EP.18

空を見上げていた。

ギザギザの縁に切り取られた空。

青い。

しかし、遠い。

解はゆっくりと身体を起こす。部分的に陥没した地面。その縦穴の底に彼は居た。辺りには瓦礫が散乱している。


「何で……」

 

両目を手の平でおおいながら、記憶を手繰り寄せる。


 トーストとコーヒー。今日の朝食だ。それから東雲しののめ姉妹と一緒に学校へ行った。授業は難しい。取り残される。実技はもっと付いて行けない。やがて、終業のベルが鳴る。それから変換杖の訓練が始まる。けれど何の進歩も無いまま、今日も氷の柱を立てるだけで終わった。


「あ」


解は思い出す。変換杖の訓練の帰り道だ。

普段通り、東雲姉妹に付き添われ、解は装甲車に乗り込んだ。しかし、途中で装甲車は止まった。運転手が言うにはエンジンの故障らしい。森都までそう遠くはないので歩くことになった。そして、しばらく歩いた頃だ。解は爆発音を聞いた。それが何の音か分かる前に、視界が黒く染まる。そこで意識が途切れた。

気付けばこの大穴の底で空を見上げていた。

解はバネ仕掛けのように立ち上がる。

一緒に居たリコやリツ、運転手の姿が見当たらない。何処へ行ったのか。解は瓦礫の山を探し回る。そして、姉妹を見つけた。並んで倒れている。苦しむ様子はない。それとも、もう苦しむ必要も無いということか。


「大丈夫か! しっかりしろ!」

「……んっ」


 そんな音がリコの口からこぼれた。ゆっくり、まぶたが上がる。その濡れた漆黒の瞳は、確かに解を捉えた。


「……大洋君。ここは?」

「地下通路が崩れたんだと思う」


 流石と言うべきか、それだけでリコは状況を把握した。すぐさま自分の身体に異常が無いか確かめる。その間に、隣に倒れていたリツも目を覚ました。


「ふぁー。良く寝たなあ……」

「お姉ちゃん……。緊急事態なのです」


 リコが呆れながら言った。瓦礫がれきの山がリツの目に入る。


「あ、本当だ」


リツも、そこからの動きは速かった。リコと同様、自己診察を手早く済ませ、装備の有無を確認する。黒い刀身のセラミックナイフに、〇六式拳銃。青春の象徴ともいうべき制服の内側から、そんな物騒なモノが転がり出る。


「うん。全部、有る」

「怪我は?」

「無いよ。リコは?」

り傷が少し」

「私もそんな感じ。大洋は……平気そうだね」


 三人は改めて周囲を見渡す。穴の底には瓦礫が散乱していた。その混沌こんとんとした崩落跡の中で、三人の人間のみが平静を保っている。


 解たちは瓦礫を掻き分けて装甲車の運転手を探した。しかし、彼だけは見つからなかった。これだけの事故だ。三人の命が有るだけでも奇跡だった。


「崩落したのに、なんで俺たちの上には瓦礫が無いんだろう?」


 下敷きになってもおかしくないのに、と解は疑問を口にする。


「私たちの真上で、爆発が起きたのかもしれません」


 リコが言うに、「森」では爆発がまれに起こるらしい。ここは大都市東京の跡だ。その名残なごりで、ガソリンなどの燃料や、様々な薬品が地面に沁み込んでいる。そうした液体が地下の隙間で気化し、何かの拍子に爆発することが有るらしい。今回は、それが解たちの真上で起きた。


「おかげで、爆風が瓦礫を吹き飛ばしたのかもしれません」


 出来すぎだろう、と解は思う。推論を語るリコ自身も納得はしていなかった。しかし、目の前の現実を受け入れざるを得ない。この瓦礫の山。そして、自分たちは生きているという事実。

 日が傾き始める頃、瓦礫を退ける作業の手を止めて、リコが言った。


「暗くなると危険です。その前に、安全地帯を確保しましょう」


 解たちは大穴から這い出した。穴から出ると、そこは「森」だった。東日本を覆いつくす、立ち入り禁止の「森」。目の前に苔むした像が有った。辛うじて犬の形だと分かる。リツがその像の台座を、靴の底で擦った。


『忠犬ハチ公』


 そんな文字が現れる。


「すごい。渋谷じゃん」


 リツが呟く。今やその街は、例えば「渋谷風コーディネート」のように、お洒落な形容詞として名前を留めるのみ。かつては、細長いビルがひしめき合っていたのだろう。現在、代わりに大樹がそびえ立つ。広げた枝葉が空を覆い尽くしていた。


「ここが渋谷駅前なら、西に行けば道玄どうげん坂ですね。森ですけど」


 リコが脳内に地図を広げながら呟く。


「移動するのか?」

「はい。そのつもりです」

「移動したら、救助が見つけにくいんじゃ?」

「救助なら来ません」

「え?」

「来れないのです」


 リコはそれ以上、解の疑問に答えようとはしなかった。ただ、足早に西を目指す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る