつ」

「じゃ、じゃあ、記憶を失くしたっていうのは?」

「嘘だ。最初から何も知らない」

「それなら、大洋は!?」

「死んだ」


 花火が爆ぜる。


「嘘だよ……。本当は、大洋なんでしょ?」


 解は何も答えない。ただ、風が麦畑を吹き抜ける。


「ドッキリなんだよね? どうせ、またボクの事、からかってるんでしょ?」

「見てくれ」


 解は、おもむろに上着を脱いだ。その下のシャツも脱ぎ、肌を晒す。

 つるりとした肌。傷はほとんど無い。幾つかの傷は、昨日の青梅湖と、先日の崩落事故の際の物だ。森都の為に任務をこなしてきた「大島大洋」であれば、その身体に、無数の傷が刻まれているだろうと解は踏んだ。やはり、そうだったらしい。解の身体に刻まれた僅かな傷跡は、温の記憶の中のそれと、当然ながら違ったらしい。

解の身体を見て、温が息を呑む。


「……本当の、本当に、大洋じゃないの?」

「「大島大洋」の死体なら、森都の何処かに在る」


 温はふらふらと解に歩み寄り、彼の両肩に手を置く。


「大洋、お願いだよ。嘘だって言って……」


 しかし、それが在り得ない事は、温も薄々、分かってはいたのだ。

 何故なら、目の前の人間を、温は微塵も愛せないのだから。

 それでもすがってしまう。しかし、解の首に回した腕が、そっと外された。顔を上げてみれば、「大島大洋」と全く同じ姿形の人間が、悲しそうに首を振っていた。

 温が泣き崩れる。解は見ていられなくなった。それでも、偽物の自分が慰める訳にもいかない。彼女に背を向けた。

 その時だった。

 温が、後ろから解を抱きしめた。


「何も言わないで」

 

 口を開きかけた解を、温が制する。


「振り向かないで」


 その声は震えていた。


「あと少しだけ、大洋でいて」


 大好きだった人と同じ背中。その背中を抱きしめながら、温は息を吸った。花火が彩る夜空を精一杯に吸い込むと、それを歌に換えて吐き出す。

 その歌は、森都の天井さえも超えて、遥か空の先、星々までも届くようだった。だから、解の薄っぺらい胸など簡単に突き抜けて、彼の心を揺らす。

 想い人に伝えられなかった気持ちが、ずっと胸の中、澱のように沈んでいる。この気持ちを、どうすれば良いのか。こんなにもあなたが好きなのに。

 酷く美しい歌。

 だけど、その歌は決して届くことは無い。

 温がどれだけ声を枯らそうとも、意味なんて無いのだ。

 もはや「大島大洋」は、この世界に存在しないのだから。

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