EP.16

「……だったら、俺は誰だ」


 彼が呟いた。「御堂解」は死んだ。しかし、変換杖は制御できない。そんな俺は、一体、誰なのか。答えの出ない問いかけが、無人の部屋に吸い込まれて、消えた。




 日が暮れようとしていた。明かりも点けず、解は部屋に佇んでいた。その時、チャイムが鳴る。モニターにはゆず葉が写っていた。


「一緒に晩御飯でもと思ったんだが、……何か有ったのか?」


 扉を開けるなり、ゆず葉は言った。解の表情が余りに暗かった。


「別に、何も無いよ」

 

 ゆず葉が部屋を見渡す。カウンターに写真が置かれていた。東雲姉妹や、温も写っている。中心に写っているのは「大島大洋」だった。ゆず葉はため息を吐いた。


「……そうか。君が何も無いと言うのであれば、そうなのだろう」

「変換杖の訓練がしたい」

「これからか? 流石に急だぞ」

「ああ」

「そう急ぐこともないだろう」

「今すぐしたい」

「だが、今日は姉妹も出払っている。森都の周りを、異常進化生物がうろついていてな。護衛抜きで出歩くのは推奨しない」

「頼む」

「…………全く。宮藤にどやされるのは、私なんだぞ?」

「悪い。貸しにしておいてくれ」

「ああ。今日は添い寝だ」

「良いよ」

「大洋君。本当に、何が有ったんだ?」 


 その後、ゆず葉は渋々、解を三七研へと連れて行った。解は一心不乱に変換杖の訓練に励んだ。しかし、その日も何の成果も得られないまま、時間だけが過ぎた。



 ◆


「流石に、恥ずかしいんだけど……」


 解の右手は、リコの左手に繋がれていた。一方、左手はリツの右手に繋がれている。


「何か言いましたか?」

「……手を繋ぐのは、止めないかな、って」

「ダメです」


 満面の笑みでリコが答えた。しかし、怒っていることが分かる。


「こうしていないと、大洋くん、何処かに行ってしまうじゃないですか」


 リコは、解が昨日、姉妹に無断で変換杖の訓練をしていた事を言っていた。そういう訳で、解は姉妹に両手を引かれながら登校していた。

 リコとリツは森都総合高校の制服に身を包んでいた。緑を基調としたプリーツスカートと、ブレザー。リコは、きちんと襟元でリボンを留めていた。膝もスカートで隠れている。いかにも優等生といった着こなしだ。しかし、その下に合わせた薄黄緑のカーディガンが鮮やかで、重い印象を与えない。

 解は一瞬、彼女の脚を盗み見た。黒いレギンスに包み込まれることで、その輪郭が際立ち、余計に艶めかしく見える。素肌は見えないのに。

 一方、リツはお洒落に着崩しているのか、適当に着たらそうなったのか、いまいち判然としない。第一ボタンは当然の如く開けてあった。スカートの丈がやけに短い。と言うのも、編み込みの黒ブーツを履いているからだ。変換杖・黒蓮であった。


「おいおい、大洋! 復帰したと思ったら、いきなり両手に花とは恐れ入った!」


 店を開けたばかりの八百屋の店主が、解たちに野次を飛ばす。

 解の宿舎から学校まで道のりに、森都西商業地区は有った。まだ朝も早いが、ぽつぽつと店が開き始めている。

 そんな商店街を制服姿の少女二人に手を引かれて歩いているのだ。「大島大洋」はただでさえ有名なので嫌でも目立つ。通行人は解たちを認めると笑顔で声を掛ける。リコはにこやかに挨拶を返しながら、ヒラヒラと手を振る。リツは何故か少し誇らしげな表情をしていた。解は顔を赤くするばかり。

 商店街の店主たちは店先の商品を引っ掴むと「退院祝いだ。持っていけ!」と押し付けてくる。しかし、リコがそれをやんわりと断った。肉屋のメンチカツだけはリツが受け取っていたけれど。


「やっぱり目立つよ」


 解が言う。


「私たちと手を繋ぐのは、嫌ですか?」

「そういう訳じゃないけど……」


 ふと、リツが雑貨屋の店主を手招きした。駆け寄って来た店主に耳打ちをする。すると、彼は大急ぎで店からロープを持ってきた。


「私と手を繋ぐのと、縄に繋がれるの、どっち?」


 リツが恐ろしいことを訊く。


「……手で、お願いします」


 結局、学校に着いたのは予鈴間際だった。


「ここが俺達の教室?」

「そうです。防衛科一年、第三クラスです」


 解が扉を開ける。


「大洋‼ 復活おめでとう‼」


 クラス一同、唱和する。


「……え?」


 教室の入口で解が戸惑っていると、リコとリツが、解の背中をポンと押す。解はふらふらと教壇の前に歩み出る。皆、思い思いに解の復帰を祝う。総勢、四十人ほどの知らない高校生。初対面の彼らが、まるで十年来の知己ちきのように話しかけてくる。

 不気味だ、と思った。しかし、俺は「大島大洋」なのだと自分自身に言い聞かせて、解はなんとか笑顔を作る。

 その時、一人だけ知っている顔を見つけた。

 雪村温だ。

 心臓が、とくん、と跳ねた。解は思わず目を逸らす。


「酷いなー。今、目、合ったよね?」


 温の方から解に近づいて来た。


「あ、ごめん……」


 解がしどろもどろに返事をする。そんな彼の様子を見て、リコが尋ねる。


「温は大洋くんが退院してから、もう会っていましたっけ?」

「うん。昨日ね」


 明らかに様子がおかしい解を横目に、リコがさらに尋ねる。


「何か有ったのですか?」

「大したことじゃないよ。ボクが告白して、振られただけだから」


 和やかだったクラスが、一瞬で凍り付く。


「あの、温?」

「ん?」

「告白って?」

「え? 好きです、って言う事だよ。もしかしてリコ、知らないの?」

「それは知っていますけど……」


 クラスメイト達は、一歩引いたところで様子を伺っていた。

詳細を知りたい。

 誰もがそう思っていた。あの「星零の歌姫」の恋愛など、これ以上ないほどにドラマチックだ。しかし、繊細な話題。余り突っ込んだ質問をしても良いのだろうか、と彼らは戸惑っていた。ただ、一人だけ、そんな心の機微きびをまるで理解しない男が居た。


「おい大洋! どういうことだ!?」


 叫んだのは犬養大樹いぬかいひろき。そんな名前の男だった。短く刈り込んだ髪が快活な印象を与える。背も高く、引き締まった身体をしていた。


「だから、告白して振られたの。何度も言わせないで欲しいな」

 温が不機嫌そうに答えた。


「大洋! お前は馬鹿なのか!?」


 犬養が叫ぶ。物怖じせず、思ったことをハッキリ言う。解の苦手な人種だった。


「……いや、初対面だし。……覚えてなくて」

「知ってるよ! 記憶喪失だってな。でもそんなの関係無え! 雪村だぞ!? 本能でオーケーするだろうが! 普通は!」

「うわぁ……」

「クズだよ、クズ」

「クズの中でもクズ」


 女子の非難が犬養に降り注ぐ。しかし、そんな罵倒はどこ吹く風。彼は言った。


「大洋。記憶と一緒にタマまで失くしたか?」

「は?」


 不意に、犬養が解の股間こかん鷲掴わしづかみにした。


「うっ!」


 解が悶絶もんぜつする。


「犬養最低!」

「死ね!」

「なるべく苦しんで死ね!」


 女子が土砂降りの罵倒を浴びせる。


「黙れお前ら!」


 犬養の凄まじい形相ぎょうそう。その一喝で、彼女たちを黙らせた。そして、恐る恐る言った。


「……無い」

「有るわ!」


 解が叫んだ。

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