EP.37
「断じて、許容することはできない」
ゆず葉はそう言いながら、携帯端末の画面を、解の顔前に突き出す。
『私も協力しよう』
液晶にはそんな文章が映し出されていた。解が戸惑っていると、ゆず葉は唇の前で人差し指を立てた。喋るな、ということらしい。
数分後、解は、ゆず葉が運転する車の助手席に座っていた。彼女は片手でハンドルを転がしながら、もう片方の手で携帯端末に文字を入力する。喋るのと変わらない速度だ。
『雪村君はおそらく第三十七研究所に居る。まともに戦っても勝算は皆無だ。時間の勝負だ。私はこれから森都の基幹システムにハッキングして電気系統を乱す。その混乱が収まらないうちに、君は雪村君を助け出せ』
やがて、車が第二番柱に着く。
『ここで待っていろ』
ゆず葉は携帯端末の画面を解に見せる。インカムを解に渡すと車を降りた。
彼女が第二番柱に消えて、三十分ほど経った頃だ。二番柱の灯りが消えた。それだけではない。付近の建物も同様に灯りが消える。間違いなくゆず葉の仕業だ。
闇の中に佇む黒いコンクリートの巨塔は、威圧感が有った。
解はそれを、見上げるようにして睨む。
無意識のうちに、腰に吊った枝枉に触れていた。
息を吸って吐くと、解はその黒い塔に向かって歩き出す。
建物の中も真っ暗だった。
「懐中電灯はどこだ!」
エントランスに、そんな声が飛び交っている。この暗闇に解が紛れ込んでいることなど誰も気が付かない。
停電のためエレベーターは動かない。解は非常階段で地下を目指す。しかし、その階段も地下二十階で途切れている。解は階段の近くの、ほとんど誰も使っていない倉庫に駆け込む。部屋の奥に並んだロッカー。その右から三番目。解は扉を開けると、中に入っていた書類の束を掻き出す。
「……あった」
ロッカーの壁面に細い線が刻まれていた。注意していないと見過ごしてしまうほどに細いスリットだ。解はそこに、ゆず葉から預かったIDカードを差し込む。
バタンッと音がして、隣のロッカーの扉が開いた。
そこに地下二十階へと続く階段が有った。
階段を降りると、三七研へ続く地下通路に辿り着く。不気味なくらいの静謐が詰まった空間。青白いLEDが規則正しく並ぶ。解は懐に忍ばせたインカムを着けた。
「先生。着いたよ」
『了解。予定通りだな。そこら辺に車庫が有るだろう?』
「ああ」
『装甲車が入ってるはずだ。運転はできるな?』
「したことない」
『大丈夫だ。右のペダルがアクセル。左がブレーキ。ハンドルを回した方に曲がる。簡単だろう?』
「本気かよ……」
呟きながらも、解は運転席に座る。思っていたよりも視点が高かった。
『サイドブレーキを戻したら、レバーはDに入れておけ。通行人なんてどうせ居ないからな。壁に少しくらいぶつかろうが気にするな』
「こうなったらヤケだ」
『良いぞ。その意気だ』
インカムから笑い声が聞こえた。アクセルをそっと踏むと、巨大な車両がノロノロと動き出す。車体が半分ほど車庫から出たところで、解はハンドルを左に切る。
「うわ! 曲がった!?」
『それは曲がるだろうな』
しかし、左折の際、車庫の角に車体を盛大に擦ってしまう。ガリガリという振動がシートから伝わる。
「あれ? ぶつかった? え?」
『それが内輪差という奴だ。何の問題も無い』
ゆず葉が言った。
静寂が詰まったトンネルには、規則正しくLED照明が並ぶ。アクセルを踏み込むと、それが後ろへ流れて行く。さらに踏み込む。並んだLEDが線のように見え始めた。
やがて、前方に駅の廃墟が見えた。解がブレーキを踏みつけると、車体がつんのめるようにして止まる。
『待て』
車から降りようとした解を、ゆず葉が制した。
『周りに何か無いか?』
「……いや。何も」
『そうか』
「何か有った?」
『何も無い。妨害が無さすぎる。むしろ、不自然だ』
「それは先生がハッキングしたから」
『三七研は、その研究所自体が存在しないことになっている。中に在るのはエントロピー変換杖と、クローンの研究施設。森都の最重要機密だ。上に載っているビルの電気系統とは別システムだ』
ゆず葉は、むしろ次々と妨害が入ることを予想していた。解が正体を暴露したことさえ、すぐに嗅ぎつけた程だ。解がここに居ることなど、既に気付かれているだろう。それなのに何の障害も無い。
『……解君。罠だよ』
「分かっていた事だ」
『そうだ。分かっていた。……分かっていたが、怖い。君が、死ぬかもしれない』
その声が震えていた。ゆず葉は、今にも泣きそうだった。そんな、彼女の声を聞いて、思わず解は訊いた。
「どうしてだよ?」
『何?』
「どうして先生は、そこまで俺を気にしてくれるんだ?」
思えば、ゆず葉は森都に来る前からも、森都に来てからも、ずっと解の事を気にかけてくれた。それどころか、今はこうして、解と共に森都を敵に回している。
「先生。どうしてだよ?」
解が問う。返って来た答えは、あまりに予想外なものだった。
『
「贖罪?」
しばしの沈黙。やがて、ゆず葉は観念したように言った。
「……そうだな。この際だ。君には話しておくべきだろう」
敵は三七研の中で、解が来るのを待ち構えているはずだった。逆に言えば、今すぐ攻めてくるつもりは無いという事だ。死地に踏み込むその前に、解たちには幾ばくかの時間が与えられた。ゆず葉はその時間を、告白に当てた。彼女は言葉を選びながら、言った。
『私もね、造られた人間だ』
「造られた人間?」
意味が分からず、解は訊き返す。
『言葉通りさ。私も、生まれる前から、生きる理由が決まっていた人間だ』
そんな聞き慣れない単語が、ゆず葉の口から洩れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます