第40話 瑞香宮へ
あの日の
『
『才門と僕への術の開示で教えてくれた。彼女は、自身の目で見える範囲で起こる先の出来事を知ることができると言っていた』
握られる手の力が僅かに強くなる。
『彼女には気をつけた方がいい。先読みができるということは、自分の身の回りで起こることについて全て知っているということだ。今回起こった転倒事故だって……ね。彼女、無知で無垢なふりをしているだけかもしれないよ?』
私は自室の天井を見上げながら、ため息をついた。
夏至節の一件から一夜明け、自室に戻って衣装を解いた私はひとり頭を抱える。
「後宮ってなんでこんなに面倒な場所なんだ……」
瑶は先読みの異術を使うと聞いた。自分の身の回りに起こることを事前に知ることができるらしい。悧珀は私に瑶の異術を明かすことで、言外にこう伝えようとした。“瑶は素知らぬ顔で事故を利用している可能性があるぞ”、と。
瑶が転倒事故も、今回の阿子のお茶の件も先読みで知っていたとしたら。私達は瑶の印象を良くして自身の立場を悪くするよう、出汁にされたということだ。瑶、恐ろしい演技派である。
しかし、私にはひとつ気になることがあった。
転倒事故のとき、私は足が動かなくなった。阿子は何故か手が固まってしまったのだという。無理矢理動かそうとした際に手の甲が茶杯に当たり、器を倒してしまったらしい。
阿子が嘘をついていないとすると、どちらも何故か身体が動かなくなったというのが共通している。
「本当に瑶の持っている異術は先読み……?」
ここがひっかかっている。もし瑶の異術が身体を操る系の術なら、今回の件もうまく説明がつく。術で身体を操って事故を演出するのだ。
しかし才門に申告するときに、術者は正確に自身の術を伝えなければならず、全く違う術を申告しても楔の金環は反応せず契約には至らないと聞いている。瑶が才門の金環を身に着けている限り、瑶の術は先読みで間違いないはずだ。でも、何か違和感が残る。
一度ちゃんと確認してみなければならない。
私の覗見術の前に嘘は通用しない。気は引けるが、どうせ対立は決定的なのだ。やれることはやってみよう。
降りかかる火の粉を前に、何もしないまま焼かれるのは御免だ。今の私にはそれをするだけの力があるのだから。
私は重い腰をあげた。
* * *
「燕妃が玉妃を害した?まあ、そうなの?」
目の前の
「そういう噂もありますが、所詮は噂です」
茶に誘われて嫌嫌ながら靜皇后の住まいに訪れた悧珀だったが、折が悪かった。何処かしらからやってきた侍官にあれこれ耳打ちされた皇后は、知らなくてもいいことを知ってしまったようだった。
「でも、ちょうど今さっき夏至節でまた一悶着あったって、
「…………何かの間違いでしょう」
楚花……確か瑶の侍女の名だ。
靜と瑶は裏で繋がっているのだと靜にはっきり言われているようで、悧珀は複雑な気分である。瑶と靜は金家の
そもそも、靜の立場がよくわからない。
「それより皇后、お願いしていた件ですが」
「ああ、これよね?安心して、ちゃんと調べているわ」
悧珀の目の前にバサリと紙束が置かれる。
「悧珀は鐘家について何か気になることでもあるのかしら」
「色々とあるのですよ」
「熱心ねぇ」
靜はこうして悧珀の頼みも聞いて動く。おそらく瑶の頼みもこうして聞いて動くのだろう。でなければ、転倒事故のときも悧珀にけしかけたりなどしなかったはずだ。
場をかき回すのが上手い彼女らしいやり口だ。
靜は悧珀を尊重すると言っておきながら、その過程で起こる紆余曲折や苦労は楽しんで見物する質なのだ。一番厄介で面倒な人間である。しかし、金家についての情報は靜を通すのが一番早く便利な人物であることには間違いない。
悧珀は痛む頭を押さえながら手元の資料に目を落とす。
「ああ……鐘家は跡取りがおらず、瑶が一人娘なのですね」
「ただひとりの愛娘ね。もう手放したから愛娘かどうかは怪しいけれど」
「金家へ養子、ね」
鐘家は金家分家の中でも弱小も弱小だ。今代の跡取りは、瑶に婿養子もとらせず養子に出したことで、御家断絶がほぼ確定している。
「娘を養子に出して家を潰してでも成し得たいこととは一体何なんだ」
思わず漏れた呟きに靜はにこりと微笑む。
「本人に直接聞くのが早いわよ?」
「そんな簡単な話ではないでしょう」
呆れ混じりの悧珀に靜はそんなことないわよぉと笑う。
「小難しいことを考えてばかりの貴方にはわからないかもしれないけど、直接話し合うのが一番早い解決策よ?」
「はあ……」
「ちょうど瑶が夏至節で怪我したらしいし、お見舞いついでに話をしてみたら?」
「貴女は僕を玉妃のもとに行かせたいだけでしょう」
悧珀がじとりと見やると、靜は愛らしい
「それもあるわ、もちろんね。最終的に燕妃を選ぶにしても、貴方には視野を広く持ってもらいたいのよ」
「物は言いようですね」
悧珀は冷めた茶を煽る。茶菓子の器は殆どを靜が食べてしまって空になっていた。
ふわふわとした後れ毛を払って、靜はその黒曜石のような瞳をくるりと回す。
「燕妃の立場がものすごく悪くなってるのは事実よ。外からも瑶を推す声が上がっているし。燕妃を守るためにも何が真実なのか、貴方は知らなきゃいけないわ」
靜の華奢な指が器に絡み、凹凸のある茶器の表面を撫でる。
「後宮は将来ある女達の人生を
ゆったりと靜の眼が弧を描く。
「ね? そう考えると蔑ろにはできないでしょう?」
「……心得ておきます」
立ち上がる悧珀に靜は手を振る。
ふわふわとしていながらも時折正論を目の前に突きつけてくるのだから、靜の心中を図りきれない。
「頑張ってねぇ」
緩い声援を背中に悧珀は後宮へと向かった。
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