第22話 明睿の助言



  

 虫すら寝静まった夜更け。月も欠けて薄暗い夜。

 自室でひとり、机に向かっていた悧珀りはくだったが、何かが動くような気配がしてふと顔を上げた。すると、机の前に色鮮やかな衣装を身に纏った長身の女官が音もなくひとり立っていた。内心心臓が跳ねる。一体いつからいたのか。昔から音を立てずにやってくるから心臓に悪いのだ。

 

明睿めいえい、何か用かな」


 驚いたことを悟られぬよう取り繕って声をかける。当の明睿は気にした風もなくにこりと微笑むと、おもむろに懐からボロボロの紙片を差し出した。

 

「昨日の昼にらん家より柊月しゅうげつ様に宛てて書簡が届いていました。内容も内容だったので悧珀様の目にも入れておいた方がいいと思い、ご報告に」


 悧珀は書簡と明睿をそれぞれ見やると顔を顰めた。


「明睿、僕のところに来るならその服装を改めてもらってもいいかな。違和感がある」


「ご自身で指示しておきながら随分な言い様ですね」


 明睿が肩をすくめる。悧珀と睿明は古くからの付き合いで、緑紹りょくしょうとはまた形の違う友人のような存在だ。口調も皇太子相手に馴れ馴れしくもあるが、悧珀に気にした様子はない。

 

 悧珀が書簡を受けとって目を通す。

 柊月に媚を売って援助を頼むような内容だ。彼女にあの不遇を強いておきながら、よく送ってこれたものだと悧珀は呆れる。外からの密書は後宮の則に反する行為だが、ない話ではない。見なかったことにして流してしまうこともできるが、藍家がどこまで調子づくか考えると放っておくこともできない。


「藍家は厄介だな」


 悧珀がため息をついてそれを折り畳む。

 先だっての酒宴といい、柊月絡みの問題といい、柊月の周りは問題が山積みだ。


「これを彼女は見てる?」


「見ていません。目に入る前に回収しています」


「賢明だね」


 悧珀にとって藍家の内輪揉めなどどうでもいいことだが、柊月に害が及ぶとなると無視できなくなる。柊月は貴重な燕子、失うわけにはいかない。

 柊月が正式に太子妃、皇后となった場合、藍家とは外戚関係になる。今の藍家と良好な関係が築けるとは思えない上に、柊月もいい顔をしないだろう。何処かで手を打ちたい。困ったものだ。これからは常に藍家の周りに密偵を張り込ませた方がいいかもしれない。

 

「藍家への動向調査はこれまで通り続ける。また何かあったら教えてくれ」


「かしこまりました」


「それと、彼女におかしな動きがないか警戒しておいて」


「おかしな動きですか?」


「彼女が藍家当主の手駒になるような動きだよ」


 柊月は自分をコケにしてきた相手に従順に接するような人間ではない。が、万が一ということもある。

 

「柊月様はそのような真似はしないと思いますが」


「言い切るんだね」 

 

 悧珀は明睿を見やる。明睿は躊躇なく頷く。


太子妃選儀たいしひせんぎに向けて日々とても真面目に指導を受けています。おざなりにすることもなく、全て覚えていってくださっています」


 明睿が他人を褒めるのは珍しい。

 悧珀は書類を捲る手を止める。


「彼女、優秀?」


「はい。今まで教育されていなかったことが悔やまれます」


 明睿の表情は険しい。悧珀はそれを一瞥し、ふうんと零す。

 昨晩柊月の住まう桂花宮を覗いたが、勉強部屋と思われる場所は大量の本で埋まっていた。随分と睿明にしごかれているようだった。鬼畜の明睿の指導についてきているなら柊月はかなり優秀な部類に入るだろう。

 明睿は更に続ける。


「柊月様の指導の際に、私のように女官にも手袋を身に着けさせようかと思っていますが、いかがでしょう。覗見術しけんじゅつが柊月様の相当な負荷になっているように見えます」

 

 悧珀は柊月の様子を思い出す。座り込むほど疲弊しめいたのは、明睿の指導や藍家の書簡の件だけでなく覗見術の発動による反動もあったのか。柊月曰く、彼女の術は相手の思考を頭にねじ込まれる感覚らしい。女官ら複数人が接触してくれば、それは当然疲れるに決まっている。

 

「そうだね、明日から女官らにも触らないよう伝えておいてくれ」


「かしこまりました」


 几帳面に頭を下げた明睿が一つ質問なのですが、と前置きしてきたため、悧珀は手を動かしながら黙って先を促す。


「悧珀様は柊月様のことをどうお思いで?」 

 

「どうって……」


 手元の書類に目を落としたまま、悧珀は答える。


「明睿の評価を聞く限り、太子妃として十分使える人材なのかなと思っているけど」


「いえ、そうではなく……私の聞き方が悪かったですね」

 

 悧珀の回答に睿明は僅かに口を尖らす。


「悧珀様ご自身が柊月様に対してどのような感情をお持ちなのか伺いたく」


 悧珀は予想外の質問に首を傾ける。

 

「それを聞いて君はどうしたいの?」


「……私は、悧珀様に利用されているとわかっていながらひとり奮闘されている柊月様を見ていると、不憫でなりません。利用するだけでなく、せめて少しでも悧珀様のお気持ちを柊月様に砕いていただければと思いまして」


 真っ直ぐな明睿の目が悧珀に刺さる。明睿は同じ側近でありながら、緑紹と違う考えを持っている。緑紹は悧珀第一主義だが、明睿はいつも中立な立場をとる。悧珀にとって明睿の視点は、いつも何かを問いかけてくれる大事な視点だった。

 きちんと答えないと帰らなさそうだ。悧珀は手を止めて頬杖をつく。


「そうだな……面白い子だなと思ってるよ。言動も行動も他に見たことのない子だから、変わってて面白い。覗見術も興味あるしね」


 明睿は悧珀の回答に暫し動きを止め、緩やかに口角を上げた。

 

「そうですか……思ったより悧珀様が柊月様のことを気に入ってらっしゃるようで安心しました」


「気に入ってるとまでは言ってないよ」 


 否定する悧珀を無視して明睿はしみじみとひとり頷く。


「悧珀様は興味のないものに対してとことん無関心ですから。柊月様のことも何もないで一蹴されると思っていました。でも柊月様にご興味を持っている時点で、彼女への印象は悪くなかったということです」


 悧珀は納得いかないといった様子だ。眉を寄せる。


「僕が思いやりも何もない人間のように言うのはやめてほしいんだけど」


「何年も前から仕官してた侍官に『君、新人?』と聞いたことが数回ございました。他にも悧珀様に懸想してた隣国の公主のことを、興味ないと言って名前と顔すらご存知ないまま切り捨ててらっしゃいましたね。あと、この前官吏とも――」


「…………」


 つらつらと過去の発言を並べられ、何も言い返せず悧珀は黙る。


「悧珀様は思いやりのある方です。ただし、思いやる相手が限られているだけです」


「間違ってはいないと思うけど」


「関心を向けた時点で、悧珀様は柊月様を少なからず“いい”と思っているということですよ」


 悧珀はわざと音を立てて筆を置いた。


「君、いい加減に仕事に戻ろうか」

 

 明睿が笑う気配がする。悧珀はもう行けの意味でしっしと手を振る。

 明睿は苦笑するとすたすたと帰って行った。

 

「……余計なお世話だよ」


 じわじわと居心地の悪さが足元から上ってくる。手のひらに柊月の細い手首の感触が残っている。明睿の言葉が頭を巡る。

 

 悧珀は暫くその後ろ姿を見ていたが、切り替えるように頭を振ると、また仕事に戻っていった。


 

 

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