第21話 再訪
「随分室内の様子が様変わりしたね」
やってきた殿下は開口一番そう言った。視線の先には
「髪飾りに、
贈品をしげしげと眺める殿下の後ろで私の眠気と疲労と精神的な疲れは最高潮に達していた。連日の指導が私の体力をすり減らしている。
頭の中がぼーっとする。殿下の話していることが頭に入ってこない。可能であれば今すぐにでも牀榻に飛び込みたい。
「――ねえ、君?」
「えっ、わ、ぎゃっ!」
意識がどこかに飛んでいっていたようで、殿下の顔が突然目の前に現れたことで仰け反ってしまった。殿下を避けようとして咄嗟に後ろに下がったのがよくなかった。慣れない長裾を踏んづけ、ぐらりと身体が後ろに傾いた。
まずい転ぶと思った瞬間に、殿下に手首を掴まれた。
おかげでなんとかひっくり返ることは防げた。
が、素手同士の接触で
もともと疲れていたこともあり、私はそのままへたり込んでしまった。
「そんなに驚かなくても」
不思議そうに殿下が見下ろしている。殿下に手首を掴まれているせいで、彼の思考があれこれと流れ込んでくる。
『よく座り込む子だな、どうしたものかな』
顔には出ていないが殿下は困っている様子だ。
私はぐらぐらする頭に活をいれて、握られている手首を示した。これを離してもらえれば楽になれる。
「手を」
「手?」
「離して、いただけると……」
殿下は暫し動きを止めると、ああと零した。私の意図が伝わったようだ。すぐに手を離してくれた。
「そんなに君の術は反動がくるものなの?」
「反動もそうですが、ちょっとふらついてしまって……申し訳ありません……」
「術者は難儀だねぇ」
全く難儀だとは思っていなさそうな話し振りだ。話題の尽きた他人ととりあえず天気の話をするときと調子が同じである。
私は明滅する視界を俯いてやり過ごす。殿下との繋がりが切れたことで、ようやく頭の中が静かになった。
呼吸を整えて顔を上げると、こちらをじっと見つめる殿下と目が合った。会話が途切れたから、てっきりこちらに興味を失ったかと思ってた。
「立ち上がれる?」
私が僅かに頷くと、殿下は先に立ち上がり、あろうことか私の脇に手を差し入れてそのまま持ち上げた。素肌に触らないように配慮してくれたのだ。
抵抗する間もなく、近くの榻にひょいと置かれた。猫を運ぶときと要領が同じだなと思った。そして何も言わないまま、殿下自身は卓子を回り込んで向かいの榻に腰掛けた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
私が頭を下げると、殿下はさして気にした風もなくひらりと手を振った。
「別に気にしてないよ。けどよく君は床に転がるね」
「申し訳ありません」
私の返しに殿下は僅かに笑う。皮肉だったんだけどなという呟きも聞こえた。
ええ、知ってますとも。ただ、図星でもあるので私としては応じるのもどうかと思ったのだ。
殿下は暫く黙っていたが、何か思いついたのか膝に頬杖をついて前のめりになった。
「ねえ、相手の考えていることがわかるって具体的にはどういう感覚?」
予想外の質問に私は面食らった。殿下との会話は時折流れが予想できない方向に進む。
他人に自身の感覚を説明したことなどない。返答に困り、ううんと唸る。
「自分の思考に他人が挟まってくるような感じ、でしょうか」
「挟まる?」
「はい。自分じゃない人が頭の中で話しているような」
「聞いているだけだと、あまり気分のいいものではなさそうだね」
殿下の形のいい眉が顰められた。
「君の場合、術を意図的に使ってる訳じゃないからそう感じるのかもね」
「そうかもしれないですね」
「術を何度も使って慣れたらもっと使いこなせるようになるかもね」
殿下は卓子の水差しから水を注ぐと、私に差し出した。
「少しは落ち着いた?」
これはもしかしなくても、殿下が気を遣って会話を振ってくれていたんだろうか。
お気遣いありがとうございますと返すと、にこりと笑顔を返された。合ってたのか間違ってたのかはわからないが、殿下の機嫌は悪くなさそうだった。
差し出された水を飲み干すと、気分も落ち着いてきた。
私を眺めている殿下は、女性なら悲鳴を上げて頬を染めるような綺麗な笑みを浮かべる。残念ながらこの人がただのだと認識している私には効かない。
「君の力は使わないと宝の持ち腐れだ。うまく扱えるようになったらその力は強力な武器になるよ」
殿下は随分興味があるようで、その目はキラキラと輝いているように見える。
あれ……気を遣っていたのではなく、ただの興味本位の話題だったのかも。
殿下は上機嫌。まるで新しい玩具を見つけた子供のようだ。緑紹が殿下は興味のあることにはかなりハマりこんで研究熱心だと言っていた。逆に興味のないことにはとことん無関心だと。
その理論からいくと、私の異術は殿下の興味の枠に入ってしまったようだ。
私の術なんて役に立つのだろうか。
私のため息は殿下の話し声にかき消されていった。
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