EP.39

「美しかろう?」


 不意に、後ろから声が聞こえた。


「……あんた、宮藤」


いつの間に現れたのか、森都の知事は解の隣に立っていた。視線は壁の向こうの温に向けたままで言った。


「彼女なら生きているよ」

はるをどうするつもりだ?」

「ハル? ……ああ。望月君のことか。それなら、このままガラスの箱ごと、氷漬けにしようかと思っている」

「は?」

「これほど美しいんだ。火葬は勿体ないだろう? 灰になってしまう。氷漬けにすれば、美しいままで、森都と共にいつまでも残る。その方が良い」

「あんた、何言ってんだよ?」

「冗談だよ。彼女の複製クローンを造ろうと思うんだ。これほどの才能だからね。素材は損ねずに保存しておきたい。だから氷漬けにするんだ」

「……複製って、なんで?」


 問うまでもないことを問う。


「望月詩灯には死んでもらうからだ」


 予想通りの答えが返ってきた。


「俺が「大島大洋」じゃない事を知ったからか?」 

「そうだよ。責任を感じているのかい?」


 当然だ。


「交渉の余地はあるか?」


 俺が問うと、宮藤はくつくつと笑う。


「君のそういうところは嫌いじゃない」

 

そして、言った。


「交渉の余地は無い」

「どうして? わざわざ金も、手間もかけて、温を歌姫にしたのはお前らだろ?」


 彼女の歌に合わせて、人工衛星から金属ペレットを撒くことで、人為的に流星群を造り出したのだ。奇跡を演じてまで一人の少女を歌姫に変えた。


「よく知っているね。その通りだよ。彼女は我々が造った。政府のための宣伝塔として」

「だったら、どうして殺す?」

「金と手間をかけて彼女を造ったのは、それ以上の金を彼女が生み出すからだよ。 ……君は歌姫の経済効果を知っているかい?」

「……いや。知らない」

「かつての伝説的な歌姫、テイラースウィフトは、一度の全米ツアーで約十億ドルを稼いだ」


 十億ドル。当時のレートならば、約一五〇〇億円ほどか。


「恐ろしいのは、十億ドルという数字があくまで興行収入ということだよ。つまり、観客が移動するための飛行機、宿泊するホテル、食事、その他諸々消費する品々と言った費用は含まれていない。これらを含めれば、経済効果は一兆円を超えると試算されているよ」

「一兆……」

「下手な経済政策を打つより、歌姫が一人いれば良い。望月詩歌も同じだけのポテンシャルを持つ。いや。それ以上だ」


 工藤は語る。

日本の半分が「森」に沈んだ。単純な話、二つに一つの会社が倒産した事になる。優秀な人間の、二人に一人が死んだ事になる。産業は瀕死。資源も出ない。未来に希望が持てない、どころの話ではない。今日よりも暗い明日の光景ばかりが、ありありと浮かぶ。

 そんな中、流星と共に現れた一人の歌姫。

 もはや、宗教とさえ呼んでも良いのかもしれない。

 人々が熱中しないはずがない。


「そんな金、何のために?」

「最終的には、君を造る複製技術のためだ」

「現に成功している」


 成功例である解は言った。


「我々の目標は、人間の複製を造る事ではない。その先が有る」

「その先?」

「ああ。その為には、金も、人材も、もっともっと投入する必要が有る」


 宮藤はその計画を語る。

 サングラスの下で、宮藤の眼は笑っていたのかもしれない。

 解は変換杖の先端を、宮藤の鼻先に突き付ける。


「答えろ」

「何を?」

「その先に何が有る?」

「その先、とは?」

「温を殺して、複製なんて造って、その先に何が有る? 答えろ宮藤」

「世界を「森」に沈める」

「ふざけるな」

「本気だよ」

「……そんな事、できるはずが無い」

「可能だ。君と、枝枉しおうがあれば」


 宮藤は断言した。


「「森」は凄まじい速度で成長するが、人間が制御できない速さではない。現に、日本は「壁」で「森」を封じ込めているわけだ。逆に言えば、政府や軍隊が正常に機能していなければ「森」は止められない。簡単だよ。幾つかの施設を潰せば良い。議会、銀行、空港、港湾、鉄道、テレビ塔、発電所、軍隊の司令部。それさえ押さえれば、国はまともに機能しない。後は「苗」を植えれば、「森」は勝手に殖え、世界を覆う」

「警察や軍隊が居る。事前に防がれる」

「確かに、重火器や爆弾を担いだテロリストならば、防ぎようもある。しかし、変換杖は無理だ。何故なら、世界はそんな武器の存在を知らないからだ。人が立ち入れぬはずの森の中、存在しないはずの都市で造られた武器など、知るはずがない。その威力に気付くのは、国が機能しなくなった後だ」


 街の喧騒。行きかう人々。その中に、何の前触れも無く戦車が現れたとして、防ぐ方法は在るのか。解はまさに「見えない戦車」だ。破壊を巻き起こす変換杖を腰にぶら下げ、平然とスクランブル交差点を歩ける。そんな存在が、彼だった。


「忘れたのか? バケモノを屠り、ダムさえも壊したのは、他でもない君だ。試算では、世界を「森」で覆うために、二万人の君が居れば良い」

「二万の……。それで、複製を」

「そうさ。決して不可能な数字ではない。森都の中なら、大規模な複製製造も、諸外国には見つからない。肝心の複製技術の目途も付いた。「星零の歌姫」の死によって、人、金、モノが、集まる」

「何の為に?」

「平和だ」


 宮藤は真顔で言う。


「ふざけた事を抜かすな」

「我々は本気だよ。伊達や酔狂で、森都なんて代物は造れない」


 ふと、宮藤はこんな事を訊いた。


「森都の外の世界は、楽園だったか?」


 予想外の質問に、解は言葉に詰まる。


「答えなさい」


 宮藤は言った。その圧に押されて、解は答える。


「……楽園なんかじゃ、ない」

「そうだ。愛と平和を謳いながら、戦争が無くなることは無い。主義や信条、身体の特徴が違うというだけで、同じ人間を差別し、時に殺す。何故だか分かるか?」


 解は何も答えられなかった。しばしの沈黙のあと、宮藤は得意げに語り始めた。


「人間は増えすぎたからだ。世界には八十億の人間が居る。一握りの特別な人間を除けば、誰かが居なくなっても代わりが居る。世界は問題なく廻る。言うなればデフレさ。人の価値のデフレだよ。そんな世界で、どうして人が、人を愛せるというんだ?」

「だから殺すのか?」

「全てを殺すわけではない。一千万は残す」


 現在、人類は八十億人。一千万は、おおよそ〇・一二パーセント。約千人に一人の割合だ。残りの九百九十九人は、死ぬことになる。


「各地に森都と同じ都市を三十ほど建設する予定だ。「森」に囲まれてしまえば、最早、人は増えることも叶わない。即ち、人間の価値が下がることは無い」

「正気か?」

「もちろんだとも。森都では、一人一人に役割が与えられる。各々がその役割を果たすことで、この都市国家は成り立つ。完全に管理された、閉鎖された世界において、争いが入り込む余地は無い。知っているか? 森都では、いじめによる自殺も、虐待による子供の死も、未だかつて起こったことが無い。そろそろ新しいシステムが必要だとは思わないか? 全ての人間に役割を、つまり、生きる意味を与えることのできる、新しいシステムが」

「生きる意味……」


 解は確かめるように、その言葉を繰り返す。

 宮藤が解の肩に手を置く。


「大洋君。私が何故、君にこの計画を明かしたか分かるか? 私は君を買っているんだ。君が初めて枝枉を抜いた瞬間を覚えている。君は叫んだ。俺は「大島大洋」だと。森都の英雄だと。あの瞬間、君は自ら生きる意味を掴み取った。その覚悟に枝枉は応えたのだ」


 片手を解の肩に置いたまま、宮藤は熱く語る。


「やがて我々は、世界を「森」に葬り去る。多くの命を摘み取る事になる。しかし、君には、それを背負うだけの強さが在る。その枉(つみ)と、そして、栄冠を。人類の新しい時代を拓くという栄冠を。大洋君。共に来い!」


 何の為に生きるのか。

 宮藤が語る新しい世界では、その問い自体が、最早、意味を持たないのかもしれない。役目を果たし、誰かに必要とされ、誰かを必要とする。

 それは、幸せなのかもしれない。

 実際、幸せだった。

 森都の英雄という役目の程よい重さ。

 向けられる好意の心地良さ。


「確かにな」


 解が言った。

 宮藤は頷く。

そして、解は、肩に載せられた宮藤の手を払う。


「だけど駄目だ。あんたの語る未来には、絶対に賛成できない」

「何故?」

「人間の生きる意味は、与えられた役割じゃない」

「ならば何だ?」

「……分からない」


 宮藤は笑いだす。


「結局、分からないんじゃないか」

「分からないけど、あんたが言っている事は違う」

「大洋君。考え直せ。共に新しい世界を造ろうじゃないか」


 温に想いを告げる前の解であれば、或いは、頷いていたのかもしれない。

 麦畑で、解の背中に額を押し付けて、温が歌ったあの歌は、決して、解のためではなかった。あの瞬間、温に一番近い、解のためではなかったのだ。

 変換杖を制御したところで、御堂解は、何処まで行っても御堂解でしかない。

 解は噛みしめるように言う。


「生きる意味なんて、自分で選ぶ。余計なお世話だ」

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この歌を、偽りの英雄に捧ぐ。 夕野草路 @you_know_souzi

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