第39話 これは偶然?




 私の周りに見えない壁でもありますか?と言いたいくらい人が寄ってこない。まあ、理由はわかっているが。


 言わずもがな、ようである。





 


 太陽が高く昇り、脳天をじりじりと焼く。

 絹を重ねた女物の服に蒸し焼きにされつつある私は、外気にあてられて傘の影で天を仰いだ。


「暑い」


 そもそも夏至にだ、屋内ではなく屋外に祝いの席を設けることになるとは思わなかった。他の皆は暑くないんだろうかと周囲を見渡しても、他の妃は涼しい顔で食事やお喋りに興じていた。すごいの一言である。


 今日は夏至。

 そう、夏至節である。


 夏至節は後宮あげての節句、宮中行事だ。

 春分や冬至ほどの華やかさや盛大さはないが、宮中に身を置く限り、どんな行事でもきちんと参加せねばならない。

 夏に体調を崩さぬようにと屋外で皆で食膳を囲み、粽子ちまきを食べる。

 節目節目のよくある行事だが、今回は悧珀りはくが政務により不在。太子妃も空位のため、良娣りょうてい二人が中心となって夏至節を主催していた。


ぎょく妃様は本当に皆様に慕われていらっしゃるんですねぇ」


 横で私の世話をする阿子あこの小さく呟く声が聞こえる。今は明睿めいえいが席を外しているため、阿子が側仕えをしてくれていた。

 玉妃は悧珀から瑶に与えられた名だ。渡りがあった妃は慣例通り名を貰う。玉のような美しい妃、玉妃。瑶にぴったりの名だ。


 阿子の言うように、瑶の周りは色とりどりの女官と妃で溢れていた。少し離れたところに座る私達のところにも賑やかな談笑が聞こえてくる。水を操る妃数名が瑶の前で涼をとるために氷像を作って遊んでおり、それを瑶が楽しそうに見て笑う。涼しそうでいいな。 

 瑶は先日の怪我でしっかりと額に包帯が巻かれている。

 結局、日をあけても瑶側が謝罪や訪問を受け付けなかった。何度訪問しても門前払いだった。そのため私が瑶の姿を見たのは事故以来だ。今日参加できているということは、悧珀から聞いた通り怪我自体は酷いものではなかったようだ。

 

 私はふふふと笑って項垂れた。


「私は人望がない上に鈍臭い……ごめんなさい…………」


「あっ、そういう意味ではなくてですね!?」


 慌てて否定されるが、事実だからしょうがない。


 瑞香宮ずいこうきゅうで起きた転倒事件の噂が広がるまで時間はかからなかった。あれからそこまで日は経っていないのに、周囲が私を見る目にはどこか棘がある。

 瑶の立場はきん家の後ろ盾がある限り堅い。私と瑶が同じ良娣同士なら、これからの未来を想像して瑶側につく人間が多いのは道理である。

 

 悧珀から貰った簪が私の頭で風に揺れた。 

 瑶を太子妃に担ぎ上げて恩恵のおこぼれを貰おうと周囲は躍起のようだった。彼女の周りの妃らが純粋に彼女を慕っているのか、そうでないのかはわからない。が、媚を売っているのは確かだ。

 瑶のところから一際楽しそうな声が上がり、私はため息とともに顔を逸した。

 富と権力は人を狂わせるというけど、ここまで見せつけられるとげんなりする。最早私が話しかけてもどの妃も曖昧に返事をしてそそくさと瑶のもとへ行ってしまう。転倒事件の噂の力もあって、私は完全に悪女扱いだ。


 瑶のもとへの悧珀の渡りは初日の一回きり、私のもとへも全く来ていない。周囲の騒ぎと出方を伺っているのか、あの日以来悧珀はぱったりと後宮へ姿を見せなくなった。明睿を通じて多少のやりとりはあるが、今悧珀が何をしているのか、私にはわからない。

 

 悧珀の渡りと名前も賜った瑶は、後宮で太子妃候補として着実に力をつけてきている。瑶自身の意志とは別のところで、様々な思惑が動いている。


 ……いや、それもあるけど、それ以上に。

 私は瑶の隣に座る桃春とうしゅんが気になる。


 もともとらん家と金家の交流はほとんどなかったので、桃春と瑶が顔見知りになったのは瑶が後宮へ上がってからのはずだ。いつの間にあんなに親しくなったのだろう。

 桃春にはもう私のことは見えてもいないようだ。気にしないようにしても、気になってしまう。


「――燕良娣」


 瑶のもとから楚花そかがこちらにやってきた。足取りも重いし表情も敵意丸出しだ。


「……瑶様がよろしければお茶をご一緒に、と」

 

 表情を見る限り、楚花は同席に反対のようだ。前回私が瑶に怪我をさせたのだから、気持ちはわかる。私も可能な限りあの敵意丸出しな集団の中には行きたくない。


 でもここで断ると角が立つ。というか、避けていると思われて更に悪い噂が立つ。

 少しだけ参加して、うまく切り抜けよう。

  

 阿子とともに瑶の集団に近づく。私が来たことに気づいた瑶が慌てて立ち上がって畏まる。


「燕妃様。ご、ご機嫌いかがでしょうか……?」


 目が泳いでいる。ああ、私に対して苦手意識を持っている。私に気を遣ってお茶に誘ってくれたのだとわかってしまった。

 他の妃にいたっては気まずそうに目を逸らしている。その中には、瑶が現れるまで私のもとに何度も贈品を持ってきていた妃もいた。別にいいのだけど、現金なことだ。

 こちらを伺う視線の中に桃春と思われる目もあった。一瞬目があったような気がしたが、すぐに逸らされてしまった。

 

「そんなに畏まらないでください」


 私が座るよう促しても、瑶はすぐに俯いてしまう。瑶の侍女らの目が吊り上がる。ああもう嫌。帰りたい。


「瑶様、燕良娣。お茶のご用意ができておりますから、よろしければ席に」


 苛立ちからか楚花の声は抑揚の欠いている。楚花が支度の整った椅子と卓子を示すので、気まずさもあったが席についた。

 会話はない。俯いて小さくなっている瑶。沈黙に耐えきれず、先に私が口を開く。


「玉妃様に怪我をさせてしまったこと、改めましてお詫び申し上げます。怪我は大事ないでしょうか?」


瑶は顔を上げるとほんの少し微笑んだ。


「ええ、大丈夫です……こちらこそ、わたくしが不甲斐ないばかりにこんな怪我を負ってしまって……燕妃様にご迷惑をおかけいたしました」


「いえ、全て私の不注意です。玉妃様の責任ではありません」


 瑶の表情が緩み、雰囲気も少しだけ柔かくなった。よかった。お互いまだ話はできそうだ。


「あの、わたくし、怪我に驚いてしまって、今日まで燕妃様とお話しする機会をとることができず……」


「気にしていません。私は玉妃さまの怪我が心配だっただけですから」


「ありがとうございます。本当にお優しいのですね」


 瑶の笑顔に私も安心した。と同時に、彼女のこれが全て演技だとしたら、恐ろしくもあった。


「瑶様、お茶をお持ちいたしました」


 楚花が瑶の前に茶器を置く。湯気が立ち、ふわりと芳醇な香りが漂う。濃茶だ。

 茶器を置く楚花の横で、同じように阿子が別の侍女から受け取った茶器を運んでくる。湯気に乗っていい香りが届く。


「柊月様、どうぞ」


 阿子が手慣れた様子で茶器を私の前に置いたとき、ひくりと阿子の手が揺れた。茶器を置こうとする姿勢のまま固まってしまった。どうしたのかと私が阿子の手を見ると、緊張からか珍しく指先が震えていた。


「阿子?」


 私が声をかけるのと、阿子が茶杯をひっくり返したのが同時だった。

 

 カン、と音を立てて茶杯が倒れる。

 あっと思ったときには遅かった。倒れた勢いのまま器から茶が流れ出て、卓子を伝って瑶の膝の上に茶がかかってしまった。


「熱っ……!」


 瑶が小さく悲鳴をあげて立ち上がる。椅子が後ろに倒れた。玉妃様、と瑶の側の妃が腰を浮かす。


 私は急いで立ち上がると側の侍女から手巾を取って、卓子から伝うお茶を拭う。布越しからもお茶がかなり熱いのがわかる。かかった瑶は相当熱かったことだろう。


「侍女が大変な粗相を……!申し訳ありません、お怪我は?」


「ちょっとびっくりしてしまっただけで、お気になさらないで」


 楚花が急いで瑶の服を拭うが、茶の色が濃かったこともあり瑶の衣装にはしっかりと大きな染みができていた。

 私の手が瑶に触れると、彼女の肩が小さく跳ねた。


「火傷をしていないといいのですが……」

 

 視界の端で阿子が真っ青になっているのが見えた。可哀想なほどに手が震えている。小さくなって床に平伏する。


「あ……あたし、なんてことを……申し訳ありませんっ…………」


 阿子はこんな間違いをするのは珍しい。本人が一番驚いていることだろう。

 そんな阿子と私を楚花は険しい顔で睨む。つかつかと近づいてくると、私から遠ざけるように瑶の肩を抱いた。

 

「ささ、瑶様。お召し替えをいたしましょう。本当に怪我をなさっていないか、一度部屋で確認いたしましょうね」


「でも……」


「瑶様の御身体の方が心配です」


 瑶は何故か戸惑うように私の方を振り返った。


「燕妃様」


「楚花の言う通りです。お部屋に戻られてください」


「わたくし、その」


 瑶は更に何か言おうとしていたが、突如瑶の後ろから出てきた人物に肩を抱かれ、口を閉じてしまた。


「瑶様、行きましょう?お風邪を引いてしまったら大変ですもの」


 その人物は桃春だった。親しげな様子で瑶の手を取ると、背中を押して楚花と共に歩き出す。こちらには目もくれない。

 いきなりの桃春の登場と仲の良さそうな雰囲気に、私は固まってしまった。 

 立ち尽くす私の側で、阿子も同じく床に蹲ったまま瑶の様子を見守っていた。そんな阿子の横を、瑶の侍女らが故意に押しのけて通り過ぎる。

 

「あなた、わざとやったんじゃないでしょうね?」


 押された阿子がよろけて床に潰れた。瑶の侍女はそれを冷たい目で一瞥する。

  

「そんな……誓ってわざとでは……!」


「口ではどうとでも言えますわ。金家の姫様に楯突こうだなんて、なんて思い上がってるのかしら」


 私は倒れた阿子に駆け寄る。

 瑶とともに部屋へ下がっていく侍女らの態度はあからさまだった。手を貸して阿子を立たせると、侍女らは聞こえよがしにあれこれ言い合いながら、澄まし顔で私達の横を通り過ぎていく。

 

 瑶の侍女には金家から連れてきた者も多くいる。他家とは違うという矜持を持った彼女らは、阿子や私のことを格下と決めつけているように見えた。私が瑶よりも格下であることは確かだが、こうもあからさまだと呆れてしまう。

 侍女の一団が全ていなくなってから、阿子が涙を堪えながら深々と頭を下げる。


「柊月様……申し訳御座いません……。わざとやったのではないんです。本当に、あたし、手が動かなくて……」


「わかっています。阿子があんなことをわざとするわけがありません」


「柊月様……」


 震える阿子の肩を抱いて私も退席する。

 後ろから野次馬の妃らの囁き声が聞こえる。


「新入りの妃を虐めるだなんて、なんて心の狭い」


「いくら燕妃が殿下の寵妃とはいえ、金家の玉妃が来られた今、きっとすぐに寵愛は玉妃に移りますわ」


 ああ、誤解が誤解を生んでいる。

 

「燕妃様って、噂では桃春様にずっと虐められていたらしいって聞くけど、今日のこれを見る限り、嘘なんじゃない?こんなに酷いことができる方なんですもの」


「やっぱり?私もそう思う。桃春様の言い分の方が正しかったんだわ」


 ここにきて、鎮静化したかに見えていたことまで掘り返されてしまう。

 

 ふと顔を上げた先に、桃春がいた。瑶の横でこちらを振り返っていた。

 数ヶ月ぶりに目が合う。緩く細められた目。いつも私を見下ろしていた桃春の目。

 幾度となく藍家で見たその表情に、状況がじわじわと悪転しているのを感じた。


「……行きましょう、阿子」


 私も阿子の手を引いて会場を後にする。

 この状況に落ち込んでいる暇はない。私には考えなければいけないことがたくさんあるのだ。


 今日のことではっきりしたことがある。


 ――瑶の異術は、本当に『未来予知』なんだろうか?


 

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