第5話 旅立ち

 これは独白、私の呟き。

 愚痴とも言うかもしれないけど。

 

 私には誰にも明かしたことのない秘密があった。

 

 私は一度たりともらん家伝来の風や木々を操る異術を発現したことはない。が、代わりに別の異術を持っていた。

 

 


 私はこれを覗見しけん術と呼んでいる。いわゆる覗き見だ。


 術者の大多数は、采四家に司られる四種の力――火、水、金属・強化、風・木――これらのどれかに連なるのだが、私の力のような特殊な術者もごく僅かだが存在する。


 この特殊な術を持つ人達のことを“稀者マレモノ”と呼ぶ。

 

 術が発現したのは、八歳のときだ。

 このとき既に私は無術者として家族の輪から外されていた。まさか自分が、と思った。でも事実、摩訶不思議な術が使えるようになっていた。


 ひどく安心したのを覚えている。

 、と。

 

 本当に私が異術も何もない無術者だったとしたら。

 勝手に両親に期待されて、勝手に捨てられた、カワイソウな子だったろう。ただ惨めで、辛く、苦しいだけだ。

 でも、本当は稀物だったとなると話は変わる。性格の悪い私は、ざまあみろとまで思ってしまった。


 稀者はめったに現れるものではなく、その希少さから唯一無二として丁重に扱われると聞く。高い地位を授けられ、国からの莫大な援助を家族共々受けられる。


 稀者であることを両親に言えば、私の待遇は大きく変わり、桃春よりも私の方が大切に扱われるだろうことは想像に難くなかった。


 が、私は黙っていることを選択した。


 私が稀者だと名乗ることで、両親らにその恩恵がいく。これまで両親が私にしてきた仕打ちを考えると、とてもじゃないが受け入れられないことだった。

 いいように利用されて、持ち上げられて、両親の出世や名誉のための道具にされるなんてまっぴらごめんだ。私は聖人君子じゃない。一度された仕打ちをなかったことになんてしない。


 私自身も贅沢や特別待遇なんて求めていない。国の端っこで、最低限の暮らしで慎ましやかに生きいければそれでいいのだ。


 今回の桃春とうしゅんの後宮入りと私が侍女になることを機に、私は藍家から離れて生きていくことができる。

 そうしたら自由気ままにのんびり田舎暮らし。ああ、楽しみだ。



 

* * *

 



「あ。あった」


 私は宅邸外の塵捨て場から、自分の衣服一式と装飾品を引っ張り出した。泥と埃がついているが、はたき落とせば問題ない。

 まさか今日という日まで桃春が仕掛けてくるとは。上依と裳を腕に抱えながら、ため息が出てきた。


 あと一刻もすれば容車ようしゃが迎えに来て、いよいよ桃春とともに内廷――後宮へと向かうことになる。そんな日までわざわざ人を使って私の衣装を捨てようとするなんて、本当にご苦労なことだ。


 実行を命じられたであろう使用人に目をつけて能力を使うと、あっさり衣装の場所がわかった。自分に覗見術があってよかったと思う。今まで幾度となくこの手法で修羅場を切り抜けてきたから、最早慣れたものだ。


「おお、すごい人」

 

 屋敷の表門の前には、普段屋敷の外に出ない美貌の桃春を一目見ようと、街の若い男達がたむろしていた。大賑わいである。

 私も支度があるし、急いで宅邸に戻らないといけない。この衆目の中、遅刻しましたなんて言えば、両親に串刺しにされそうだ。


 服を抱え直そうと立ち止まったとき、突然後ろから腕を掴まれた。


 ぎょっとして振り返ると、見知らぬ男が立っていた。走ってきたのか、息を切らしている。目元以外の頭部を布で多い、薄汚れた外套で足元まですっぽりと覆っている姿は、どう見ても不審者だ。

 

「君、ツバメだろう……!?」


 私が男の腕を振り払おうとしても、びくともしない。力が強い。


「離してください」


「質問に答えなさい。何故ツバメがここにいる」


 袖から覗く手を見る限り、歳は若い。痩身だが上背がある。覗き込まれると威圧感があった。


「ツバメ? 誰ですかそれは。私はツバメさんではありませんし、人違いです」


「何を言っている? 君は間違いなくツバメだろう」


「はい?」


 会話が嚙み合わない。一体どこのツバメさんと勘違いしているのか。そんなに私と似ているのか。

 

「エンシと呼んだ方が通じる?」


「いえどちらも人違いです」

 

 訳がわからない。もしや……これは新手の人攫い?

 

 男は私を解放する気はさらさらないようだ。無理矢理引き寄せられて、たたらを踏む。男の意図を読み取ろうにも、頭巾のせいで目元に影が落ちて表情が見えない。


「とにかくこちらへ。一緒に来てもらう」


 男が私を抱えようと腰に手を回してきた。

 力では敵わない。持ち上げられたら為すすべがなくなる。それより前に逃げなければ。

 

 私は咄嗟に男の腕を掴んだ。

 覗見術が発動し、ばちりと脳内に火花が散る。


『どうして今まで見つからなかった? 彼女はどこの家の者だ? まずは保護しなければ』


 彼は私がどこの人間なのか把握していないようだ。藍家の人間を狙った人攫いでないなら、この場を逃げ切れれば追っては来ないだろう。窑子妓楼に身売りされたり人買いのもとにやられたりするなんて、まっぴらごめんだ。


 私が戦闘に使える異術を持っていれば難なく逃げられそうなのだが、生憎そうもいかない。私の非力な異術では、この場はやり過ごせない。うまく男の気を逸らすしかないだろう。

 

 さっき拾った装飾品の中に簪があったはずだ。男に見つからないよう、抱えた服の中を漁って簪を握りしめる。これで手を思いっきり突いてやる。

 

 近づいてきた男の頭巾から、髪が一房落ちてきた。黒茶の髪が私の鼻先をくすぐる。ふわりと甘い香りがした。

 男の手が私の腰を捕まえた瞬間を見計らって、彼の手の甲に勢いよく簪を突き立てた。


「いっ……」


 痛みで動きを止めた男に体当たりをする。体勢を崩して拘束が緩んだ隙に腕から抜け出して走る。


「チッ……待ちなさい!」


 後ろから声がする。待てと言われて待つ馬鹿はいない。


 私は急いで屋敷の角を曲がり、灌木に飛び込んだ。急いで木を掻き分ける。外壁に小さく空いた穴が見えてきた。普段私が使っている秘密の抜け穴だ。両親の目を盗んで外出するのに使っているもので、屋敷の中庭に通じている。


 急いで穴を抜けると後ろで足音がした。耳を澄ますと、そのまま遠ざかっていく。男は私が遠くに逃げたと思ったのだろう。


 売り飛ばされて金にされるところだった。恐ろしい世の中だ。


 人違いを狙って声を掛けるとは、なかなか巧妙だ。あんなずたぼろの怪しい風体ではなく、もっと普通の格好の男だったら騙される子もいそうなのに。よほど金に困っていたのだろうか。私を連れ去る、ではなく、保護すると言っていたのも気になる。

 

 髪についた葉っぱを払っていると、ふと鼻の奥にあの男の匂いが蘇った。甘く濃厚な香り。


「あれ、この匂い……」


 うーん、どこかで嗅いだことのある匂いだ。首を傾げる。

 これって――。

 

 考え込んでいると、ちょうど目の前の房間から母が出てきた。


「お前! こんなところで準備もせず何をしているの!」


「げ」

 

 思考が中断された。纏まりかけていた思考が霧散する。急いで服を抱え直すと、自室へと戻った。




 ※ ※ ※

 



「桃春、とっても綺麗よ」


「ありがとうございます、お母様」


「お前は藍家の誇りだな」


「嬉しいですわ、お父様」


 桃春と両親が別れを惜しんて門の前で話し込んでいる。私はというと、早々に容車に乗り込んで出発を待っている。両親は私と言葉を交わす気はないようで、一度もこちらを見なかった。

 車の幌の隙間から野次馬達を観察するも、先程の男の姿はなかった。どうやら諦めて帰ったようだ。よかった。


「では、行ってまいります」


「ああ、藍家の未来はお前にかかっている。皇太子と必ず懇意になるのだよ」


 父の言葉には、皇太子を射止めろ、さもなければ……という圧を感じる。桃春はあまり気にしていないのか、天真爛漫に軒車に乗り込んでいった。


 御者が鞭を打つと、馬が嘶いて馬車が動き出した。幌の隙間かろ両親と目があったが、無言で目を逸らされた。

 両親は桃春の乗る車へと笑顔を向ける。彼らの中では、私はもうこの家の人間ではないのだろう。

 

 二度とこの家に戻らないと思うと不思議な気持ちになる。でも、寂しくはない。私物もほとんどなかったし、今回に際して大事なものは全て持ち出してきた。この家に未練はない。

 あとは桃春が私を後宮で解雇してくれたら、晴れて自由の身だ。


「さよなら。父様、母様」


 知らず知らずのうちに口角が緩んで笑顔になる。


 隣に座る別の侍女が不思議そうな顔して私のことを見ていた。


 

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