第31話 それぞれの


 


「こちら、ここ数日で柊月様宛に届いた藍家からの密書です。ご命令通り柊月様の目に入る前に回収しております」


「ご苦労様」


 人目につかないよう、明睿がすれ違いざまに悧珀の袖に密書の束を差し入れる。


「おや、今日は機嫌がよろしいのですね」


 明睿に指摘されたが、悧珀は黙ってそれを受け流す。

 明睿はそのまま通り過ぎて悧珀が出てきた柊月の部屋へ入っていった。


 今回の騒動はしこたま叱られたが、得られるものも多かった。悧珀は知らず口角を上げる。 

 柊月を後宮の外へ無理矢理連れ出したのは、柊月の異術の存在を周囲に仄めかすためだった。彼女に息抜きをさせたかったのは本当だ。しかし、彼女は特異な力を持っている。それが役に立ったという話を広めれば、柊月の立場もずっと良くなる。そう思って後宮から出したのだ。

 その考えは間違いではなかった。今回の成果を皇帝陛下の耳に入れることもでき、柊月の立場は固くなった。

 

 悧珀は袖から覗く密書の束を奥へ押し込む。

 以前悧珀が確認した書簡以外に、柊月へ金の無心する密書は日々送られ続けている。数が溜まってくると、こうして明睿が悧珀に報告するのだ。


「あの人達も諦めが悪いな」

 

 最初の頃は柊月の機嫌を伺うような内容だったが、最近の文面はかなり荒く、何故返信しないのか、育ててやった恩を仇で返すのかと高圧的に書き立てられている。柊月の目につく前に全て悧珀達が握り潰しているため、柊月本人は全く知らない。

 知らなくてもいいことだ。こんな醜い人間の欲望が綴られた書面など、柊月は知らなくていい。


「さて、どうしたものかな」


 いくらでもやりようはあるが、腐っても柊月の生家、采四家の一角だ。これまでの柊月への仕打ちを考えると、悧珀としてもこのまま見て見ぬふりはできなかった。機を見て一掃したい。が、今ではない。今暫くは泳がせておくしかないだろう。


 悧珀は人気のない回廊を抜けて、護衛の待つ桂花宮の門へ向かう。

 桂花宮は、信頼できる宮女や女官のみを配置しているため、ほとんど人の出入りがない。緑紹に指示し、柊月の身の安全を優先させた結果だ。


 柊月は知らないだろうが、桂花宮は下位の妃が暮らす宮よりも仕える宮女や女官の数が極端に少ない。少数精鋭、必要最低限の人数で柊月の世話をしている。

 燕子たる柊月の存在は既に外廷内廷に知れ渡っている。他の皇子に手を出されては困る。それ故の対策だ。


 それだけの理由だったはずなのだが。 

 小さく息を吐き出す。

 

 悧珀は、じわじわと彼女の存在が自身の心を侵食し始めているのを感じていた。


 最初は燕子が手に入ればなんだっていいと思っていた。お飾り、傀儡。太子妃としてそこにいてくれる女性がいれば、誰だって、なんだってよかったはずだ。

 なのに今はどうだ。燕子が柊月でよかったと思い始めている。最初の頃の悧珀が見たら、きっと鼻で笑うに違いない。


 今までの女性は皆、皇太子という悧珀の立場を知るとすぐに態度を変えてきた。顔色を伺い、よりいい立場を得ようとすり寄ってきた。皇太子の悧珀に近づきたいのであって、悧珀自身を見ようとする人間はほとんどいなかったのだ。

 だが柊月は、あの特異な異術のせいもあってか、悧珀の内面を見てくれる。言動や内面を知った上で、居心地がいいのだと言い切る。

 

 ――これから貴方には、私以外にも味方がたくさんできるわ。貴方のことを愛して、寄り添って、皇子という立場でなく、悧珀自身を愛してくれる人がね。


 母の言葉が蘇る。

 愛してくれる。その言葉に、悧珀自身の気持ちが震える。

 そして緑紹に耳打ちされた言葉が頭を巡るのだ。


「……自分でもわかってるさ」

 

――随分絆されてしまいましたね。

 

 その通りだと思う。

 彼女を苦しめてきた存在も、これからを脅かす存在も、憂いは払わねばならない。払ってあげたいと思い始めている。

 無愛想だがお人好しの彼女が、これ以上苦しまないように。これまで苦しんできたのであれば、これからは笑えるように。

 

 ならば、彼女を手放して後宮から出してやれば全て解決するだろうに。

 そんなことはもうできないのだと、悧珀は自嘲する。

 

 悧珀の気持ちが、それを許さないのだ。



 

* * *



  

柊月しゅうげつは皇后になれるのかしら」


 胡恵こけいはそわそわと手の中の書簡を撫でる。

 密偵を通じて桃春とうしゅんから送られてきている近況には、柊月が良娣りょうていとして燕妃えんひの名を賜っているとの旨が書かれていた。桃春からそれ以上の詳細は送られてこないが、風の噂から寵妃として扱われていることは確かなようだった。

 


「まさかあの出来損ないの娘が稀物マレモノだったなんて思いませんでしたわ。どうして柊月は私達に黙っていたのかしら?」


「さあな。アレは幼い頃は多少は分別があったが、今はさっぱりだからな。自分の価値について理解していなかったのかもしれん」


 藍家当主である藍馬堪らんばじんは背もたれに身を預ける。


「桃春は殿下から見向きもされていないらしい。一度のすらないとは。あんなに手を掛けてやったのに、柊月の方が出世するとは思わなんだ」


「柊月だって私達の大切な藍家の姫ですもの! 稀物ともなれば扱いも格別。殿下もそれはそれは大切にしてくださるでしょう。これで藍家の立て直しもできますわね、あなた」


 胡恵が上機嫌に室内を歩き回る。それを使用人達は俯きがちに何とも言えない表情で見ていた。


「柊月の太子妃就任はほぼ内定しているらしい。ともなれば、我々も皇家の外戚となる。加えて才門から稀物へ手当も出る。金銭面での援助は十分貰えそうだな」


「うふふふふ、これで藍家の格も上がりますわねぇ!」


 馬堪が手元の書簡を広げる。次に柊月へ送る予定の密書だ。


「送っている書簡に柊月から返事がないのだが、間違いなく届いているんだろうね?」


 柊月のもとへ度々書簡を出しているが、未だ一通も返事が来ていなかった。

 密偵は間違いなく柊月の住まう桂花宮に届けたの一点張りで、柊月の房間へやへ書簡が入っていく姿も必ず確認しているらしい。柊月の元へ届いているのは確実なのだ。

 胡恵は皺の多くなってきた目尻を指で撫でる。、


「届いてはいると思うのです。でも柊月が返信を寄越さないのです。次に送るときは、必ず返信をするよう強く書きましょう。親からの手紙を無視するだなんて、なんて親不孝な娘なんでしょう」


 声を荒げる胡恵はこれまでの己のやってきた仕打ちを完全に忘れているようだった。


「やっとあの役立たずの柊月が役に立つときが来て、産んでやった私も誇らしいというもの。……でも、可愛い桃春まで最近こちらに書簡を寄越さなくなってきたのが気になりますわね」


「桃春は見目ばかりで異術は並だ。後宮でのし上がり、殿下に目をかけていただくには、やはり高い異術がいるということが今回の件でよくわかった」


 馬堪は髪を撫で付けると、後ろに控えている使用人を呼びつけた。


「おい、瓶が空だ。酒を持ってこんか」


 無言で頭を垂れて厨房へ走る使用人達を尻目に、藍家当主は上機嫌に酒杯を傾ける。


「我らが皇后の外戚として外廷に呼ばれる日も近いな」


 


* * *



 

 室内に再び陶器の割れる音が響く。


「ちゃんと桂花宮へ行ったんでしょうね!?」


 桃春は目の前で蹲る二人に割れた花瓶から花を掴んで投げつける。


「警護の厳しい上に引き籠っているあの女につけ入る隙があるとするなら、貴女達二人なんだから!」


 琉杏るあん玉鈴ぎょくりんは俯いて地面を見つめながら唇を噛む。

 桃春の横暴さは日に日に酷くなっている。後宮内で表立った大きな動きはしていないため悪目立ちすることはないが、陰で自身の侍女や宮女らに対する当たりは目に余るものがあった。

 

 桃春の今の目的はただ一つ。藍柊月を太子妃候補の座から引き摺り下ろすことだ。

 最早自身が良娣になろうとは考えていないようで、柊月憎しと彼女に取り入る隙を伺ってるようだった。


「ご、ご指示の通り、柊月様とお会いしてきました。すぐに殿下のお渡りがありまして、本当に、その、顔を見る程度しかお話できなかったのですが……」


 玉鈴が腕を庇いながら答える。今朝叩かれたところが痣になっているのか、じんじんと痛む。

 

「別に構わないわ。お姉様は友人も頼れる人もいない中、桂花宮に籠もりっきりで過ごしていると聞くもの。貴女達が友人のていで会いに行けば、すぐに信じるわ。お優しいものね、お姉様は」


 自分の考えたやり方がうまくいったことに多少満足したのか、桃春は機嫌をよくした。

 

「次に行くのはもう少し期間をあけるわ。頻繁だと向こうの近衛や侍女に怪しまれるもの。もう下がっていいわ」


 犬を追いやるように琉杏と玉鈴を追い払うと、桃春はいつものように自室の牀榻に向かってしまった。

 本来後宮の妃達は、日々養蚕や裁縫、書画、器楽に勤しんで教養や女としての素養を磨くものだ。しかし桃春はそういった努力を放棄し、ただ柊月を憎むことに固執していた。

 柊月さえいなければ、殿下の寵愛も、後宮での立場も、両親からの愛も。全て取り戻せると信じているようだった。


「なんて可哀想な人」


 そう呟く琉杏は、言葉とは裏腹に恨みがましい目をしていた。

 琉杏らは桃春に両親を人質にとられ、どうすることもできず従っている状況だった。二人の家はもともととても貧しい。琉杏と玉鈴が金を稼がねば、両親も弟妹も飢えて死んでしまう。藍家の姫たる桃春が本気を出せば、貧民などすぐに消すことができるだろう。

 嫌でもここは従うしかないのだ。


 二人は割れて落ちている花瓶を拾い始めた。

 最初に花瓶が割れた段階で藍家の侍女らも音を聞きつけて駆けつけたようだったが、桃春の苛立った様子にげんなりとした顔をして引っ込んでしまった。日和見主義もここまでくると病気だ。最近は桃春の相手をするのは、専ら琉杏と玉鈴の仕事となっていた。

 

「柊月なら、私達を助けてくれるかしら」


「わからない……でも助けてほしい……」


 次の機会、何処かの折で柊月に接触して状況を伝えたい。あわよくば助けてほしい。

 二人は手を握り合って俯いた。

 

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