第34話 どちらが嘘?



 

 まさか燕子えんしが同じ代に二人揃うなんて、誰が想像しただろう。

 

 悧珀りはくの寵妃(と思われている)私か、それとも後から現れた家柄が抜群のようか。

 どちらが太子妃に相応しいかで、頼んだわけでもないのに勝手に後宮の勢力図ができようとしていた。 

 今まで私にすり寄ってきていた妃らが手のひらを返したように私から離れていったり、逆に関わりのなかった人達がここぞとばかりに関係を持とうと訪問してきたり。

 次期太子妃を巡って後宮の人間模様がくるくる変化しているのを感じる今日この頃である。





  

「瑶様は柊月しゅうげつ様のもとに挨拶にいらっしゃいませんね」


 珍しく阿子あこが苛立ちを隠しもせず悪態をつく。それを横で聞きながら、私は黙々と女官達に身支度を整えられていた。


「普通は先に後宮へお入りになっている柊月様のもとへ瑶様が挨拶に来るものです。それを七日も経っているのに一向に姿を見せないなんて」


 後ろの明睿めいえいもため息をつく。


「相手はきん家ですからね。はぁ、あの娘の登場で太子妃選儀も延期となりましたし、つくづく災難続きです。折角あんなに頑張っていただいて、私も満足の仕上がりだったのに……腹が立つ!」


 ああ、いつも冷静な明睿も苛立ちから壊れてしまった。私も鬱々とした気持ちを抱えていた。

  

 私は太子妃は瑶に決まるのではないかと思っている。ここまできたのに阿子や明睿には申し訳ないけど。


 家柄、生まれ、育ち、教育。

 どこをとっても私に勝ち目はない。脅されて後宮入りした私と皇太子の妃になるべく育てられた瑶では、比ぶべくもない。

 

 悧珀が欲しいのは燕子の妃であって、私ではない。所詮私は燕子であることが一番の取り柄だ。他にも候補が現れたなら勝てる見込みはない。

 これまでの努力が無駄になるのは悔しい。いいように利用されて価値がなければ捨てられる。世の中所詮そんなものだとわかっていても遣る瀬無い。


 ちなみに悧珀と会ったのは簪を渡された日が最後だ。私の想像もあながち間違いではなさそうだ。

 燕子は政治的に利用価値が高い。太子妃にならなかったとしても、後宮から出ることは不可能だ。他の皇子のもとに行かないよう、一生ここで飼い殺し確定だ。暗い未来を想像して気分が沈む。


 そして何より、悧珀が瑶を選ぶ姿を想像すると、胸がきゅうと痛む。何故だろう。努力が無駄になるのが私はそんなに嫌なのかな。

 

「はあ……」


 私がため息をついたのに気がついて、阿子がさっと手を取った。


「あたしは柊月様にずっとずっとずっとついていきますから。あたしの主人は柊月様だけです」


「あ、ありがとうございます」


 ぎゅうと握りしめられる手がちょっと痛い。阿子は私に盲目的なところがあるから少し心配だ。

 

 阿子の励ましに背中を押されて、私は瑶の住まう瑞香宮ずいこうきゅうへと向かった……は、いいのだが。

 

 道中とにかく視線が痛い。これが針のむしろというやつか。瑞香宮へ着いてからも、私はあちこちから飛んでくる視線が全身に刺さるのを感じていた。 


「これ私絶対に歓迎されてない……」


 私の呟きに付き添い兼護衛の明睿が反応する。


「お気になさらず。無視ですよ」


 そう言われても、あちこちから飛んでくる胡乱な目は私の心をゴリゴリ削る。

 

 案内されて通された瑶の宮には私以外に既に別の妃が数名来ていた。遊びに来ていたのか、談笑の途中だったのか、見たところ彼女達に堅苦しさはなかった。むしろ私が来たことにより、気まずそうな顔をされてしまった。

 瑶は後宮へ来てまだ七日しか経っていないのに、もうこんなに話せる相手がいるのか。驚きだ。 


「まあ、燕妃えんひ様?」


 その輪の中で一際小柄で愛らしい顔立ちの妃がぱっと立ち上がった。見慣れない顔だ。彼女が金瑶か。

 少し幼さが残る顔だが、大きな目とふっくらとした赤い唇が魅力的な美少女だ。艶やかな黒髪が背中を覆い、雪を思わせる真っ白な肌は、どんな服や化粧にも映えそうである。華奢な肩に折れそうなほど細い手首、桜貝のような爪とほっそりした指。

 お伽噺の姫君が飛び出してきたと思うほど、彼女は完成された容姿を持っていた。

 

 そんな美少女の瑶は何故かおろおろと手を胸の前で組みだした。


「どうしましょう。まさか本日燕妃様がいらっしゃるとは思っておりませんでして、お迎えするご用意が何もできておりません……」


 んん?こちらから訪問日時について、侍女を通して瑶側に通達してあると聞いていた。瑶に突然の訪問のような反応をされて戸惑う。

 よく見ると瑶の握りしめている手が僅かに震えていた。潤んだ目で自身の侍女を振り返る瑶に、数名の侍女が慌てて部屋を出ていく。

  

 私は私で、付き添いで一緒に来てくれていた明睿を振り返る。瑶側と連絡を取り合っていたのは明睿のはずだ。なにか知っているかと思ったのだが、明睿は無言で首を振った。

 

 明睿は私に何も言わないよう手で合図して、一歩前に出た。


「申し訳御座いません、昨日私からそちらの侍女へ連絡差し上げているはずなのですが」


「そんな……」


 瑶が不安そうに侍女達を見つめる。瑶の侍女の数は桁違いに多い。私が阿子と明睿の二人しかつけていないのも極端に少ないのだが、瑶は侍女と宦官をそれぞれ十名以上は従えているようだった。

 その中からすらりとした美しい侍女が前に出てくる。

 

「私は瑶様付き筆頭侍女の楚花そかと申します。恐れながら、こちらにはそのような通達は届いておりません。何かの勘違いではないでしょうか」


 明睿が顔を顰める。

 

「まさか。書簡とともに人をやって直接お伝えしたはずですよ?」


「いいえ、聞いておりませんが」


「まさか」

 

 ああ、明睿がイライラしてきているのが傍目にもわかる。私は明睿の袖を引く。


「明睿、いいですから」


「しかし」


「聞いていないとおっしゃるなら、何か行き違いがあったんでしょう」


 どっちが本当のことを言っているかなんて、この場でわかることじゃない。結局はいたちごっこだ。初対面から関係を拗らせたくはない。 

 そこに割って入るように瑶のもとを訪れていた妃の一人が声を上げた。


「恐れながら、燕妃様。どうぞお怒りにならないでくださいませ。瑶様はまだこちらに来たばかりなのです」


 お怒りにならないでとは一体。

 別の妃も一歩前に出てきた。

 

「瑶様は燕妃様にご挨拶に伺う時期を慎重に考えているのだと仰っておりました。鷹揚な方なのです。燕妃様がきちんと挨拶をと急く気持ちは素晴らしいですが、いきなりの訪問は互いによくありませんわ」


 黙っている他の妃も複雑そうな顔をして私を見つめていた。


 これは。完全に私が悪者になっている状況では。

 こちらが押しかけてきたことが確定のように言われても困る。

 周囲の応援を背に、ようが大きな目を潤ませる。

 

「皆様、いいんです。燕妃えんひ様、申し訳御座いません。楚花そかも下がって」


 瑶もそこは否定してほしかったという私の声は腹の奥に仕舞った。

 瑶が周りを見渡して微笑み、そして私に向かって深々と頭を下げた。


「こちらの落ち度ですわ。燕妃様にはご不快な思いをさせてしまい、重ねてお詫び申し上げます」


「本当にやめてください顔を上げてください」


 これでは私が頭を下げさせたようなものだ。更に私達の状況が悪くなってしまう。

 瑶が頭を下げた瞬間。やっぱりだ。瑶の侍女らが信じられないものを見るような目で私達を見てきた。他の妃も私のことをまじまじと凝視する。

 

 なんだコイツ、瑶様に頭を下げさせるなんて。

 

 そんな声が聞こえてくるようだ。ああ、これはアレだ。私がよく知っているやつだ。


「お許しいただけるだなんて、燕妃様はお優しいですわ。申し遅れました、わたくし金瑶と申します。不出来なわたくしを、これからどうぞよろしくお願いいたします」


 ふわりと微笑んでまた頭を下げる瑶に、私に突き刺さる……いや、ぶっ刺さる周囲の視線。

 この視線に名前をつけるなら。そう、敵意、というやつだ。


「いえ…………私は藍柊月らんしゅうげつ、燕と申します。こちらこそよろしくお願いします」


 私も頭を下げるが、もはや焼け石に水。状況は好転しない。内心冷や汗ダラダラである。

 

 とんだ出会い方をしてしまった。


 瑶の侍女や他の妃から見た私の行動は、いきなり瑶のもとに押しかけて、今日会う約束してましたよね!?とありもしないをつける礼儀知らずの女だ。ただでさえ瑶は私へ最初の挨拶に来ていない状況。私が『あの女、いつ私に挨拶に来るの!?来ないならこっちから行ってやるわ!ムキー!』と思ってるように見えることだろう。

  

 相手は私より年下、そして金家の姫。悪いことをしていない(と思われている)瑶に頭を下げさせたのは、私達にとって悪手だった。

 瑶は私と明睿めいえいを交互に見やる。


「たいしたものをお出しできませんが、よろしければお茶でも一緒にいかがでしょうか」


 瑶が奥にある卓子と椅子を勧めてくる。そして隅の方で固まっている他の妃らを振り返る。


「皆様、今日は折角来ていただいたのに申し訳御座いません。またの機会にゆっくりお会いしましょう」


 輝く笑顔、抜群の人当たりの良さ。瑶は人間関係を築くのもうまそうだ。

 

 妃らは深々と頭を下げると私の方を胡乱な目で一瞥して部屋を退出していく。

 私がその様子を居心地悪く眺めていると、集団の中に見慣れた顔を見つけてしまって、私の心臓がどきりと跳ねた。


 ――桃春とうしゅん


 ずっと人の影に隠れていたのか、居たことに今まで全然気づかなかった。桃春は私の方を一度も見ようとしないまま、俯いて部屋を後にしていく。流れるような真っ直ぐな黒髪、その後ろ姿は最後に見たときと何も変わっていなかった。

 そんな私と退出していく桃春を、瑶が不思議そうに見比べる。


「何かございましたか?」


「……いえ」

 

 私と桃春の事情を瑶がどこまで知ってるのかはわからない。今は濁しておこうと、私は曖昧に誤魔化した。


「燕妃様、こちらです」


 瑶が先立って歩き出す。続いて私も一段高い奥の居室に向かおうとしたのだが。何故か足が地面に張り付いたように動かなかった。緊張のせい?まるで足が他人のものになったようだ、言うことを聞かない。無理に動かそうとして、前のめりになったのがよくなかった。身体が傾いで体勢を崩してしまう。

 

 まずい。

 

 そう思ったがどうにもならず、雪崩れ込むように少し前にいた瑶を押し倒してしまつた。

 

「きゃあ!」


 瑶が悲鳴を上げて倒れる。私も瑶の上に被さるようにして倒れ込んだ。

 楚花と明睿が駆け寄ってくる。退出しかけていた妃らから息を呑む音がする。


「瑶様!」


 楚花が慌てて瑶を抱き起こす。と、ポタリと床に赤い点が落ちた。

 楚花に抱かれた瑶は、床にぶつかった際に切ったのか額から一筋の血が流れていた。体温が下がった気がした。

 なんてことをしてしまったんだろう。止血しなければ。私は自分の服の袖を千切る。

 

「瑶様、本当に、本当に申し訳御座ません。お顔に傷をつけてしまうなんて、なんてお詫びをしたら」


 瑶はポロポロと涙を零しながら俯いている。細い瑶の髪の毛が頬に張り付いていて、なんとも痛ましい。


「金家の姫様になんてことを……!」


 楚花がそう呟く声が聞こえた。

 私は瑶が下敷きになっていたこともあり、大きな怪我はしていない。足首を軽く捻ったのか、右足が痛むくらいだ。

 私が流れる血を拭き取ろうと瑶に近寄る。顔を持ち上げると、涙に濡れた目が丸く見開かれた。


「痛いでしょう。怖い思いをさせてしまってごめんなさい。傷を見せてください。侍医が来るまでの間の応急処置をしましょう」

 

 傷口を見ようと額に手を伸ばすと、楚花がキッと私を睨んだ。


「いい加減にしてくださいませ!急に押しかけてきた挙げ句、怪我をさせるなど!傷が残って殿下に見限られでもしたらどう責任をとるおつもりです!金家の名折れですわ!」


 楚花の激昂に瑶の肩が跳ねる。 


「手当だけでもお手伝いを……」


「結構ですわ!お引取りを!そこの侍女もです!」


 楚花が声を荒げる。侮蔑の混じった眼差しが私と明睿を射抜く。瑶は何も言わず、また俯いてしまった。退出しかけていた妃らも出るに出れず、無言で私達を見つめている。


 私は楚花と瑶、明睿を見渡し、ゆっくりと立ち上がった。

 

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