第26話 皿探し(前編)




 朝餉の食器を片付ける阿子あこの後ろ姿を見ながら、ぼんやりと頬杖をついた。

 

 最近、ふとした瞬間に殿下の顔が浮かぶ。

  

 私の覗見術しけんじゅつを知る数少ない人であり、受け入れてくれている人。そして私を後宮へ連れてきた人であり、見せかけの太子妃を提案してきた人でもある。


「はああああ……」


 見せかけだけの妃相手にしては、殿下はよく気にかけてくれている。後宮で好きにしていいよと言われたくらいだから、完全に放置されるのだとばかり思ってた。

 彼は私に何を望んでいるんだろう。

 

 窓辺に顔だけ突っ伏していると、阿子が心配そうに顔を覗き込んできた。


「なんだかお疲れですねぇ。今日の明睿めいえい様の講義はお休みされますか?」


 阿子のまんまるの目と真っ直ぐの眉毛がしょんぼりしている。垂れた耳と尻尾が見える気がする。落ち込んだ犬……いや、阿子は小動物だから兎だ。どちらにせよ耳の垂れたかわいい生き物が連想された。

 私は身体を起こす。

 

「大丈夫です。ただの考え事なので」


「無理なさらないでくださいね。今日のお菓子は甘い果物をお持ちしますね!」


 可愛らしく私を元気づけてくれた阿子は、片手に謎の麻袋を持っていた。


「阿子、それは?」


「あっ! あ、えーと」


 さっと後ろ手に隠す阿子。目が泳いでいる。


「お、お気になさるほどの物じゃないです……」


 目が泳いでいる。何かよくないものでも置かれていたんだろうな。

 

 最近朝起きると、度々私の部屋の前に嫌がらせが置かれているようだった。阿子達は隠して処理しているつもりのようだが、私は何回かそれを見かけていて気づいていた。ごみだったり、鼠の死骸だったり、はたまた罵詈雑言乱舞の手紙だったり。私のことをよく思っていない誰かが送り付けてきてるんだろう。今回も気づかないふりをしてあげるべきだったかもしれない。阿子もしょんぼりとしているので、深く追求するのは止めた。


「……なんだかわからないですが、適当に捨てておいてください」


「はいっ、わかりました」


 阿子は何度も頷くと、麻袋と朝餉の食器を持っていそいそと退出していった。私も明睿が来る前に準備をしようと立ち上がるが、ひょこりと入り口の衝立から顔が二つ覗いていることに気づいた。

 琉杏るあん玉鈴ぎょくりんだ。随分久しぶりに会う気がする。


「二人ともどうしたんですか?」


 突然の訪問に腰を浮かす。二人はそろりと室内に入ってきた。


「明睿様に通してもらったの。貴女とお話してきたらって」


「そうそう。柊月が毎日忙しくて大変だから、少し息抜きになるだろうから行ってあげてって」


 明睿が気を遣ってくれたのか。さり気ない気遣いに嬉しくなる。純粋に喜びたいのだが、琉杏と玉鈴の顔を見て、違和感を覚える。


「ありがとうございます。でも私には二人の方が疲れてるように見えます。大丈夫ですか……?」


 二人は最後に会った時より少し痩せたように見えた。目の下に隈もある。化粧で隠しきれていないところを見るに、慢性的なものだろうか。


「そうかしら? 大丈夫よ?」


「最近忙しかったから少し疲れてるのかも。季節の変わり目で衣装の仕立てとか多くてね」


 二人はからりと笑うが、それにしては顔色も悪い。やっぱり何かあるのかもと思えてしまう。

 覗見術を使えば二人の考えもわかる。何かあったのなら、あまり勝手に覗く真似はしたくないが、二人が心配だ。


「琉杏、玉鈴。あの……」


 手を伸ばして二人の手を掴もうとしたとき、ふと背後に視線を感じた。背後を確認すると、目の前の窓越しに誰かと目が合った。


「……!?」

 

 まさか人がいると思わなかった。というか、いるはずがない。

 

 ここは桂花宮けいかきゅうの最奥、私の寝室だ。出入りを許しているのは信頼できる阿子や睿明くらいで、他の女官すら出入りを許していないのに。窓の外に人が立っているなんてありえない……が、よくよく見ると、その人は殿下だった。普段とは違い、随分簡素な服装をしているのでぱっと見ただけでは誰だかわからなかった。……別の意味で心臓がバクバクしてくる。何故彼がここにいる。

 

 私の焦ったような表情に気づいたのか、琉杏達も窓の外を確認する。ひぇと息を呑む音がする。

  

 殿下は窓越しにこちらの室内の様子を窺っていたが、すぐに身振りで窓を指し示した。


「あ け て」


 口の形から判断するに多分こう言ってる。


「わ、私達はお邪魔になる……よね?」


「帰るわ、柊月! また会いに来るね!」


「あっ、ちょっと待ってください!」

 

 殿下の登場に二人は慌てたように踵を返してしまった。呼び止めても、振り返ることなくそそくさといなくなってしまった。


 なんて間の悪い。

 

 私は行き場のなくなった手を引っ込めると、殿下にい言われた通り窓を開ける。すると野良猫のようにひょいと窓から侵入された。


「さっきの女官、明睿じゃないよね?」 


 パタパタと土や葉っぱを払う様子を見るに、裏道でも通ってきたのか。正規の道順で来たわけではなさそうだ。まあ、窓から入ってきた時点で正規でもなんでもないのだが。


「違います。いきなり窓から殿下がいらっしゃったので驚いて戻ってしまいました」


「ああ、ごめんね」

 

 殿下に悪びれた様子はない。まさか窓から来るとは思っていなかった私はいきなりの訪問に困惑する。

 殿下は肩からさげていた小さな袋を私に差し出してきた。

 

「明睿に見つかると厄介だからさ。とりあえずこれに着替えて。巳の初刻までには出たいんだ」


「見つかる? 出る?」


「ほら、いいから」


 腕に袋を押し付けられて奥で着替えるよう促される。


「僕は外に出てるから。着替え終わったら窓から出てきて」


 そう言い残して殿下は再び窓の外に出てしまった。


 ……何なの。

 袋の中を覗くと、簡素だが仕立てのいい襦裙じゅくんズボンの揃いが入っていた。これは何と聞きたくても当の殿下はもういない。窓に張り付いて外を見ても姿すら見えない。着替えるので気を遣ってるんだろうが、今その気遣いはいらなかった。

 どうしようもないので、着替えることにした。


 袖を通すと大きさはぴったりだった。

 落ち着いた色味で華やかさはないが、つくりは上等。いいところの商家の娘が来ていそうな服装だ。

 鏡に映る自分を覗き込む。この服装に今の豪華な結い髪はあまりにちぐはぐだ。適当に飾り紐を拝借して昔のようにひとつ結びにしよう。これなら動きやすいし変に髪型が浮くこともないだろう。


 支度を整えて窓から顔を出す。

 窓の外は砂利だ。褲のおかげで、窓枠も難なく跨ぐことができた。外に出た窓下に用意されていたくつも履くと、音を聞きつけたのか殿下がこちらにやってきた。

 

「ぴったりだね。よかった。あ、これも被って。門を潜るときに見張りに見られたら騒がれるから」

 

 そう言って渡されたのは薄汚れた厚手の頭巾と外套だった。到底皇太子が持っているような品には見えない。それに、聞き捨てならない単語があった。


「門を、潜る……?」


 どういう意味かと聞く前に手を取られた。早足で園林にわを突っ切り、ほとんど使われていないようないおりを抜け、崩れかけた壁を潜って道だか獣道だかわからないような草むらを歩く。道すがら遠くに外廷の官吏が見えた。ということは、私、いつの間にか後宮から外廷に出てきている……?

 今皇城の何処にいるのかわからないが、頭上の太陽がどんどん後ろになっているので方角的に南へと歩いている気がする。


『言い忘れてたけど、今から外に出るんだ』


 殿下が覗見術を通して私に喋りかけてくる。

 

 そと……外!?

 

「もしかして皇城を出るってことですか!?」


 思わず大きな声が出た。後宮は一度入ると簡単には出れない。病気だろうが身内の不幸だろうが、特別に許可なくば普通は出れないものだ。ましてや皇城から出るだなんて。そうホイホイ出ていいものじゃないはず。

 しかし、横を歩く殿下の顔色は変わらない。


『大丈夫、大丈夫。緑紹にも明睿にも置き手紙は残してる。それより君は商隊の開く市には行ったことある?』


「ないですけど。というか、脳内で会話を成立させないでください! 勝手に読んでる私もいけないんですけど!」


 またこの人は器用に私の異術を利用する。向こうが話しているわけでもないのに勝手に会話が成立してしまう。変な感じだ。


『もう外に出るよ。あの壁を潜るから。頭上に気をつけて』


 殿下に壁に空いた小さな穴に押し込まれる。這いつくばるようにして穴から出ると、そこは陽威よういの市街だった。本当に外に出てきてしまった。呆然としている私の横で、同じように穴をくぐり抜けてきた殿下が服についた泥を払う。


「これ本当に大丈夫なんですか……」


「目的地はもうすぐそこだから。さ、行こう」


 頭からすっぽり布を被った殿下が頭巾の下で笑う。今度は手を握られることもなく、殿下が先を歩き出した。

 はぐれないように急いで後ろにくっついていく。こんなところに置いていかれたら本当に困る。


「先程言っていた商隊の市とやらに行くんですか?」


「そうだよ。少し前に西方から大商隊が帰ってきていて、昨日から城の西側で持ち帰った物品で市を開いてるんだ」


 行き先はわかったけど、これからすることが全然見えてこない。しかし前を歩く殿下の足取りはとても軽い。身長差があって一歩の長さが違うので、私は小走りで後をついていくしかない。

 

 殿下をすっぽり隠す頭巾と足元まですっぽりと隠れる輪郭は、何時ぞやの私を誘拐しようとしたときと同じ姿だ。手慣れているところを見ると、こうして城下に降りるのは常習犯なのだろう。

 

 路地裏を抜けると、一気に人通りが増えた。繁華街に出たようだ。

 

「はぐれないでね。次の、――で、右に――」


 私と殿下の身長差は七寸ほどはあると思う。それだけ距離があると、人混みと被っている頭巾のせいで殿下の声が聞き取りづらい。喧騒に殿下の声の低音が絶妙に混ざって大事なところが聞こえない。

 

 なんとかしようと殿下の肩口に顔を寄せると、さっと身体を引かれた。何故。急に近づいて不快にさせただろうか。


「あの、申し訳ありませ、ぐえっ」


『やっぱりこっちの方が便利だな』


 言い終わる前にぐいと私の手が引かれた。前につんのめってしまった。また頭の中に殿下の声がする。


『今日の目的は――』


 何もなかったようにあれこれと伝えてくる殿下に手を引かれて歩く。頭の中で小さな殿下が延々と喋っているみたいだ。直接頭の中に情報を流し込まれる感覚は何度やっても慣れない。

 殿下の腕をバシバシと叩く。ここまできて身分が立場がとか言ってられない。


「私の術を便利道具扱いしないでください」


『あはは、ごめん。周りがうるさくて何を言ってるのか聞こえないな』


「聞こえてるでしょう!? 手で繋がってるんですから、貴方の思考は筒抜けです!!」


 私の主張はあっさり無視された。


『この術は喋らなくても伝わるのがいいね。口を動かす労力も削れるのがいい』


「私の労力は倍に増えてるんです」


『術は使っていった方が耐性もつくらしいよ。ようは慣れだね』


 物は言いようだ。この人に口で勝てるわけがないんだから、諦めた方がいい。ちらと見上げると、頭巾から覗く横顔は上機嫌だ。

 本当に不思議な人。殿下の感覚はよくわからない。


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