EP.38



 人造天才テイラード・ジーニアス計画

 

 そんな聞き慣れない単語が、ゆず葉の口から洩れた。


『太平洋戦争に負け、武器を取り上げられた日本は、大国の核の傘に守られて辛うじて存在している。世界有数の工業力? 確かにな。しかし、その原料も、動力となる燃料も、日本では採れない。他所から運ばれてきたものだ。柵に囲って貰って、餌を与えられて、辛うじて生きている。まさに家畜だよ。当時のお偉方は、どうにかしなければと憂い、策を練った。しかし、困ったことに良い案が浮かばない』


 ゆず葉が笑いだす。


『そこで彼らは開き直った。「俺達が頭を突き合わせたところで、ろくな考えが浮かばない。だったら、もっと頭の良い人間に考えて貰おう!」と。阿保だろ』

「それで、人造天才計画?」

『そうさ。簡単に言ってしまえば、行き過ぎた英才教育だ。薬物、催眠、暗示、そして遺伝子操作。何でも有りだ。隔離された施設に子供たちを集め、朝から晩まで教育を施す』


 解が唾を呑み込む。


「……それで、どうなったんだ?」

『多くの者は成長する前に狂った。彼ら、彼女らがどうなったかは分からないが、おおむね想像通りだろう。結局、十二歳を超えて生き残ったのは僅かに数人だった』

「一応、成功はしたのか?」

『いや、失敗した』

「でも、先生は?」

『ああ。確かに、私は極めて優秀だったよ。しかし、優秀でしかなかった』


 彼女は自嘲気味に笑う。


「どういう事だ?」

『私は、学問と名の付くものであれば、大抵は修めていると言ったね?』

「あ、ああ」

『私は一度聴いただけで、ショパンを弾くことができる。しかし、彼のような旋律を生み出すことはできない。アインシュタインの相対性理論を理解することは容易い。しかし、あの数式を閃くことはできない。ゴッホの『ひまわり』を寸分の狂いなく模写する事はできても、真っ白なカンバスを前にしたら筆は動かない。つまり、私ができるのは結局、既に誰かができる何かを、より早く、より正確にできるというだけなんだ。天才とは常識を覆す人間の事だ。私は、あくまで凡人の延長線上に在る。人造天才計画の目的は、凡人には思いつかない事を思いつく人間だよ? 極めて優秀な凡人ではない』

「それでも凄いだろ」

『百の事ができる私を一人造るより、一つの事ができる専門家を百人教育する方が、遥かに安上がりだ。結局、計画は凍結されたよ』

「……それから、先生は?」

『私もね、失敗作がどんな扱いを受けるのか恐々としていた。しかし、その後は意外なほど好待遇だった。世の中にはね、公にできない研究という物が幾つか存在する。私は天才としては出来損ないでも、技師としては一流、いや、それ以上だった。しかも、初めから戸籍も身寄りも無いから、足が着く事も無い。私は様々な研究に携わった。……その一つが、君の複製計画だ』


 インカムの向こう側、薄暗い部屋で、ゆず葉は無意識に自分の下腹部を撫でていた。


『君は昔ね、私のお腹に居たんだよ』

「……は? だって、俺、複製だって」

『身体を貸しただけさ。おいおい。試験管に受精卵を突っ込んだら、赤ちゃんが育つとでも思っているのか? SFの読み過ぎだぞ』


 たった一つの細胞が一人の人間になる。その極めて精妙な過程を再現するだけの科学を、人類は未だ持合わせていなかった。クローンを造ろうと思ったら、受精卵を本物の子宮に移す必要が有った。代理母だ。


『皮肉だね。月さえ踏みつけた人間の、まだ届かない謎が、自分達の身体の中に有るなんてね。生命の神秘だよ』


 ゆず葉は笑う。


『君の複製計画には、私も一人の技術者として参加した。そして、代理母の役を割り当てられた。都合が良かったんだね。私は医者でもあったし、死んでも処分に困らない。戸籍も無いからね』

「じゃあ、先生がやたらと俺を構うのは……」

『不思議な事にね、いつの間にか情が湧いていたみたいだ。或いは、私自身を君と重ねていたのかもしれない。天才として造られた私と、英雄として造られた君。お互いに、生きる意味を自分では選べない人間だ。……しかし、どうやら君は、私とは違ったようだ』

「何が?」

『君は「大島大洋」という与えられた役割に翻弄されながらも、雪村君の為に、命を懸けることを選んだ。私には君が眩しく見えたよ』

「俺はただ、俺のせいで、温を死なせたくなかっただけだ」

『極論すれば、複製など造らなければ、雪村君が死ぬことは無かった。そもそも、君も巻き込まれたに過ぎない。君だって被害者なんだ』

「それでも、温が死ぬのは違う」

『私には、そうは思えなかった』


 ゆず葉は自嘲気味に笑う。


『私はね、世界を呪ったよ。何故、私など造り出したのか、と』


 虚ろな目をした少女は、しかし、超人的に優秀だった。様々な研究が彼女を必要とした。そして、彼女は軍事関連の分野にばかり、好んで参加した。例えば、変換杖。そして、適応者の複製。まるで、世界など壊れてしまえと言わんばかりに。


『君に過酷な運命を背負わせてしまった原因の一部は、間違いなく私に在る。私の、心の弱さに。……解君。君は私を恨むか?』


 解は何も答えられなかった。


『恨んでくれて良い。君には何の過誤も、落ち度も無い』


 自分は悲劇の主人公。確かに、そう考えてしまえば楽なのかもしれない。そう考えれば良い。そう考えてしまえ。ゆず葉からの、そんな提案に思えた。しかし、解は言った。


「……分からない」

『そうか』

「先生。俺、そろそろ行くよ」


 解は装甲車を降りた。

 旧恵比寿駅。その地下ホーム。ここだけ時間が 止まってしまったようだった。エスカレータを登ると、その先に見覚えのあるロッカーが有った。


「先生、どうすれば良い?」

『その辺の壁を吹き飛ばせ。爆薬が有っただろう?』


 流石のゆず葉も、三七研のセキュリティシステムに侵入することは出来なかった。後はもう、物理的に壁を壊すしかない。解はバックパックに詰め込まれた、羊羹のような爆薬を取り出す。ずっしりと重い。


『使い方は分かるか?』

「一応、学校で」


 解は爆薬を壁面にテープで固定し、起爆装置と接続。スイッチを押し、階下に避難する。数十秒後、廃墟に爆音が響いた。解が戻ってみれば、コンクリートの壁が吹き飛んでいた。しかし、その下に、もう一枚壁があったらしい。黒々としたその壁は、表面に僅かな傷がついているだけで、ビクともしていない。


『強化チタニウムを主体とした強固な隔壁だ。もちろん、爆弾ごときでは破れない』

「じゃあ、どうすれば?」

『所詮は結晶さ。ただ、少し硬いだけの話だ』


 ゆず葉の言葉が意味する事はすぐに分かった。解は枝枉を抜く。その変換杖を以てすれば、結晶構造、つまり、原子の並びを変えてしまえる。どれほど強固な壁であろうと、何の意味も無い。


『三七研の中には、外部の電波は届かない。つまり、私は君をサポートすることができない』

「ああ。分かってる」

『今ならまだ、私が事を納められる。雪村君を諦めれば……。解君。引き返す最後のチャンスだ』

「先生。ありがとう。心配してくれて」


 解は枝枉を隔壁に触れさせた。規則的な原子の配列。それを、ほんの僅かに狂わせる。その綻びは、結晶全体を侵食していく。目の前の壁に、蜘蛛の巣状のひび割れが走った。解が蹴り飛ばす。盛大に音を立てて崩れた。人間が一人通れるほどの穴が開く。

 しかし、壁が崩れたというのに、何の反応も無い。

 解は意を決し、踏み込む。

 誰も居ない。

真っ白い、広大なエントランスホール。本当に何も無い。前方の温室以外には。

 それは立方体のガラスの箱だった。一切の柱を排し、ガラスだけで造られた巨大な箱だ。人口太陽灯で照らされた内部には、一本の楡の木が生えていた。その根元に、白と、淡い青の花が造り出す、花畑が広がっている。春の原野を空間ごと切り取ったような、その光景。三七研に来る度、目にしていた。そこに、今日は一つだけ違う所が有る。楡の木の根元、花に抱かれるように一人の少女が眠っていた。


「温!」


 解は駆け寄ると、ガラスに額を押し付けるようにして叫ぶ。しかし、少女は横たわったままだ。


「美しかろう?」


 不意に、後ろから声が聞こえた。


「……あんた、宮藤」


 いつの間に現れたのか、森都の知事は、解の隣に立っていた。視線は壁の向こうの温に向けたままで言った。

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