第6話 男の正体


 

 重い外套を脱ぎ捨て、悧珀りはくいすに寝転ぶ。すると、すぐに衝立の向こうから足音がした。顰め面の男が姿を現す。


「悧珀様! やっとお戻りになられたのですね。今日はどちらに行かれていたのです!」


「色々とね」


「またそのような曖昧なことを仰って……」


 男は形のいい眉を更に曲げると、大仰に肩を落とした。視線を房間へやに巡らすと、ぐでんと榻に伸びた主人の足元に外套が落ちていた。帰ってすぐ脱ぎ捨てられたようなそれに近づき、呆れたようにため息をついて拾う。


「いつまでも市井に降りてふらふらとしていては陛下にいらぬ心労をかけますよ。ただでさえ体調が芳しくないのですから」


「わかっている。しばらくは止めるさ。ああ、それは衣架に掛けておいてくれ、緑紹りょくしょう


 悧珀は房間へやの隅を指す。緑紹と呼ばれた男はじとりとした目を悧珀に向けるも、黙って外套を片付けた。

 

 悧珀の帰宅を待っていた侍女らが茶を運んできた。悧珀は卓に置かれる前に盆から直接茶器を取ると、茶を一気に飲み干した。


「ああ、疲れたな」


「無駄に外出するからでしょう。それより、明日から貴方様の後宮に入る異術妃がこちらに来ますよ」


 緑紹の口調は主人へのそれとは思えぬほど辛辣である。悧珀は緑紹をちらりと見やると、手の中の茶器を弄ぶ。


「そうみたいだね」


「気乗りされませんか?」


「どうだろう?」


 悧珀の曖昧な返事に、緑紹は頭を抱える。

 

「悧珀様は皇太子なのですから、跡継ぎを作ることは責務のひとつなのですよ」


 悧珀は現勞芳ロンファン国皇帝の皇太子だ。日向の猫のように長榻に伸びる姿は、そうとは見えないが。


「はあ……君は本当に心配性で小言が多いな」


「誰がそうさせてると思ってるんです」


 緑紹の目が釣り上がる。

 

 悧珀は幼い頃より非常に優秀だった。特に勉学では他の十人いる皇子らより頭一つ抜けていた。優秀な悧珀は半年前より体調が思わしくない皇帝より最近立太子された、立派な皇太子……のはずである、と緑紹は思う。しかし悧珀本人にその自覚があるのやら。隙を見ては今日のように市井へ降りたりと自由気儘である。十年来の臣下である緑紹から見ても、悧珀はなんとも掴みどころのない男であった。


 悧珀は欠伸をしながら身体を起こす。

 

「跡継ぎ、ね。たいして興味のない女と交わってもつまらないだけだと思うけど」


 背もたれに身体を預けた悧珀は伸びをする。緑紹は再び眉を寄せた。

  

「つまるつまらないの話ではないでしょう」


「そう?」


「そうです。悧珀様、姫達は皆美しい女性ばかりだと内坊局から噂が上がってきていますよ。れい家、しゅ家本家の一姫に、あと久方ぶりに藍家の姫も――」


「久方ぶりに東宮が花やぐから宦官かんがんや女官らが浮足立っているだけだろう」


 にべもない。

 悧珀は本当に興味がないようだった。

 緑紹はこの気まぐれな主人の気を引ける話題はないかと頭を巡らす。


「こほん……残念なことですが、才門さいもんの前情報通り、今回稀者マレモノはいないようですね」


 その言葉にようやく悧珀が顔を上げた。


 才門さいもんとは、異術を取り扱い、管理している朝廷の秘密部署だ。才門へ術者が異術を申告すると、証が発行されて国より手厚い援助が受けられる仕組みとなっている。どの家に異術者がいるのか、日々才門が確認、管理している。

 貴重な術者を保護し、国力として囲い込むためくさびを打つ。特別な部署である。


 通常、異術者は自身の能力について公にしない。そして術者は家族など本当に親しい相手以外には術を明かさない。なぜなら、異術は“公言するとその分自身の力が弱まる”という制約ルールがあるからだ。

 その制約がある中で、才門は特殊な立場にあるといえる。

 術者が自身の口で術について明かす毎に、使える力が少しずつ弱まっていく。度が過ぎると、最悪の場合異術を失うこともある。そのため術者達は天与の力ギフテッドを失わないために、基本は術を公言しない。

 他者に看破される、指摘される、などはこの規則には抵触しないらしく、自身の口で言うことが条件となっている。そして第三者が術者の能力を公言することはできない。

 

 采四家出身の異術者であれば、家柄で異術の属性はわかるが、実際の力がどう発動されるものなのかまでは他者にはわからない。それを才門は異術者自身に自らの口から才門へ公言させることで“枷”を負わせ、国の術者として首輪をつける役割も果たしている。多少力を減らしても、資金援助と術者としての生活の保証をするので国に貢献しろ、といった具合だ。

 

 しかしそんな才門でさえ、現在悧珀に見合う年齢の稀者の存在を把握できていない状態にあった。


 悧珀はしばし考え込んでいたが、ふむと頷くとおもむろに左手の服の袖を捲った。

 

「そのことで面白い話があるんだ」


「悧珀様? 何を……」

 

 袖で隠れていてわからなかったが、悧珀の左の手の甲には布が巻かれ、うっすらと血が滲んでいた。緑紹は慌てて彼の前に膝をついて手を取った。


「怪我をされていたんですか!? もっと早く言ってください!」


「怪我というほどじゃないさ」


 悧珀は布を上から撫でた。止血のために雑に巻かれた布はおよそきちんと手当できているようには見えない。緑紹が指示を出すと侍女達が手当の道具を取りに房間から出ていく。


「鳥に噛まれたんだ」


「鳥?」


 緑紹が首を傾げる。悧珀は気にした風もなく、口角を上げた。今日、緑紹が初めて見た悧珀の笑顔だ。


「緑紹、燕子を見つけたんだ」


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