第38話 悧珀と瑶



 

 端正に作られた人形。

 ようの第一印象はこれだった。 


悧珀りはく様、お越しいただきましてとても嬉しく思います」


 黒目がちな瞳が微笑みにとろりと溶ける。日に当てると皮膚が透けそうなほど白い肌だ。よく手入れされた髪が背中から牀榻に艶やかに広がっている。

 

 悧珀が後宮で柊月しゅうげつ以外の女性のもとを訪れるのは初めてだ。

 柊月が瑶を突き飛ばして怪我を負わせたとせい皇后経由で後宮から遣いがやってきたときは、また柊月が何かに巻き込まれたのだと焦った。顔だけでも出してあげてほしいという靜に負けて悧珀が話を聞きに来てみれば、ただの事故だという。まんまとしてやられた。後宮では既に柊月が悪者として話が回っているらしい。結果として、という構図になってしまった。


 悧珀は不躾だと思いつつ瑶の自室を見渡す。 

 まだ後宮へ来たばかりの瑶は物が少ないかと思っていたのだが、きん家やしょう家から持ち込んできたものが多いのか、思いの外瑞香宮ずいこうきゅうは生活感のある空間となっていた。数ヶ月は住んでいるはずの柊月の宮の方が物もなく閑散としている。もともと柊月は物を持っていなかったというものあるだろうが。

 後宮にいるのに目の前にいるのが柊月ではなく瑶というのが悧珀には違和感だった。

 瑶の柳眉が申し訳無さそうに下がる。

 

「せっかくお越しいただきましたのに、牀榻でのご挨拶になってしまい申し訳御座いません」


「構わないよ。侍女から聞いたけど怪我したんだって?」


 瑶は牀榻で身を起こして俯いた。その頭には布が巻かれている。軽い裂傷で大事には至らなかったらしい。

 無理矢理瑶の自室に連れてこられただけであって、目的じゃない。なのに瑶が横になっているため必然的に牀榻で会話をすることになってしまう。瑶の侍女らによって丁寧に整えられたとこや脇の卓子に置かれた水差しが灯りを受けて淡く橙に染まる。

 この空間に気まずさすら覚えてしまう。侍女らの意気込みを感じるのだ。

 悧珀はやや距離を置いて瑶の牀榻の横へ立った。


「会うのは初めてだね。ここには慣れた?」


「はい、お陰様で」


「靜皇后に謁見したと聞いたけど」


「はい。ここへ来た翌日に使者の方が来られましたので、直接ご挨拶に伺いました」


 手回しのいいことだ。悧珀は内心舌打ちする。


 周囲は金家の姫を太子妃にと早くも瑶を担ぎ上げ始めている。金家の靜皇后の口添えもあれば、皇帝ですら頷かせるかもしれない。

 女は政治の道具だ。このままだと外堀を埋められて、瑶が太子妃となることは確実だ。悧珀がなんと言おうと、柊月に勝ち目はなくなる。


「悧珀様?」


 黙り込んだ悧珀を瑶が見上げる。


 悧珀はその無垢な瞳を見やり、柊月と全てにおいて対照的な娘だと独りごちる。

 悧珀の後宮に入り皇后になるべく育てられた瑶と、不要な娘として日の当たらぬ場所で育った柊月。同じ稀物マレモノで、同じ後宮、同じ良娣りょうていの位にいる二人の生まれは、こうも違う。

 悧珀は笑顔を貼り付ける。


「なんでもないよ。君とは正式な顔合わせもなく妃として迎えてしまったから、色々と必要な儀式が抜けていてね。形ばかりではあるけど、夫婦として術の開示をしてほしいんだけど、今日じゃない方がいいね」


 怪我人相手に才門とやりとりするのもと思い悧珀が提案したが、瑶は首を横に振った。


「大丈夫ですわ。怪我も痛みませんし、どうぞ進めてくださいまし」


 花がほころぶように笑う瑶。深窓の令嬢とはまさに彼女のことを指す言葉のようだ。


「私、ずっと悧珀様にお会いしたかったのです」


「そう」


 悧珀の返事はそっけない。悧珀は瑶に興味もないので当然だ。

 瑶はめげる様子もなく、僅かに上半身を乗りだした。

  

えん妃様とは仲がよろしいんですか?」


 随分強気なことだ、と悧珀は瑶を見下ろす。見た目だけでは初対面で柊月との関係を聞く度胸を持つような娘には見えないが、なかなかの胆力の持ち主のようだ。

 悧珀は緩く微笑むと腕を組んだ。


「今の君と僕の関係よりはいいだろうね」


「唯一の寵妃だとか。お通いも頻繁に?」


「後宮で暮らしていれば自ずとわかるんじゃないかな」


 瑶は僅かに口を尖らすと、ふいと顔を逸した。


「……そうですか」

 

 周囲の時流と違って、悧珀は瑶を太子妃にするつもりはない。これまでと変わらず悧珀は柊月を太子妃にするつもりだ。牽制のためにこう言ったが、瑶はどう受け取ったのか。

 暫し沈黙が落ちた後、瑶は再び顔を上げた。


「ええ、燕妃様はとても素敵な女性ですもの……おかしな質問をして申し訳御座いませんでした。悧珀様、才門の手続きを進めてくださいまし」


 瑶は恨みも、嫌味もなく、ともすれば楽しそうな声色で悧珀の袖を引いた。


 ――何を考えている?

 

 悧珀が瑞香宮に到着した際の瑶の侍女らの力の入れようは並々ならぬものだった。瑶自身も周囲の期待や圧を感じているはずだ。なのにどこか他人事のような物言いに引っかかりを覚える。

 悧珀に興味がないわけではなさそうだが、今の様子も自分から聞いておきながら引くのが早い。物分りがいいふりをしているだけだろうか。

 そうかと思えば、明睿めいえいからの報告によれば他の妃とは活発に交流して繋がりを作っているのだという。


 彼女の目的は一体なんなんだろうか。


 才門を呼びつけながら、悧珀は瑶を見つめていた。

 



 

 あの方に初めてお目にかかったときは、とても綺麗な方という印象だった。


 美しい髪、長い睫毛、怜悧な目。

 どこをとっても目を引く。話してみると、落ち着いた声が耳に心地よく、そして噂で聞いていたよりずっと穏やかで優しかった。

 わたくしの身を案じてくださって、怪我の具合を気にしてくださった。なんて……なんて優しいのだろう!


 わたくしの理想、この方がわたくしがずっと探していた人だ。


「絶対に手に入れて見せますね」


 金瑶の呟きは暗闇の牀榻の中に吸い込まれていった。





 

 

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