第18話 初夜?



 静寂が耳に刺さる。

 殿下が人払いをしたこともあり、私達二人の立てる物音だけが房間へやに響く。

 

 茶器を卓子に置きながら殿下を盗み見ると、むっすりとした表情で腕組みして目を閉じていた。とにかく睫毛が長い。そして眉間に皺が寄っている。雰囲気からして嫌嫌ここに来たのだろうことはわかる。それでもって男女のあれこれになりそうな気配は微塵もない。それだけで内心ものすごく安心した私がいた。

 

 やることもなく殿下を觀察していると、いきなりこちらを向いた殿下と目があってしまった。


「立っていないで座ったらどう?」


 目だけで彼の座っている長榻の隣を示される。

 殿下と並んで座るのはどうなんだろうと思ったが、生憎ここには他に椅子がない。彼がいいと言うならいいのだろう。そう思い直し、なるべく端の方に腰掛けた。

 

「ここでの生活に不自由はないかな。何か必要なら取り寄せるよ」


 殿下が室内を見渡す。この内装で不自由があるわけがない。服だって毎日新しいものが着れるし、食事だって温かくて食べきれないほど出てくる。不自由どころか贅沢過ぎる。


「お気遣いありがとうございます。特にありません」


 私が首を振ると、殿下が人差し指を立てる。

 

「服飾品は? これから公の場に出ることも増えるし、あっても困らないよ」


「いりません。ありがとうございます」


「……そう」


 殿下はなんとも言えない表情だ。

 いらないものはいらないのだ。今ある分だけで十分すぎる。

 

 視界の端に殿下のすらりとした長い脚が入る。改めて見ても彼は本当に長身だ。座っていても足を持て余している。

 

 長身といえば。

 

 ふと昼に殿下に抱えられたことを思い出した。まだそのことについてお礼を言えていなかった。

 姿勢を正して身体を殿下の方に向ける。


「殿下、今日はありがとうございました」


 殿下の顔がこちらを向く。


「何のこと?」


桃春とうしゅんや他の妃のいるあの場から連れ出していただいたことです」


 殿下があぁと零す。

 

「礼を言われるほどのことはしていないよ。まさか足が痺れただけとは思わなかったけど」

 

 チクリと嫌味が刺さる。ご尤もだ。


「その節は大変申し訳ございませんでした……」


 殿下は無言で私を見やり、視線を外した。暫し沈黙が落ち、会話が終わった。…………何か話題を提供した方がいいだろうか。


「ええと、今晩は何故こちらに?」


 色々と考えて出てきたのは、話題というよりただの質問だった。

 

「何故とは?」


「いや……」


 今日初夜ですよね?だなんて私からは聞けない。

 言葉に詰まっていると、察してくれたのかようやく殿下が口を開いた。


「今日はどこの妃のもとへ行っても角が立つ。なら、どの派閥にも属していない君のところへ行った方がまだマシだろうと判断してここへ来たんだ」


「消去法……」


「仕方ないだろう。ここにいるのは外廷の男どもの息のかかった娘ばかり。誰を相手にしても後々面倒なんだよ」


 殿下は口を尖らせた。


「それに今の私に大勢の女性を食い散らかす趣味はない。いずれ跡目を作るために必要だとは思うけど、下手な女性に手を出して他の皇子らに付け入る隙を与えたくはない。足場を固めるまでは色事は二の次だね」


「それは他の妃には聞かせられない話ですね」


「だろうね」


 殿下がため息を零した。切れ長の目が緩やかに閉じられる。よくよく見ると殿下の目の下にはうっすらと隈があった。だいぶお疲れのようだ。

 今日は朝から冊封で後宮に詰めていただろうし、ずっと妃らに囲まれているのは大変そうだ。

 侍女達の反応を見る限り、殿下が後宮に来るのは、狼の群れの中に山羊が放り込まれるような印象を受ける。群がる女性、揉みくちゃにされる殿下。あながち間違いではなさそうだ。

 

「その容姿だと女性が放っておかないですもんね」


 私の呟きに殿下の目がうっすらと開いた。

 

「ん? まあそうだね」


 否定しないんですね。

 顔に出ていたのか、殿下の目が細められる。彼の長い睫毛が顔に影を落とす。

 

「客観的に見て、自分の見目の良さは理解しているよ」


「おお、強気」


「純然たる事実を述べているだけだよ。何事にも容姿は重要だ。ただ、後宮に関して言えば、それが裏目に出ているとは思っている」


 そうでしょうね。

 きゃあきゃあと熱烈な視線を投げかけられていることに、本人が気づかない訳がない。素知らぬ顔は演技ということか。

 

「苦労が多いのですね」


 思わず口をついた言葉に殿下が動きを止めた。琥珀色の瞳の目が丸くなっている。

 さすがに軽口が過ぎたか。


「申し訳ありません。出過ぎた発言をしました」


「いや……少し驚いた」


 殿下が背もたれから身体を起こした。


「つくづく君は変わっているね」


 褒められていないということはわかる。自分でも一般的な女性像から外れている自覚があるので否定はしない。

 殿下の細く長い髪が肩口に流れる。

 

「着飾ることも興味がないし、贅沢もしたがらない。君、そんなに後宮暮らしは嫌? ここだとらん家にいた頃よりきっといい暮らしができると思うよ」


 仮に嫌だと言っても解放する気はないだろうに、わざわざそれを口にするのはずるいのではないだろうか。

 

「私はいい暮らしをしたいわけでも、贅沢をしたいわけでもありません。あなたに脅されてここに来たんです」


 私の返しに殿下が黙る。これくらいは言っても許されるはずだ。

 

 椅子に座り直すと、結んでいない髪が顔にかかった。私の髪は昔から緩くうねる癖があって、幼い頃は桃春の真っ直ぐな髪が羨ましかったものだ。

 

 なんだか藍家での暮らしが遠い昔のように感じる。実家は今どうなってるのだろう。私のことはもう耳に入っただろうか。


「でも、燕子えんしだけが取り柄の女と言われたくはないので、私は私なりに頑張りたいとは思っています。どうせ逃げ道もないですし、利用されるだけなのは嫌ですから」


 私の言葉に、何故か殿下は声を出して笑った。私としては、勇気を出して結構本気で言ったつもりだったのだが。

 少しむっとすると、ごめんごめんと返される。


「君が男に生まれていたなら、その度胸とよく回る口は能吏として活躍しただろうね」


 よくそんな大口を叩いたなという意味か。私はふいと顔を背ける。

 

「嫌味なら結構です」


「いや、これは褒めているんだよ」


 ちらりと見やると、殿下の口の端が上がっていた。ここに来たときより随分と機嫌がよくなっている。


「存外気骨があるのだなと驚いてるんだ。今を受け入れてくれている君には感謝しているよ」


 感謝。今、彼は感謝と言った。

 

 彼の第一印象は慇懃無礼。しばらく話していて思ったのは、相手に一線引いて踏み込ませないような慎重さもあること。少なくとも軽い気持ちで相手に謝意を述べるような人には見えなかった。

 私のような人間に感謝できるのかこの人、と驚いたのだ。

 

 そんな私の顔を見て、殿下の表情がすこんと真顔になった。

 

「今とても失礼なことを考えているだろう」


「そんなことはないです」


「君、自分で思っている以上に表情に出ているよ」


 本当か。

 思わず頬を触るとじとりとした目で睨まれた。


「わかりやすくて結構なことだね」


 これでは自分で失礼なことを考えていましたと言ったようなものだ。

 目を逸らすと、はあと大きなため息が聞こえてきた。

 

「まあいいさ。これからのことについて話しておきたい。今後、僕は体面を保つため嫌でも後宮へ通わなければならない」


 殿下が長い脚を組む。

 

「そこで当面の間は君のところへ通おうと思っている」


 おや、話の風向きが急に変わったな。

 

「それはまた何故」


「最初に話した通り、他の妃や外廷への牽制だよ。僕は後宮へ通うという義務を果たし、君は寵妃としてここでの足場固めができる。妃同士の無駄な寵愛争いも防げる。お互いに利のある提案だ」


 清清しいほどの回答、ありがとうございます。殿下の悪びれのなさが突き抜けている。


「寝に来られるだけなら、私はいくらでも寝床を差し出しますけど」


 来ても何もしないことがわかっているなら、私としても気にしない。好きに来て、好きに寝て帰ってもらえればそれでいい。

 殿下はへぇと零す。

 

「夜通し同じ場所にいるけど気にはならないんだ」


「私に拒否権なんてありませんし。殿下にとっても私なんていてもいなくても同じでしょう」


 殿下がそうすると言ったらそうするのだから、私がとやかく言う権利はない。私に発言権はないのだ。

 殿下は私をまじまじと見ると、すうっと眉根を寄せた。

 

「な、何ですか」


「君には警戒心がないのかな」


「警戒心?」


「女性としての自覚はある?」


 そこに引っ掛かったのか。何を今更。


「ありますよ。でも殿下は私を女として興味ないですよね?」

 

 一拍おいて返事が来た。


「…………ないね」


「なら問題ないですよね。それに私、触ると殿下の意図もわかるので」


 自己防衛くらいできますから気にしないでの意で両手を眼の前で開いて示すと、殿下が特大のため息とともに髪をかきあげて天井を仰いだ。


「君といると調子が狂うな」


「え?」


「なんでもない」


 何を言ったのか聞き取れなかったが、殿下が欠伸とともに立ち上がったので話は中断された。


「もう休むよ」

 

 そう言う彼の目は眠そうだった。

 私もようやく寝れる。こちらも眠気の限界だった。頭がふわふわする。


「私は長榻で寝ますから、殿下は牀榻ベッドをお使いください。私、どこでも寝れるので」


「いや、君――」

 

 有無を言わせず殿下を牀榻に押しやる。ここで押し問答があると更に寝るのが遅くなる。牀榻に置かれていた二組の被子ふとんのうち一つを取ると、さっさと灯りを落とした。


「それでは、おやすみなさい」


 藍家にいた頃よりも温かい布団に隙間風の吹かない室内、ギシギシ音の鳴らない牀榻……まあこれは榻なのだが。食べるものも困らないし寝床も困らない。妃の生活は衣食住がしっかりしていることが素晴らしい。

 

 呆気に取られたような殿下を尻目に、私は長榻に横になると目を閉じた。

 


 そして私が明け方に目を覚ましたとき、殿下は既にいなくなっていた。

 

 

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