第19話 独白





 灯りの落ちた室内は、すっかり静まり返っている。

 悧珀りはくは牀榻から身体を起こすと、足音を立てないようそろりと長榻を覗き込んだ。

 まず目に入ったのは、小さく上下するこんもりと盛り上がった被子ふとんの山。そこに埋もれるようにして顎まで被子を掛けて丸まって寝ている柊月しゅうげつがいた。


「……本当に寝たんだ」

 

 どこでも寝れるとは言っていたが、これは最早特技の一つではないだろうか。寝つきがいいにも程がある。

 女性を牀榻に寝かすのはどうかとも思っていたが、幸せそうに寝る姿を見て、まあいいかと思い直した。


 窓から落ちる月明かりが柊月の顔を照らす。初めて会ったときに比べると幾分か血色がよくなっている。春節のときは襤褸着を着ていて顔色も悪く、まさか彼女があのらん家の長女だとは思いもしなかった。

 

 情報収集に出した密偵からは、柊月は物置に押し込められて暮らしていたようだとの報告もあった。柊月本人の口で語られた内容は、事実のうちのほんの僅かな部分だけだった。

 彼女があっけらかんとしているのであまり深刻さは感じないが、彼女のこれまでの暮らしは悧珀の想像していたものより悲惨だった。家族に囲まれながらも、寄る辺なく独りで生きてきた彼女の孤独は計り知れない。


 彼女のことを憐れとまでは思わないが、難儀な人生を選んだものだと思う。

 

 両親に媚を売って擦り寄れば、もっとまともな生活をさせてもらえていたかもしれない。あそこまで桃春がつけあがるような関係性にはならなかったかもしれない。

 しかし、それをしなかったのは柊月の選択だ。


『……稀物マレモノとしてあの両親にいいように利用されるのが嫌だっただけです。ただの意地です』


 そう言いのけた柊月に後悔の色は見えなかった。少なくとも、他者に頭を下げてへつらう人生を選ばなかったという点については少なからず感心した。


「ううん……」


 寝返りを打とうとした柊月がもぞもぞと動く。瞼が震えるが目を開く気配はない。深く寝入っているようだ。

 どこか達観したような表情も、愛想の抜け落ちた態度も、遠慮のない物言いも、柊月は今まで悧珀が見てきたどの女性とも違っていた。脅しで連れてこられたにも関わらず、苦労が多いですねと言い、悧珀に食ってかかる人間はこれまで会ったことがない。


「暢気なものだな」


 男と同じ部屋で平気で寝ることができるところはどうかと思うが。女性に男として見られないのも生まれて初めてのことだ。


 燕子えんしであればなんでもいいと思っていたのだが、今日話してみて彼女の印象が変わった。あまりに他の妃と違いすぎて、興味が湧いてきた。彼女は頭の回転も早い。他の世間知らずの良家のお嬢様より、ずっと世間を知っている。

 

 すぴすぴと眠る柊月をもう一度見下ろし、悧珀は牀榻に戻った。その横顔はどこか楽しそうだった。

 


* * *



 パリン、と。

 真っ暗な房間へやに花瓶の割れる音が響く。桃春とうしゅんは手にしていた茶器も花瓶と同じく床に叩きつけた。


「お姉様が異術者……それも稀者? ありえないわ……」


 姉とはずっと同じ屋根の下で暮らしていたが、そんな素振り一つも見せたことはない。お父様やお母様が能無しと罵っても、いつも能面のように表情一つ変えず何も喋らなかった。


『姉が異術者だと知らなかったなんて、そんなことありますの? 家族なのに?』


『もしかして藍妃さまが嘘をついていた?』


『なら、妬んで虐めていたのは藍妃さまの方ということ? 実の姉を侍女にして虐めるなんて非道い方……』

 

 冊封の場で、周りの妃達がそう囁いた。桃春は一人ぽつんと取り残されて、遠巻きに見られるだけだった。

 

 藍家は近年異術者が生まれず采四家さいよんけの中で凋落の一途だった。それが桃春の誕生により持ち直すはずだった。

 なのに、いきなり無能の姉が稀者だと抜かす。蝶よ花よと育てられてきた桃春はどこにでもいる普通の異術者だというのに。


「お姉様のことはお父様達の耳にも入るかしら……?」


 当然入るだろう。きっと驚く。


 ――あのだった姉が稀者だと知ったら、どういう反応をするのだろう。


 姉は、五歳まであらゆる教育を受けさせられていた。未来の異術妃となるべく、両親からの期待を一心に背負い、読み書き、器楽、裁縫と、貴族の子女として必要なことを朝から晩まで叩き込まれていた。世間一般の五歳の娘には難しすぎる内容であっても、姉は卒なくこなしていた。あの涼しい顔で、いつもの無表情を崩さず、当たり前のように出された課題を解いていた。

 

 対して桃春は、同じようにやっていても姉のようには上手くできなかった。何をしても躓く、うまくいかない。姉が当然のようにできることが、桃春には難しすぎた。勉強や手習いでは姉に到底勝てなかった。

 姉の抜けるように白い肌も、墨染のような黒く長い髪も羨ましかった。当時密かに憧れていた近所の哥哥にいさまが、柊月はまるで冬の白雪のように輝いている、可愛らしいと頬を染めて話しているのを聞いたときは、腸が煮えくり返る思いだった。


 だから、桃春に異術が発現して姉が不要とされたときは嬉しかった。桃春にも唯一姉に勝てるものができたのだ。

 

 両親は姉に見向きもしなくなった。

 姉は物置に住み、下女のような雑用ばかりやらされるようになった。綺麗だった肌も髪も、見る間にみすぼらしくなり、桃春の方が美しいと持て囃されるようになった。

 

 無術者で無能の無愛想な姉。異術者の美人で可愛らしい妹。

 それが当たり前だったのに。それが何故、姉が稀者に?

 

 姉が稀者だなんて信じられないが、もし、もし本当にそうだったなら。皆が認める術があるなら。

 

 お父様もお母様も、周りの妃も、悧珀様も、皆お姉様の味方になってしまう。姉を虐げていた妹として後ろ指を指されるようになってしまう。


「そんなの、絶対に、嫌……!」


 さっきの花瓶の割れる音を聞きつけてか、琉杏るあん玉鈴ぎょくりんが室に駆け込んでくる。

 桃春は唇を噛んだ。じわりと鉄の味がした。

 

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