第二章
第7話 エンシ
整然とした
私が
状況はというと。
一言で言うならば、最高!! だ。
藍家にとって、私が藍家の長女でありながら侍女というのは流石に世間体が悪いのだろう。私の出自は周囲に伏せられていた。桃春からは、もし周囲に己が姉だと言ったら異術で切り刻んでやるから、とまで脅されている。言うつもりは毛頭ないので安心してほしい。
おかげで私は一介の侍女、何処にでもいる女として生活できていた。
藍家にいたときより美味しいご飯、雑魚寝だが隙間風の吹かない部屋、継ぎ接ぎのない服、綺麗な建物!! どこをとっても快適だ。残飯を漁って捨てられた布から服を繕っていた頃が懐かしい。
桃春は相変わらず私に対して当たりが強いし、他の桃春の侍女も桃春の命令なのかほとんど口を聞いてくれないが、そんなことは些細な問題だ。いずれ私は桃春から解雇されて後宮を出される身。気にしてない。
「あ!
遠くから私を呼ぶ声がした。振り返ると、こちらに手を振りながらやってくる二つの影があった。侍女仲間の
瑠杏達はもともと皇帝の後宮で働いていたらしいが、今回皇太子の後宮が新設されたことで異動してきたらしい。歳も私と同じ十八で、桃春に仕える者同士苦労も多く自然と仲良くなった。
瑠杏と玉鈴は私を見るなり、私が手に持つ雑巾をしげしげと眺めた。
「こんなところで何してるの? まさか掃除?」
「桃春様は柊月にそんなことまでさせてるの? ああ、こんなに手が荒れちゃって」
玉鈴が私の手を取った。
手荒れはここに来る前からなのだが、二人には黙っておく。手を取られたことで、玉鈴の頭の中が私に流れ込んでくる。
『これじゃあやってることが宮女と変わらないわ。可哀想な柊月。桃春様は藍家のご息女だかなんだか知らないけど、偉そうで嫌になるわね』
玉鈴が怒ってくれるのは私にとってありがたいことだが、まさか私と桃春が姉と妹の関係だとは彼女も思っていないだろう。
ちなみに宮女とは、後宮において妃達を世話するために働く下働きの女達のことを指す。対して宮女の中でも品位という位を持つ上位の宮女のことを女官という。女官は見目は勿論、一通りの教養や読み書きができる優秀な者が多く、宮女と違って
侍女は妃の侍官であるため、高位の女官にあたる。
玉鈴の横で瑠杏が頬を膨らませた。
「別の妃のところへ異動できないか、女官長に聞いてみたら? 柊月は読み書きもできるんだし、こんな雑用ばっかりじゃなくてもっと別の所の方が活躍できるわ!」
私はへらりと笑ってみせる。そんなこと桃春が許すわけがない。
「お気持ちだけ受け取っておきます」
「柊月は謙虚すぎる! もっと反抗してもいいのよ!」
瑠杏が更に頬を膨らませた。
玉鈴がはあとため息をつきながら私の手を離した。
「柊月を焚き付けるのはやめて。今の後宮で立場が一番お強いのは桃春様だわ。采四家本家ご出身の妃は、今回は桃春様だけだもの。下手に楯突いてややこしいことになっても困るでしょう?」
「でも!」
「私達女官は妃にお仕えする立場よ。納得できなくても文句は言えないわ」
玉鈴のたしなめに、瑠杏もぐうと黙った。
玉鈴の話通り、今回皇太子のもとに後宮入りした異術妃は二十名前後だが、その中で采四家本家の出の異術妃は桃春だけらしい。他の本家の姫達は皆、年若く子が産める身体ではないため、もう少し歳を重ねてから妃として上がってくるのではと言われている。
それまでの間は家柄だけ見れば桃春の天下だ。それは確かに誰も文句は言えない。
「もし妃の中にエンシがいれば状況は変わったのにね」
「ほんとよねぇ……」
瑠杏と玉鈴がしみじみと頷いていた。
エンシ、どこかで聞いたような。
「今年はエンシはいないって。もしかしたら皇太子の代では見つからないかもねぇ」
記憶を漁っていると、一月前に頭の中に外套を被った人攫い男が浮かんできた。確か彼はこう言っていた。『エンシと言った方が通じるのかな?』と。
「エンシ!!」
私が思わず叫ぶと、瑠杏達がびくりと肩を震わせた。
「なになに!? どうしたの!?」
「二人はエンシって何か知ってるんですか!?」
「どうしたの急に? エンシがどうかしたの?」
私の食いつきぶりに二人が顔を見合わした。正直に理由を話すとややこしくなりそうなので、嘘をつかない程度に誤魔化して伝える。
「私、エンシが何か知りたくて。ずっと前に単語だけ聞いたことがあるんですけど、そのときはどういう意味かわからなかったんです」
ぼかして伝えたが、二人は納得したようだった。玉鈴がぽむと手を打った。
「なるほど〜。確かにエンシは宮中特有の言い方だから外じゃ使わない言い回しよね。意味が分からなくても当然よ」
「なるほど?」
玉鈴が人差し指を立てた。
「
「稀者の、女性」
思わず動きを止めてしまった。
あの人攫い男に私の異術が知られていた可能性がある? まさか、そんなわけない。初対面だし、何より私の術は外から見てわかるようなものではない。
「もっと詳しく教えていただいても?」
前のめりに二人に迫ると、二人がにっこりと笑う。
「あらあら〜柊月は勉強熱心なのね〜」
「いいことね! 将来有望!」
良い風に勘違いしてくれているようだ。
瑠杏が説明してくれる。
「“稀者を皇后に据えた王朝は、疫病や天災が少なく長く栄える”って言い伝えは知ってるでしょう?」
「ええ、まあ……」
私も本で読んだことがある程度の知識だけど。
そんな馬鹿なと思うが、過去これまでは実際にそうらしいからきっとそうなんだろう。私も稀者だが、私にそんなすごい力があるとは思えないけど。
まあ異術自体が摩訶不思議な力だし、神様や天がそのようにこの国を創ったのだと言われれば、そうなんだと納得するしかない。
瑠杏がうーんと唸りながら言葉を続ける。
「稀者が後宮に上がると、言い伝えにあやかって大体皇后となるの。それで、えーと……上手く説明できないんだけど、稀者を
燕に見立てる……? あ、ピンときた。
「もしかして“燕が軒下に巣を作るとその家が繁栄する”とかいう迷信ですか?」
「そうそう、それ! 柊月に学があってよかったわ。稀者さん、燕みたいにこの国に幸運を運んできてねって意味よ」
可愛らしく瑠杏が付け加えてくれてようやく納得した。
なんてややこしい。宮中特有の隠語とかいうやつか。
でも、燕子が後宮における稀者の女のことなら、燕子という言葉を使ったあの男は少なくとも後宮、あるいは朝廷の関係者である可能性が高いのか。背中に嫌な汗が伝う。
私は無駄な足掻きだと思いながらも、もうひとつ聞いてみる。
「あの、燕子ってツバメと呼ぶこともあります……?」
「
「そうですか……」
確定だ。真っ黒、役満だ。あの男は私のことを稀者だと知って声をかけてきたのだ!
どこで知られたのだろう。桃春に解雇からの、のんびり田舎生活計画に暗雲だ。彼が後宮関係者だった場合、後宮内で鉢合わせすることがあるかもしれない。それは避けたいが、彼の顔がわからないから防ぎようがない。
私が固まっていると、瑠杏と玉鈴が両脇からくっついてきた。
「どうしたの? 何か心配事?」
むぎゅっと二人に挟まれると、彼女達の豊かな胸が腕に当たる。この私の貧相なまな板との差よ。
「い、いえ。何だか夢のある話だなと思って」
咄嗟に誤魔化すと、二人も大きく頷いた。
「ほんとよねぇ」
「あーあ、桃春様に対抗できる稀者の妃がいたらよかったのにね!」
「はははははは……」
まさか自分が稀者ですだなんて言うこともできず、私は乾いた笑いを漏らした。
困ったことになった。
藍家から解放される私の計画のためにも、桃春から解雇されるまで能力があることを知られないようにしないと。見つかったら、何かいいように利用されてしまう気がする。
あの男と金輪際鉢合わせしないことを祈るしかない。
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