第15話 悧珀の脅し




 何をしていても天井がぐるぐると回って見える。これからのことを想像してしまって、おえっとえずく。もう無理、吐きそう。


柊月しゅうげつ様、手を上げてくださいまし」

 

 にこやかに世話係の女官が私の腕を万歳の姿勢にして上げる。別の女官が私の胴に手を回して手早く帯を締めていく。


「あらあら、まあまあ! お綺麗ですわ!」


「ありがとうございます……」


 私の表情は死んでいるであろうに、女官達は気にした様子もなく、私を椅子に座らせる。


「次はお化粧を致しますので、こちらに」


「好きにしてください……」


 両脇から嬉々として綺麗なお姉様方がやってきて私の髪を梳き出す。もう、どうにでもしてください……。


 

* * *



「本題に入りたい。いいかな?」


 時は遡り、あの殿下との話し合い。

 殿下は私にこう切り出した。

 

「君には私の太子妃になり、ひいては皇后となってもらいたい」


 と。

 稀物マレモノ燕子えんしだと知られたらこうなる可能性があると思っていたので、そこまでの衝撃はない。結局は誰も彼も稀者をいいように利用したいだけだ。

 

 私の返事は最初から決まっている。


「有り難いお話ですが、お断りいたします」


「そうか、お断り…………は?」


 殿下は心底驚いていた様子で動きを止めた。後ろの緑紹りょくしょうも固まっている。

 断ると思っていなかったんだろう、殿下は訳がわからないといった風に首を振る。


「何故? 何か問題でも?」


「問題しかありません。私はそんな大層な地位につけるような人間ではありませんし、妃となるべく教育も受けていません。ただ稀者というだけです。殿下に相応しい方はもっと他にいると思います」


 殿下はそれでも理解不能といった表情だ。私達の間に置かれている卓子つくえに前のめりに手をつく。


「太子妃、皇后だよ? なりたいとは思わないのかい?」


「はい」


「他にやりたいことでも? 想い人がいる?」

「想い人はいませんけど、やりたいことは田舎暮らしです」


「いなか、ぐらし……」


 殿下が片言に繰り返す様はなかなかに面白い。すっかり彼の理解の範疇を超えてしまったようで、黙ってしまった。


「こほん、失礼ですが柊月様」

 

 横から緑紹が顔を出す。


「私はここに来るまでの間で柊月様のことを少し調べさせていただきました」


 緑紹がちらと巻子本かんすぼんを見やる。彼が持っていたあれはそのためのものだったのか。この短時間によくやる。というより、私に身の上を話させておきながら、全て下調べ済だったということか。つくづく嘘をつかなくてよかったと思う。

 緑紹は真面目な顔で私の前に膝をついた。


「ご実家でかなりの不遇を強いられていたとのこと。太子妃となれば、今まで貴女様を馬鹿にしてきた相手よりずっと高みにのぼることができまます。そもそも、稀者として類稀なる術をお持ちの柊月様は、太子妃に相応しい方です。一矢報いたいとは思いませんか?」


 説得ときたか。緑紹の提案は魅力的だが、そこまで惹かれるものじゃない。

 私は首を横に振る。


「この術は生まれたときにたまたまあっただけで、私はそのように持ち上げられる人間じゃないです。一矢報いるは、まあ……面白そうだとは思いますけど、そこまでは」


 緑紹の片眉が上がる。


「今までコケにしてきた相手を許せると?」


 私は自分の手を見下ろす。傷だらけでボロボロの手。これは確かに苦労した結果できた傷だ。でも自分で選んだ道でもあるし、相手にも同じように傷を負わせたいかといわれると、少し違う。


「許す許さないでいったら、確かに許せないです。嫌いですし。でも、復讐とかそういったことをしたいわけではなくてですね。個人的にはもう関わり合いになりたくないといいますか」


 長年のあれこれでできてしまった諦観と、家に関わりたくないという気持ちが強すぎて、仕返しとかそういうものはどうでもいいと思ってしまっている。私はただ、らん家と縁を切って静かに暮らしたいだけなのだ。

 そんな私の顔をじっと見て、緑紹は息を吐いた。

 

「無欲ですねぇ」


「そういうわけじゃないですけど」


 話の趣旨がズレてきている気がする。すると、今まで黙っていた殿下が口を開いた。


「一度君の置かれている現状について説明しよう」

 

 固い表情にこちらも自然と身構える。殿下はゆっくり瞬きすると目の前の卓子に視線を落とした。

 

「今の君は、藍妃を害した罪の真偽を問うために捕縛されている状態。よって、真偽が晴れるまでは君を解放することができない」


 ぎょっとして手に取りかけていた茶杯を落としそうになった。

 

「捕縛!? 今さっき、私のことは疑ってないと言っていたじゃありませんか!」


「僕達はそうだけど世間はそうは思わないよね。なんせ証拠が藍妃の証言だけだ」


「それは!」


「仮に今、君を解放しても周囲は納得しない。大半の者が君が藍妃を貶めたと思うだろうね。……何故だかわかるかな?」


 思わず黙ってしまう。身に覚えしかない話だ。


「異術妃と一介の侍女、どちらの言い分を周囲が重く見るか。いくら君が藍妃の姉といえど、今の藍妃が強く主張すれば君の声など誰にも届かない。わかるだろう?」


 確かに……それはそうだと思うが。

 私が無実と主張しても、桃春は自分の嘘を認めない。私が突き落としたんだと言い張るだろう。結局いたちごっこだ。

 殿下は、はあと大仰にため息をついてこれみよがしに額を覆う。

 

「こちらとしても心苦しいが、事態を収めるための体裁として、君に後宮からの追放、または何かしらの罰を科すことになるかもしれないね」


「そんな!」


「藍妃が嘘をついていたと認めさせることができなければ、誰かが罪を被ることになる。……今の君には、周りを納得させられるだけの力も立場もないからね」

 

 心苦しいといいながら、殿下の表情は冷静だ。伏せ目がちだった殿下の目がゆっくりと私の瞳を捉える。彼の琥珀色の瞳の中に私が映る。

 

「ただ、君が自分に異術があることを認め、世間に公表すれば事態は変わる。藍妃が嘘をついていたと周囲に知らしめることができ、君の疑いも晴れる」


 無術者の姉が自分を妬んで虐めている、と桃春は主張している。そこに私が稀者であると名乗れば、桃春の主張は根本から崩れることになる?


「私が太子妃になれば、桃春の主張も誤りだと認められると?」


「そういうことになるね」


 随分と横暴な理論だ。そんなことで簡単に収まる話のようには思えない。そもそも、桃春を取り調べて嘘だと認めさせればいいだけの話である。

 でもそれはしないと暗に殿下は言っている。

 つまり、だ。

 

 私は脅されてる。それもわかりやすく、だ。


 太子妃になれ、さもなくば藍妃傷害罪の罪で刑に処すぞ。

 端的にいうとこうだ。それを殿下がそれらしい理由をつけて回りくどく言っているにすぎない。

 

 じっと殿下を見つめ返すと、にこりと笑みを返された。よくできた綺麗な笑みだ。


「『燕子を皇后に据えた王朝は栄えるらしい』……つまり、誰でもいいから稀者の皇后が欲しいと?」


「君は聡いね。理解が早くて助かるよ」


 殿下の笑みは崩れない。私の挑発などものともしない。 

 殿下は思ったより常識があって話が通じる人だと思っていたが、とんだ間違いだった。この人は、紛うことなき権力者だ。利益のためなら、私のような一般人を潰すことなど造作ない。

 

 前科持ちとなれば、市井ではまともに暮らせなくなる。田舎暮らしなんてとんでもない。太子妃になろうがなるまいが、ここに連れ込まれた時点で最早私ののんびり隠居生活は叶わなくなってしまっていた。蜘蛛の巣にかかる憐れな虫。それが今の私。

 どこ吹く風で殿下はゆったりと両手を組む。


「外廷では誰の娘を未来の皇后にするかで、毎日下らない派閥争いをしているし、水面下では僕を弑して他の皇子を立太子させようという動きもある。燕子の君が太子妃に就くと僕に箔が付いて皇子を牽制することができる上に、外廷の派閥争いも一旦沈静化できるんだ」


 殿下はきらめく笑顔を見せる。


「君に他の妃と皇子を牽制する役をお願いしたい。代わりに、後宮内で好きに暮らしてくれて構わないから。贅沢もし放題だよ」


 牽制なんて言われてもピンとこないし、贅沢なんて興味ない。でもひとつわかることがある。今の私に逃げ道はないということだ。

 

 さよなら、私の田舎暮らし。こんにちは、後宮でのドロドロ生活。

 私が項垂れるのを見て、殿下は更に笑みを深くした。

 

「秘密の共有は仲を親密にするんだ。これで君と僕は共犯だ」


 何が親密か。形ばかりのくせに。


 私の睨みなど殿下にはどこ吹く風だ。

 殿下は膝を叩いて立ち上がる。

  

「さてさて、決まったなら早速始めようか」


 殿下が扉を振り返る。


「入れ」 


 突然扉の向こうに黒ずくめの集団が現れた。頭から頭巾を被り、目だけを出すように顔にも布を掛けている。異様な出で立ちに目が奪われる。顔の布に描かれている太極図にも近い円環の図柄に、昔読んだ書物を思い出す。


「才門……?」


「おや、詳しいね」


 殿下が黒ずくめの集団を部屋に招き入れる。足音もなく集団で部屋に押し寄せられると圧倒されるものがある。先頭にいた小柄な黒ずくめが私の前に膝をついた。


「貴女が藍柊月様でいらっしゃいますか?」

 

声からして多分女性だ。殿下を見やると、僅かに頷いたので恐る恐る口を開いた。


「はい」


「柊月様ご本人、確認致しました。ではくさびを」


 女性が小さな金の環を出した。小さく才門の図柄が描かれているそれは、何度か目にしたことがあった。桃春は耳環として、他の異術妃達は腕輪や指輪で身に着けているのを目にしたことがある。目の前の殿下ですら、腕に同じ図柄の金の環をしている。

 これは異術者の証、才門が異術を認めた印となる。通称“くさび”だ。


「貴女の術の開示を」


 これを身につけるということは、異術を保有している証明になる。そして国に術者として従属しているという表明にもなってしまう。こんなのをつければ、もういよいよ逃げられない。

 

「ほら、君」


 殿下が私をせっつく。 

 わかってる、わかってるから。ここまできてしまったからには腹をくくるしかない。

 

 利用されっぱなしの人生だけど、少なくともここには藍家と違って私が必要とされている理由がある。この男にしてみたら燕子なら誰でもいいんだろうけど、誰でもいいで選ばれることほど屈辱的なことはない。

 

 私は、私。ここで生きる意味を見つけてやる。基本面倒くさがりな私だけど、あの男に寄りかかって生きるだけの人生になんてぜっったいになりたくない。

 大きく息を吸ってから口を開いた。

 


「私の術は――」


 

 

* * *



 思い出したら腹が立ってきた。あの二枚舌男め。


「柊月様、お支度整いましたわ」


「とってもお美しいですー!」


「殿下も驚かれますわ!」


「素敵ですぅ〜!」


 女官達がやんややんやと持ち上げてくれるが、調子に乗るほど自惚れてはいない。私は一昨日まで下働き同然の生活をしていた女なんだから。


 桃春が池に落ちて私が身柄を拘束されたのが、二日前。太子妃候補として身の回りを整えられて内内うちうちに個人の宮である桂花宮をあてがわれたのが昨日。そして今日はというと、ご覧の通り、これでもかと全身を飾り立てられている。

 

 鏡に映る私は普段とは別人だ。化粧と服の力ってすごい。普段着ないような開いた胸元は布の少なすぎて落ち着かないし、貧相な胸がより貧相に見えて悲しくなる。

 そんな胸元から視線を上げると金の環がついた首が見えた。才門の紋章の環。くさびだ。

 この楔は術者によって形を変えて身体に巻き付くのだと聞いていたが、まさか私の場合は首につくとは思わなかった。


『あはは、これじゃまるで首輪だね』


 首につく術者は珍しいらしい。大体は腕か足、耳だ。

 悪気はないんだろうが面白そうに覗き込んできた殿下にそう言われて、カチンときた。

 口には出さなかったが心の中で罵っておいた。これくらいは許されるだろう。

 

 女官の手を借りて椅子から立ち上がると、衣装のあまりの重さにふらついた。絹もここまで布を重ねるとこんなに重くなるのか。

 未だかつてない着飾られ様に私の身体がついていかない。簪も重くて首がもげそうだ。



「さあさ、柊月様。殿下と皆様がお待ちです」


 先導役の女官が私の手を引く。私は油の切れた農具のような動きでカクカクと頷いた。

 

 今から私は妃の冊封さっぷうの場へと連れて行かれる。異妃達が皇太子の妃として正式に位を授けられる場だ。私はこの冊封の場に電撃登場する予定らしい。全然嬉しくない。


 私はこれから太子妃に継ぐ地位の良娣とて冊封され、太子妃候補として一月ひとつきを過ごすことになる。そして、来月の太子妃選儀たいしひせんぎという太子妃を指名する場で殿下が私を指名することで、私が正式に太子妃となる手筈らしい。 

 私を太子妃にするのが決定事項であっても形ばかりでもきちんと慣習に則った手順を踏んだ方が、後々敵を作りにくいらしい。そういうものか。

 

 どんどん外堀から埋められている感が否めない。私にもう逃げ場はない。

 

「柊月様……? お顔色がよろしくありませんが、大丈夫ですか?お手も冷えていらっしゃいます」


 手を引く女官が気遣わしげに私の顔を覗き込んできた。物思いに耽っていた私は、慌てて笑みを作る。


「大丈夫です。緊張してしまって」


 あとちょっとで公開処刑場に着いてしまう。そりゃあ顔色だって悪くなるに決まってる。

 

 女官は私の手を握るとふんわりと笑った。


「大丈夫でございますよ。柊月様は殿下に見初められた燕子様ですもの。きっと殿下が柊月様のことをお守りくださいます」


 見初められた……周囲にはそう見えるのか。守ってくれるとは思えないんだけど、あの人。

 

 口に出すこともできず、曖昧に笑って受け流した。



 

 

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