第30話 予感




 帰ってきてからの私達だが、とにかく怒られた。それはもう、こってりと。殿下は緑紹りょくしょうに、私は明睿めいえいにだ。

 

 きっと怒られないよという殿下の読みは、ものの見事に外れていた。




悧珀りはく様はいいとして、問題は柊月しゅうげつ様ですよ!!」

 

 緑紹の怒りは凄まじかった。

 殿下の放蕩癖は今始まったことではないらしく、そこまで問題にはならなかった。それはそれでどうかと思うけど。

 問題は私だった。まさか私までいなくなるとは思わなかったらしい。


 部屋に戻った阿子あこが最初に私がいないことに気づき、てんやわんやの大騒ぎ。明睿が殿下の置き手紙に気づいて騒ぎが大きくなる前に対応したが、阿子は私が誘拐されたんじゃないかと思ったらしく、大泣きしていたと聞いた。涙で顔をべしょべしょに濡らしていた阿子を想像するとあまりに申し訳なくて。帰ってきてから阿子を抱いて私も少し泣いた。

 

 その後、無理矢理連れ出した殿下に非があるとして、皇太子が床に座らされて緑紹に懇々と詰められている姿はなかなかの光景だった。


「無事に皿が見つかったんだから、成果としては十分だろうに」


 数日経って落ち着いた頃に、後宮に殿下がやってきた。いつもの夜ではなく昼の訪問で、監視役なのかこの日は珍しく緑紹も一緒だった。


「何を仰っているんですか。結果的に無事だったというだけですよ。柊月様に何もなかったからよかったものの」


 じとりとした目で殿下を見る緑紹から苦労が偲ばれる。私は黙々と茶菓子をつまんで会話を見守る。


「相変わらず僕の心配はしないんだね」


「貴方の身はこれまで心配しすぎて、一周回ってもう大丈夫だろうと思うようになりました」


 これぞ諦めの境地。

 政務中ということもあり、夜に来るときより服装がかっちりしている殿下は窮屈そうに胸元を緩める。


「皿は使節を組んで西胡に送り届けられるそうだ。父上も大層お喜びだ。柊月の手柄だと伝えると、また機会を設けて会いたいと言っていたよ」


「勿体ないお言葉です」


「僕は父上からもまた怒られたけど」


 陛下の耳にも入ったのか。予想はしていたが、ちょっとした騒ぎになってしまった。

 緑紹が手に持つ書簡でパシンと手のひらを叩く。


「悧珀様、それは自業自得ですよ」


 緑紹はまだ怒ってる。私は申し訳無さから小さくなるが、慣れているのか殿下には緑紹の怒りなど刺さらない。

 

「柊月は悪くないんだからそんなに畏まらないでもいいのに。久々の外は楽しかっただろう?」


 いや何故この流れで私に振る。

 殿下と緑紹。対照的な表情の二人を前にして私は明後日の方向を見る。

 

「楽しかった……ですけど勝手に抜け出したことは大変反省しております」


「だから謝らなくていいのに」


 殿下の肩に緑紹の手がポンと乗る。


「調子に乗らないでください。柊月様、貴女もです。悧珀様に随分と毒されてしまって」


「柊月はもともとこんな性格だろう?」


「はあ……」


 頭を抱える緑紹と横で平然としている殿下。二人が長い付き合いで培ってきた関係性があるのだろうなと思うと、その対比が面白くもあった。


「悧珀様、最近は縄抜けや鍵開けまで習得されて。興味の向くままに何でもするのはよろしいですが、貴方様は一体何になるおつもりですか」


「後々は皇帝になるつもりだけど」


「よくこの会話の流れで言い切れますね」


 緑紹といると殿下は少し幼く見える。普段が飄々としているので、口答えして反論する姿が珍しく見える。

 こんなに心を許して言い合える仲の人間がいるのは羨ましいな。私にもいつか出来るだろうか。

 そんなことを考えていたら思わず口から漏れてしまった。

 

「お二人は仲がよろしいんですね」


「「どこが?/どこがですか?」」


 二人で揃った声に笑いを耐えきれず口元を押さえた。


「ふふっ……そんなに否定なさらなくても」

 

 本当に息がぴったりだ。いいなあ、こういう仲のいい友人関係。

 

 険しい顔をしていた殿下と緑紹が、ぴたりと動きを止めた。驚いたような顔で私の顔を凝視している。その姿に今度は私が固まった。

 

「柊月、君――」


 笑ったのがよくなかったのか、それとも何か私の顔についていたのか。


「笑えたの?」


「……………………はい?」


 思ってもみない答えが返ってきた。


「僕、君が笑った姿を初めて見たんだけど」

「もちろん笑えますけど……ん? 私、今まで笑ったことありませんでしたか?」

「ない」


 はっきり断言された。


「あっても、こう、引き攣った笑いか愛想笑いだった」


「そ、そうですか」


 もともと私は愛想がよくない。相手が相手だっただけに、無意識に顔に出ていたのかもしれない。気をつけないと。


「あの、どうしました?」


「…………なんでもない」


 ふいと殿下が顔を逸らした。口元に添えられた手で表情が見えないが、横を向いた橫顏と肩口から流れ落ちる髪の隙間から見える耳が僅かに赤い。これって……。


「照れてるのですか? 何故……?」


「君はどうしてそうはっきり言うんだ」


「はい?」


 首を傾けるも殿下はそれ以上何も言わない。横で見ていた緑紹が大仰に息を吐き出した。


「もうお二人で好きにしてください。私は別件で先に戻っていますから」


 殿下に何事か耳打ちすると、緑紹は私に礼をして下がっていった。

  

 殿下は緑紹が出て行った後、暫く無言だったが、一息つくと懐から小さな箱を取り出した。ことり、と目の前の卓子に置かれる。


「殿下、これは」


「皿を見つけるのに手伝ってもらったお礼だよ。あと、呼び方。悧珀のままでいいよ」


「そんなことはできません」


「いいから。僕がいいと言っているんだからいいんだよ」


 圧が強い。是以外の返事を受け付けない態度だ。


「せめて悧珀様と」


「駄目」


「何故……」

 

 むっすりと目を細める殿下はどこか拗ねているようにも見える。この人、こんな感じの人だったっけ。思ったことははっきり言う人だったけど、これでは子供のようだ。


「せめて二人だけの時に。周囲への示しがつきません」


「……わかった」


 私の提案に仕方ないといった感じで了承されたが、それでも私としては悧珀と呼ぶのは憚られる。他の人に見られたら袋叩きに合ってしまう。そんなの嫌だ。

 

 それよりも目の前の小箱だ。木の小さな箱。確かお礼と言っていた。じっと私を見つめる殿下……いや、悧珀の目は思った以上に真摯だ。いらないと言える感じではない。


「お気遣いありがとうございます。開けてもよろしいですか?」


「もちろん」


 受け取ると、ほっとしたような顔をされた。

 手のひらぐらいの大きさの細長い箱だ。ゆっくり蓋を上に引き上げると、中には透かし彫りの薔薇の簪が入っていた。透かしの部分は濃紅色の玻璃でできており、日に翳すと光を通して花が輝いて見える。


「綺麗……」


「僕がつけよう」


 悧珀に背を押され、鏡台の前まで連れて来られた。悧珀に簪を渡すと、髪に丁寧に挿してくれた。

 鏡に映る自分と向き合う。綺羅綺羅と透かしが日に反射する。小ぶりな簪だが、造りが細かいこともあって見栄えがする。


「柊月の髪と瞳は藍がかっているから、対照的な赤も合うんじゃないかと思ったんだ」


 無意識だろうか、悧珀の指が私の髪を梳く。つと指先が首を掠めた。

 

「僕の見立ては間違いじゃなかったね」


『綺麗だ』


 一瞬どちらが悧珀の口から出てきた言葉で、どちらが読み取った悧珀の思考なのかわからかった。自然に頭の中で二つの言葉が交じって、私の動きと止めた。


「どうしたの?」


 鏡越しの悧珀は真っ直ぐにこちらを見ていて。私より色素の薄い髪に肌。骨ばった大きな手は私の肩に置かれ、すらりとした長身の体躯を折るようにして私の後ろに立っている。

 そういえばこの人は男性だった。綺麗な人という括りで見ていたせいか、男性だということを失念していた。訳もなく頬が熱くなる。


「なんでもありません。こんなに素敵な品をありがとうございます」


 これ以上彼の内面を覗くのはよくない。うまく説明できないが、よくないのだ。

 指が当たらないようさりげなく身体を離す。悧珀は気づかなかったようで、そのまま肩口の手は離れていった。


「喜んでくれたならよかった。……ああ、そろそろ政務に戻らないと怒られるな」


 悧珀が窓の方を一瞥するとため息をつく。近くの窓から走廊が見えるが、明睿が書簡を抱えて歩いている姿が見えた。私も午後の講義の時間なので明睿が戻ってきているのだ。

 

「そ、うですか。わかりました」

 

 二人きりでなくなることに対してほっとしている自分がいた。


「それじゃ、また来るよ」


 悧珀は気にした風もなくひらりと手を振って出て行ってしまった。呼び方に固執していたときの駄々のこね方はなんだったのかというほどあっさりとしていた。


「…………はあ……なんか疲れた……」


 午後の明睿の授業に集中して一旦悧珀のことは頭から消そう。でないと、この胸のモヤモヤが気になってしまう。


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