EP.20


「お姉ちゃん!?」

「シート、丁度、三人分」


 リコのシートは綺麗に二等分されていた。


 結局、各々が一枚のシートを使えることになった。解はその銀色のシートを身体に巻き付ける。五月といえ夜はまだ冷える。人間を含む恒温動物こうおんどうぶつは、常に体温を一定に保つ為に多くのエネルギーを割く。だから、こうして断熱材で身体を包むだけでもエネルギーを節約できる。食料の乏しい今、わずかな熱も無駄にすることはできない。

 元々はビルだったコンクリートの壁に、三人は背を預けるように座る。

 これからするべきは、ただ、夜が明けるのを待つばかり。

 しかし、長い夜は始まったばかり。

 沈黙に耐えかねて、解は口を開く。


「一つ、訊いても良いか?」

「何ですか?」

「「救助は来れない」って言ってたよな。どうしてだよ?」


 リコは目を伏せた。そして、少し迷ってから答える。


「この森の中で、人のままで居られるのは私たちだけなのです」

「……それは、どういう意味?」

「あの巨大なフクロウやヘビのことは覚えていますか? 私たちはあれらを「異常進化生物《》いじょうしんかせいぶつ」と呼んでいます」

「異常進化……」

「この「森」の中では、生物の遺伝子が次第に壊れていくのです。結果、生まれたのが、先日のフクロウや、今日のヘビです。もちろん、人間も例外ではない。この「森」では遺伝子が次第に壊れていく」

「じゃあ、俺たちも?」

「私たち適応者てきおうしゃ、つまり変換杖を使える人間は平気です。遺伝子の修復機能が並外れているので」


 限度は有るようですが、という言葉を、リコは敢えて省いた。今、知るべきことではないと考えたからだ。


「「森」って何だよ?」

「そうですね……。何から話しましょう……」


リコは少し迷ってから、こんな質問を投げかけた。


「生命が「秩序」を持っていることは覚えていますか?」


 解が頷く。

 決められた順番で並んだ三十億個もの塩基対。すなわち、遺伝子。その遺伝子を持った六十兆もの細胞一つ一つが、定められた役割を全うし、一人の人間を成す。人間だけではない。程度の差こそあれ、全ての生物はこの複雑な構造を持つ。つまり、天文学的な「秩序」を持つ。


「この「森」は、生命の持つ「秩序」を奪うのです。「秩序」を奪われた結果、遺伝子が壊されます」

「「秩序」なんて奪って、どうするんだよ?」

「「森」が自らの生長に使います。空気や土壌には、水素、炭素、窒素、酸素、ケイ素、リン、それから微量の元素が含まれているのです。「森」は奪った「秩序」を使って、それらの原子を自らに組み込み、成長します」


「森」は他の生物の「秩序」を奪って成長する。結果、秩序を奪われた生物の遺伝子が壊れていく。そして、生まれるのが、例の巨大ヘビやフクロウといった異形の怪物だった。


「一つ、気になったんだけど」

「何です?」


 解は「森」が生長する仕組みと、極めてよく似た仕組みを持つモノを知っている。それは、彼の腰に吊られていた。


「変換杖って、何だ?」


 変換杖は使用者の「秩序」を外界に与える。そして、現実では起こりえないような現象、例えば、結晶化や分子の運動量の偏在へんざい、光子の偏在を引き起こす。「森」が生物の「秩序」を奪うのと同じように、変換杖は使用者の秩序を奪う。


「すぐに変換杖との関連に気が付くなんて、流石です」


 リコが微笑む。


「ご想像の通り、変換杖は「森」の樹から造られたものです」

「これが?」

「と言っても、その辺の樹を伐ってきても変換杖は造れませんけど」

「じゃあ、どうやって?」

「この「森」の最初の一本が確認されたのは二○○○年、洞爺湖とうやこ周辺だったそうです。その最初の一本からのみ、変換杖の製造に成功したそうです」

「……それで、結局「森」ってのは?」


 分かったのは、「森」が他の生物の秩序を奪い、生長すること。そして、その仕組みを応用して造られたのが変換杖だということだけだ。

 しかし、リコはあいまいに笑う。


「さあ?」


 結局よく分からないそうですよ、と彼女は言った。


「二階堂先生は「エイリアンじゃないのか?」なんて言ってましたけどね」

「エイリアンね」


 解が鼻で笑う。


「あながち馬鹿にはできないのです。「森」が「秩序」を奪うのと同じように、私たちも他者の「秩序」を奪う仕組みを持っているのです」

「俺も?」

「食べる、という事です。私たちは体内に他の生物を取り入れて、熱に変換します。その熱を利用して、この複雑な身体を維持しているのです」

「……植物は?」

「光合成ですね。太陽光のエネルギーを利用して「秩序」を維持しています。実際、同じ地球上でも動物と植物という、違った仕組みで「秩序」を保つ生物が共存しているわけです。どどこかの惑星には、また別の仕組みを持った存在が居ても不思議ではありません」

「流れ星にでも乗って来たのかな?」

「あり得る話です。実際、クマムシなどは宇宙空間でも生きられるみたいですから」


 突然、解は頭を撫でられた。振り向くと、犯人はリツだった。


「今の話、私は良く分かってないよ」

「お姉ちゃん。それは問題なのです……」

「大洋は賢いね。良い子、良い子」


 そうやってリツは、何処から目線なのかよく分からない褒め方をする。


「大洋。そろそろ寝た方が良い」

「そうですね。明日はそれなりに歩くことになると思います」


 リコも同意する。


「でも、二人は?」

「交代で寝ますよ」


 ここで解が「二人に悪いから、俺も起きてる」などと言ったところで、邪魔でしかないことを、彼はもう理解していた。見た目は可憐かれんな少女でも、この二人は解よりも遥かに強い。精神的な意味でも。


「目を閉じて、ゆっくり呼吸しているだけで全然違いますよ」

「ごめん。そうするよ」


 解は静かに目を閉じた。

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