第25話 本質
日が落ちて間もなくの自室。
この目の前で堂々と寛ぐ男は、随分と桂花宮の風景に馴染むようになっていた。いや、私が馴れただけかもしれない。最初は違和感しかなかったのに。
兎に角、形ばかりの後宮通いは順調に回数を重ねていた。
殿下は卓子の茶をゆっくり呷ると、目の前に座る私をじっと見つめた。
「な、何でしょうか」
「いや……」
歯切れの悪い返事と逸らされた視線。
何か機嫌でも悪いんだろうか。私は首を傾げる。
暫く無言の時間が続いたが、また茶を飲んだ殿下がようやく口を開いた。
「君の実家からさ、書簡とか届いたりとかしてないよね?」
いきなり登場した書簡という語にぎょっとする。
後宮は外部とのやりとりは御法度だ。親族であろうと、面会も手紙のやりとりも許可なくば許されない。何故突然書簡という言葉が出てきたのか不明だが、私はすぐに首を横に振った。
「いいえ」
届いてもないし、届いていたとしても受け取った時点で規則違反となる。藍家からの便りなど私は見る気もない。
「そう、よかった。もし手元に来ることがあったら開かず報告して。多分、胸糞悪……失礼、あまり気分のいい内容ではないから」
殿下が近くの炭を足元の火鉢に投げ入れた。夜半に冷える室内の暖取り用の火鉢だ。炎が移り、炭が音を立てて燃えていく。
「今後
「はい」
「現当主は君の父親。次期当主は弟の
おお、なんだか久々に弟の名前を聞いた気がする。藍家が随分遠い存在になってしまった。
「はい、今は資金面から本家から出て分家で育てられていますが、後々は本家に戻って跡を継ぐと聞いています」
「へぇ……」
殿下は、興味があるのかないのかわからない返事をする。何かを考えている風なので、私も黙って話の先を待つ。
「どんな子なの?」
「私は会う機会がなかったのでほとんど話したことも会ったこともないのですが……真面目でいい子だと使用人達が話しているのを聞いたことがあります」
「そうなんだ。僕も藍家のご子息とやらには会ったことがないからなぁ。今度人を遣って調べさせようかな」
殿下は卓子に置かれた皿から焼菓子を手に取ると口に放り投げた。それは私にと阿子が用意してくれていたやつなのだけど、先に殿下に食べられてしまった。
「
「特にはありませんが」
「ああいう手合いはすぐ諦めないから気をつけた方がいいよ。明睿にも気を配るよう伝えておこう」
「お気遣いありがとうございます」
何だか今日の殿下は心配性だ。何か政務や
「私は丈夫なので、大概の嫌がらせは受け流せます。太子妃選儀の準備も言われた通り進めていますし、大丈夫ですよ」
心配には及ばないと言うつもりだったのに、殿下には微妙な顔をされてしまった。
サクサクと菓子を食べ進めた殿下は粉のついた手を払ってもう一つ皿からつまんだ。お口にあったようだ。
「後宮は特殊な場だから、気をつけておくに越したことはないよ」
珍しく真面目な口調の殿下に、私は黙ってしまう。
ああ、そういえば。殿下の生母である
私が答えあぐねていると、殿下が手を差し出してきた。
「手を出して」
『君が図太く出来てるのは知ってるんだけど、少しは心配するんだよね。なんというか、僕の幼い頃にも少し重なるところがあるというか』
殿下の思考が流れ込んでくる。いつになく歯切れが悪い。
『無術者と謗られる苦しみも、悪意や妬みや誤解に苦しめられる大変さも僕は知ってるから。君は僕が巻き込んで今ここにいるわけだから、まあ、多少の責任を感じてるんだよ』
殿下のすらりとした指が私の手の甲を撫でる。
「自分の気持ちを言葉にして正確に伝えるのって難しいけど、こうすると伝えやすいんだよね」
便利道具扱いであることには変わりないが、彼の役に立つなら、悪くはない。
殿下はあれこれはっきり話す人だが、自分の気持ちを口に出すことは少ない。気持ちを形にするのが苦手な人なのかもしれない。そんな彼がどんな形であれ気持ちを伝えようとしてくれているのは、素直に受け取るべきだ。
「……私の術が役に立ったなら、よかったです」
私の返答に殿下が笑った。
「君が側にいると気楽だな。僕の通訳になってほしいくらいだ」
「通訳はちょっと……でも、私も殿下が相手だと居心地がいいですよ」
「へえ? 君でもお世辞って言うんだ」
「お世辞じゃないですよ」
殿下は手にしていた焼菓子を手の中で転がしながら肩をすくめた。
「僕は変わり者の第3皇子、だっけ? 的を得てるよ。僕は扱いづらいだろう?」
殿下のこの嘘もてらいもない物言いは反感を買うこともあるだろうが、裏表がないという意味で安心できる。浮世離れした御伽噺のような見た目に反して、殿下は合理的な人だ。
「扱いづらいのは確かです。でも、殿下は真っ直ぐで正直な方ですから、私としては裏表がなくて楽なんです」
私が思ったままを口にすると殿下がきょとんとした。
「殿下、嘘を言わないでしょう? 私の覗見術を躊躇わないのが裏表がない証拠なのかな、と思いまして。普通は本音と建前を知られるのを嫌がるものです。なので、手を握られるたびに、不思議な方だと思っていました」
両親や桃春然り、使用人ら然り。笑顔の裏で、罵ったり蔑んだりは当然だと思っていた。人間は必ず本音と建前を使い分けて生きている。これは争いを避けるために必要なことだ。
だから、殿下のように素直に何でも言う人間がとても珍しく見えた。特に、術で見たくもないのに勝手に人の本音が見えてしまう私にとっては、裏表がない人は変に気を遣う必要がないので、ある種居心地がいいのだ。
「何を考えているかわからないと否定的に言われるばかりで肯定的に言われたことがないから……驚いた」
殿下は面食らったようだ。何とも言えない表情で私を見つめている。
「ええと……気分を悪くされたのなら申し訳ありません……」
「いや、純粋に面白いなと思ってるだけだから」
面白いが感想なのが、殿下らしい。
「相性がいいのかもね、僕達は」
「どうなんでしょう。これって相性……なのですか」
「そうなんじゃない? でも、そうか……君は僕をそうやって見てくれるんだね」
しみじみと零される言葉に、私は首を傾げた。
「どういう意味です?」
「いや、存外嬉しいものだね」
一人嬉しそうな殿下に私は更に首を傾げるしかなかった。
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