第33話 皇后と皇太子




 悧珀りはくは苛立ちを隠そうともせず、靴先で床を叩く。人払いをしているためか音がよく響く。突然の訪問にも関わらず、眼前の女は淑やかに笑うだけでどこ吹く風だ。

 

「勝手な真似をしないでいただきたい。許可もなく自身の姪子を僕の後宮に入れるとは。いくら皇后陛下といえども、行き過ぎではないでしょうか」


 悧珀の剣呑とした物言いに、女――現皇帝の后であるせい皇后はゆるゆると首を振った。


「あらあら、そんなに怖い顔をしないで、悧珀。貴方を思ってのことよ?」


「適当なことを」

 

 靜は采四家筆頭と言われる金家の出であった。自身の家の出身者を擁護し薦めるのはあからさまな贔屓である。

 榻にゆったりと腰掛けた靜は、目の前で膝をつく悧珀を悲しそうに見下ろして、よよと目元を押さえる。


「本当のことなのに……貴方の生母である美燦びさん妃亡き今、貴方の母として、国の行く末を色々と考えているのよ」


 埒が明かない。

 悧珀は内心ため息をついた。

 

 靜の歳は四十、昔より容姿はふっくらとしたがその美しさは変わらない。おっとりとした雰囲気と語り口に、皇帝は彼女へ靜という名を贈ったが、その実、性格はなかなか強かであると悧珀は思っている。腹の底の読めない女性だ。 

 そんな皇后相手に盾を突けるほど今の悧珀に力はない。金家の娘が既に悧珀の後宮へ入ってしまった以上、返しますとは言えない。今は文句よりも現状の把握に努めた方がよさそうだ。

 

 悧珀は苛立ちを腹の中に押し込めると、その切れ長の目をつと細める。


「僕は金家に稀物マレモノがいるとは聞いていませんでした。才門も把握していなかったようですが、一体どこから湧いて出たのです?」


「まあ、酷い言い様。湧いて出たのなら今の藍家の燕子えんしも同じでしょう?」


 これについては言い返しようもない。柊月も才門の管轄外にいた燕子だ。

 柊月は史上稀にみる事例だった。だからこそ、柊月と同じような形で続けて燕子が見つかったというのが不思議でならない。偶然にしても出来すぎている。

 

 靜はゆったりと手の中の扇を回す。


「実のところ、わたくしも金家に稀者がいると知ったのは最近なのよ」


「どういう意味です?」


「そのままの意味よ。もともと今の金家本家の直系に稀者はいなかったわ」

 

 靜は記憶を探るように斜め上の方を見ながら呟く。その仕草が幼いせいか、悧珀とさほど歳が離れていないような錯覚を覚える。


「今回後宮へ入れたようは、ひと月ほど前にしょう家から養子に来た娘なの」


 鐘家は確か金家の分家だ。悧珀はほとんど名前だけの無名に近い分家だったと記憶している。

 

 靜の話曰く、瑶は十六年間、朝廷や他家からの圧力を避けるために鐘家当主がなのだそうだ。

 

 金家本家は、ほんの少し前に突然鐘家から養子の打診を受けた。金家当主はいきなりの稀者の登場に驚き、喜んだそうだ。二代続けて金家から皇后が立つかもしれない。その可能性に喜んだ金家は皇后の靜へ、瑶を悧珀の後宮へ入れられるよう都合をつけてくれないかと打診したのだという。

  

「……それで?」


 悧珀はじとりと靜を睨めつける。靜はそんな悧珀の態度にも動じない。

 

「私はそれなら喜んでと返事をして、後宮の女官長に内々に都合をつけて門を開けるよう手配してもらったの。正直に悧珀へ話して手配させるよりそちらの方が早いし、何より太子妃選儀の日が迫っていたもの」


 ああ、なるほど。金家としては太子妃選儀に柊月を選ばせるわけにはいかない。だから皇后を通じて強制的に門を開けさせたというわけか。

 今回の騒動は皇后の靜が、というよりは金家が主体となって動かしたものだ。一筋縄ではいかない相手が絡んでいることに悧珀は内心舌打ちをする。頭が痛いとはこのことだ。


「鐘家は、早々に瑶を後宮に入れると、周りの悪意の標的にされるんじゃないかと心配したそうよ。過保護よねぇ」


 だからといってこの直前の時期を狙って入れてくるのはたちが悪い。ここまで派手な入内となると、柊月の立場がなくなる。

 靜は目の前の悧珀と目線を合わせる。 


「瑶の宮は東の瑞香宮ずいこうきゅうをあてがってるから、是非今度足を運んであげて?」


 さも当然といった言い様に悧珀の目は更にきつくなる。

 

「誰のもとに行くは僕が決めることです。貴女ではないはずですが」


「それはそうなのだけどね」

 

 靜が悧珀の手を取った。白く細い指がするりと悧珀の手に絡む。

 

「折角この度金家から燕子が出たのだから、藍家の燕子じゃなくて、ここは瑶にしておいたら?皇帝となった暁にはきっと金家が貴方の支えになりますよ」


 見え透いたことを。

 悧珀は少し冷えた靜の手を解くと、一歩下がって靜と距離をとった。


「貴女様が金家の出だからそう仰るのでしょう。身内贔屓が過ぎます」


「金家の私が言うからそう聞こえるのかもしれないわ。でも、聡明な悧珀なら客観的に考えたらわかるはずよ?金家と藍家。将来的にどちらが貴方に利があるのか」


 ぐっと悧珀が言葉に詰まる。靜はおっとりと目元を緩める。


「藍家の燕子は色々と複雑な出自の子らしいですね。後ろ盾も弱いそんな子を太子妃につけるぐらいなら、後ろ盾のある瑶の方が貴方の役に立つわ。金家はここ数代、特に皇子や皇帝と近しい間柄。何も問題はないはずです。違うかしら?」


「……それは」


 彼女の言っていることは何一つ間違っていない。

 数か月前の悧珀なら、靜のやり口は気に入らなかったとしても、とりあえず瑶を太子妃に据えただろう。金家の財力、人脈、将来性。どれをとっても藍家とは比ぶるべくもない。

 

 しかし、今の悧珀はすぐに是と答えることができなかった。

 靜はそんな悧珀を面白そうに眺める。

 

「少し変わったのね、悧珀。昔の貴方ならすぐに答えを出したでしょうに。そんなに藍家の燕子がお気に入りなの?」

  

 靜の言葉に悧珀は顔を顰める。


「違います。彼女は関係ありません」


「そうかしらぁ? うふふ、まだまだ若いのねぇ」

 

 口元を扇で隠して笑う靜を一瞥すると、悧珀は立ち上がった。


「聞きたいことは大体聞けましたので、これで失礼します」


「あらあら、もう?ゆっくりお茶でも飲んで行ったら?」


「結構」


 残念ねぇと靜が呟く。

 このままここに長居しても得られるものはない。戻ってやらねばならないことが山積みだ。

 

 そのまま去ろうとする悧珀の背中に、靜が優しく声をかける。


「悧珀が美燦のことを気に病んで、後宮の無用な争いを避けようとしてるのは知ってるわ」


 悧珀の足が止まる。

 

「でも、貴方が皇太子という立場にいる限り、後宮からは逃げられないわ。あそこに繋ぎ止められている女達の人生は貴女にかかっているということを忘れないでね」


 悧珀は小さく息を吐き出すと、靜を振り返る。

 

「今回の件については、貴女様がその争いの種を増やしたのですよ」


「あら〜それはそれ、これはこれよぉ」


「はぁ……」


 正論を言ったかと思いきや、そうではなかったりする。やはり苦手だ。

 

「悧珀、私が貴方のことを思っているのは本当よ。後悔のないようにね」


 悧珀が再度振り返ると、ひらひらと手を振られた。

 

「瑶のことは選択肢を用意しただけだと思って。私はいつだって貴方の選択を尊重するわ。頑張ってねぇ」


 味方なのかそうでないのか、この人の考えがいまいち掴めない。悧珀は僅かに頭を下げると靴音を鳴らして部屋を後にした。

 

 残された靜はふわあと欠伸をすると、背もたれに身を預けた。


「私ったら面倒な立ち位置よねぇ。嫌になっちゃうわ」



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