第37話 遠回しな言い方




柊月しゅうげつ様、殿下のことで気を落とさないでくださいね。きっと明日か明後日には殿下もこちらにいらっしゃると思いますよ」


 阿子あこの気遣いに心が痛む。


「阿子、私は気にしていませんから」


「強がらなくても大丈夫ですよ。今日は私が不寝番で隣に控えていますから、もし何かありましたらお呼びくださいね」


「いえ、本当に大丈夫ですから」


 阿子の純粋な目を前にして、そう繰り返すことしかできない。

 

 阿子と明睿めいえいが交互に私を励ましてくるから、世話にきてくれる女官達もだんだんと気遣わしげな視線を向けてきて、つられて私も居た堪れなくなってくる。騙していてごめんなさい……悧珀と私の間には何もないから、心配されているような寵愛がどうとかということはないのだ。


「それではおやすみなさい」


 阿子が入り口の灯りを落として出ていくのを、私は長榻から眺めていた。

 室内はまだ灯りを落としていないので薄暗くはあるが不便はない。藍家にいた頃は自室に灯りもなく夜は月明かりだけで生活していたので、それに比べれば今の生活のなんて贅沢なことか。

 ぼんやりと衝立が閉じるを見ていると、ふと頭の簪の存在を思い出した。これを貰ったのが遠い昔のように感じる。


悧珀りはくはもうここには来ないかな……」


 金家の燕子えんしを選ぶのが普通だし、私には他に取り柄もなければ魅力もない。勝ち目のない勝負だ。


 ……勝負って、なに。

 自分で思ったことなのに、首を傾げる。なんで私はように張り合おうとしてるんだろう。悧珀がどこに行こうと私には関係のない――。

 

 ぽん、と後ろから肩を叩かれた。


「疲れてる?」


「疲れ…………えっ!?」


 かちゃんと金具の閉まる音がした。振り返ると、私の座る長榻の後ろに悧珀が立っていた。私が飛び上がるほど驚いている姿を見て、苦笑していた。

 久しぶりに会う彼は珍しく髪を完全に下ろしていた。


「いつの間に!?いえ、あの、まずどこから!?」


「さっき窓から。阿子に声を掛けようと思ったんだけど、出て行くのが早かったね」


 毎度毎度、窓から入ってくるのが疑問だが、確かに後ろの窓は僅かに開いていて出入りした形跡がある。金具の音は鍵が開く音だったか。


「金瑶を押し倒したって聞いたけど。怪我はなかった?」


 最後に会った日から変わりなく、悧珀はいつもの悧珀だった。こちらをからかうような口調も表情も、何も変わらない。

 しかし私にはそんな冗談に乗れるほど余裕がない。大変だったというからには、悧珀は瑶の怪我のことを知っている。そもそも、悧珀は今日瑶のところへ行っていたから直にやりとりをしたはず。具合はどうだったんだろう。

 見上げると悧珀が何だと言わんばかりに首を傾けた。さらりと艷やかな長髪が肩口から落ちて私の鼻先を擽る。


「金妃のところへ行かれたんですよね? お怪我の具合はいかがでしたか?」


「まず僕のことより金妃なんだ」


「それはそうです。私が怪我をさせてしまったので、ずっと気になっていたんです」


「君が怪我をさせたんじゃないだろう。ただの事故だよ」


 彼は優しい。思えば私を責めるようなことを一度も言ったことがない。

 悧珀の髪からはいつも香る蝋梅の香りではなく、別の香の匂いがした。よくよく見ると毛先が濡れている。ぽたりと床に雫が落ちる。

 あー、なるほど。湯浴み上がりか。

 まだ髪を濡らしたままの悧珀は不服そうに口を尖らした。


「特段酷い傷でもなかったよ。傷と言っても軽く切れた程度」


「そうですか……よかった……」


 ほっと胸を撫で下ろす。

 近日中に見舞いの品を持って直接謝罪をしたい。明日の朝に明睿に相談しよう。

 

 私が立ち上がって奥の棚の方へ向かうと、その後ろを悧珀もついてくる。

 

「柊月は僕が金妃のもとへ行っても気にならないんだ?」

 

 棚を漁る私の後ろで悧珀のくつが床を鳴らす。

 なんだか面倒な恋人のような発言だ。悧珀はこんな人だったっけ。しばらく会わないうちに心境の変化でもあったのか。

 

「私の立場で嫉妬するなんて烏滸がましくてできません。そもそも私達は特別な関係でもなんでもないでしょう」


 自分で言って虚しくなる。ほんの少しだけど。

 棚の中からようやく目当ての物を取り出して振り返ると、じとりとした視線とかち合う。


「柊月は人の心がないのかな」


「女性のもとから湯浴み上がりでやって来る貴方が言えたことでないのでは?」


 私が悧珀の滴を落とす髪を見やると、悧珀は動きを止めた。今度は私の方がじとりと見返す。

 悧珀はようやく思い至ったのか焦ったように自身の髪を触りだした。


「これは、じゃなくてね。瑞香宮ずいこうきゅうへは行ったけど、少し話をしただけですぐに帰ってきたよ。せい皇后の手前、金家の姫は蔑ろにできなくて……自分のところで湯浴みをしてからここへ来たんだ」


 子どものように言い訳をする悧珀が面白い。そんなに否定しなくてもいいのに。

 まだ何か言おうとしていた悧珀の頭に棚から出した毛巾をかける。

 

「どちらでもいいですが、そのままだと風邪を引きますよ」


「……どちらでもいいわけじゃないだろう……」


 私の行動に虚をつかれたのか悧珀の言葉尻が萎む。さすがに私が彼の髪の毛を拭く勇気はないので、そこは悧珀に任せる。

 悧珀は毛先を雑に絞って拭いていく。せっかく綺麗な髪なのに髪が痛みそうなやり方だ。

 

「僕が言いたいのは、さ」


 常に歯に衣着せぬ物言いの彼には珍しくまた口が止まる。逡巡するような様子の悧珀を見て、さすがの私も察する。

 

「私を気にかけてくださったんですね。ありがとうございます」


 燕子が二人になった今、悧珀は今までの太子妃候補だった私に気を遣ってくれたのだ。瑶のもとに行った後にわざわざ顔を出したということは、瑶だけでなく私にも気を配ってますよという悧珀の優しさだ。蔑ろにする気はないという意思表示でもある。一生後宮で閉じ籠もって生活することになるのかもと思っていた私にとっては、もったいないほどの有り難い扱いだ。

 悧珀は顔にかかる布巾の隙間から私をちらと一瞥する。


「間違いではないけど」


「けど?」


「違うかな」


 また言葉遊びだろうか。私の理解力がないだけかもしれない。


「柊月」 


 重いため息とともに悧珀が布巾を外す。拭いたことで少し癖がついてしまった髪が現れる。


「一度しか言わないから、よく聞いてほしい」


「はい」


 目の前に立つ悧珀は私よりゆうに頭一つは背が高い。見上げた先の琥珀が一度右に逸れて、また戻ってくる。


「僕は、太子妃に金妃ではなく君を選ぶ。これは利害や気遣いで選んだんじゃない、僕の気持ちだ」


「気持ち?」


「そう。僕は柊月がいいから、柊月を選びたい。今日も僕が来たいと思ってここに来た。義理じゃない」


「…………なる、ほど?」


 なかなか理解が追いつかない。今まで私は、目の前のこの人に利用価値の有無で存在意義を図られているんだろうと思ってた。だって最初に言ってた、私は燕子でいるだけで存在価値があるのだと。だから、意味がなくなれば捨てられるのだとばかり思ってた。 

 なのにそれは違うと言う。この言い方ではまるで――。


「私のことを好いているかのような言い方をしますね」


 心の声がそのまま口にまろび出てしまった。悧珀の眉がわずかに動いたのを見て、慌てて訂正する。


「申し訳ありません、おかしなことを言ってしまって」


「そうかもしれないと言ったら?」


「………………嘘ですよね?」


 聞き間違いだろうか。

 思わず凝視すると、なんだと言わんばかりの顔をされた。


「僕は嘘をつかないと言ったのは柊月では?」


「えっと、確かにそうです、けど」


 決定的な言葉を使わないあたりが悧珀らしい。

 悧珀は腹でも括ったのか、いつもの調子が戻ってきている。口端が緩く持ち上がる。


「僕は燕子の柊月じゃなく、ただの柊月をもっと知りたい。最初に利害がどうといった今までよりもっといい関係を築きたいんだ」


 彼は燕子の私ではなく、ただの私にを知ろうとしてくれている。悧珀の気持ちは素直に嬉しいことだ。

 

「私を人間的に好いてくださっていることはとても嬉しいです。ありがとうございます」


 感謝の意味で頭を下げると、悧珀に呆れたようなため息が聞こえてきた。


「はぁ……結構わかりやすく言ったつもりだったんだけど」


「え?」


「伝わらなかったね」


 そして、また大仰にため息をつかれた。節くれだった手が濡れた髪をかき上げる。

 

「別にいいよ。関係を急いているわけでもないし、柊月を人間的に好く思っているのは間違いでもないから。今はそう思ってればいいよ、今はね」


 今はと強調する悧珀に私はただただ首を傾げた。

 悧珀は再びため息をつくと、布巾を取ると私に渡してきた。


「ありがとう。残りは帰ってから乾かすよ」


「もうお帰りで?」


 来てまだ少ししか経っていないのに帰るとは、なかなか慌ただしい。悧珀はきょとんとする私を見下ろしてくつくつと笑う。

 

「おやおや、夜の滞在を引き留めてもらえるとは光栄だ。でも残念だけど今日は従者に黙って出てきたから、騒がれる前に帰らないといけないんだ」


 予想通りお忍びだった。

 悧珀が私に手を差し出してきた。


「帰る前に柊月に金妃の術について伝えておくよ。これから何かと関わることも多くなるだろうから」


 手を握れという意味だろうか。


「他人の術を断りなく勝手に他者に明かすのは掟違反ですし、縛りがあって物理的にできないのでは?」


 知り得た術者の情報を第三者に明かすことはできない。話そうとしても何かが邪魔したように言えない。才門の管理下にある術者に課せられた掟のひとつだ。

 私が指摘しても悧珀の表情は変わらない。

  

「僕は言うんじゃない、君に勝手に視られるだけだよ。君も術のせいで勝手に知ってしまうだけ。これなら僕も君も掟に抵触しないよね?」


「詭弁ですね……」

 

 どうするべきか悩むが、明日からまた何か衝突があるかもしれないと思うと知っていた方がいい。

 そろりと悧珀の手を握ると、彼の知りうる情報が少しずつ流れ込んでくる。


「私の術について金妃には伝えたのですか?」


「なんで柊月のことを彼女に教えないといけないの?そもそも、君のような術を持っていないと相手の情報を他者に流すことはできないよ」


「…………そうですか」


 私の術は掟の抜け穴だったようだ。初めてこの術の存在に感謝した。

 ゆっくりと悧珀から手を離す。最後の最後に情報を詰め込まれて、少し疲れてしまった。

 悧珀がぽすんと私の頭に手を置く。


「それじゃ、また来るよ。おやすみ」


 にこりとほほえみを残して悧珀は帰って行った。


「……金妃の異術……」


 悧珀に教えてもらった情報が頭を巡る。と同時に欠伸も出てくる。今日は色々あって疲れてしまった。

 灯りを落として横になりながらあれこれと考えているうちに、知らず瞼が落ちていたようで、気づいたら朝だった。

 

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