第9話 新しい仲間
「
「今からですか?」
「その日は初めて殿下に謁見する日よ。とびっきり綺麗な格好でお会いしたいの。その後はやっと正式に妃の位につけるしね。楽しみだわ」
ふふふと鈴を転がすように笑った
「全て今日中に終わらせて。いいわね?」
「……かしこまりました」
私の返事に満足したのか桃春は足取り軽く奥へ姿を消した。
桃春含む異術妃達は未だ皇太子の妃として正式な位を持っていない。桃春は
皇太子の後宮は、太子妃を頂点に、上の位から
家柄だけで言えば、藍家は現状今の後宮で一番上だ。きっと桃春は一番高い位……太子妃か良娣に冊封されるのを期待しているんだろう。順当にいけば良娣は堅いだろうし、桃春か様子がわからなくもない。
まあ、これで他の才四家の本家筋がくれば藍家は采四家で一番格下になってしまうが、今は考えなくてもいい話だ。
晩ごはん抜きは慣れっこだが、これから衣装の確認となるとかなり時間を使いそうだ。今日は何時に寝れるだろう。
これからの予定を考えていると、鼻をすする音がした。横を見ると、例の宮女が服の濡れたところを手ぬぐいで擦りながら泣いていた。
「大丈夫ですか?」
大丈夫じゃないから泣いているんでしょうに。
心の中で自分で自分にツッコむ。もっと気の利くことが言えたらいいのに。対人能力の低い己を恨む。
「だ、大丈夫です……すみません、ごめんなさい」
その子は小柄で幾分か私より若そうだった。十三、四といったくらいか。手荒れした指先や日焼けした肌が、いかにも下女といった風貌だ。涙に濡れた大きな目は小動物を思わせた。
「謝らないでください。お茶、熱くなかったですか?火傷してませんか?」
「はい、平気です」
「それはよかったです」
私も自分の手ぬぐいを出して彼女の服を拭いていると、手の甲にポタポタと涙が落ちてきた。彼女の目から大粒の涙が零れ落ちる。
ひっくひっくとしゃくり上げて泣くその子を見ていると、苛めに耐えかねて泣いていた幼い頃の自分を思い出して心が痛んだ。
視線を巡らすと藍家から連れてきた侍女二人が目に入った。桃春の世話をするべく、欠伸をしながら桃春の寝室へ向かっているところだった。
桃春は面倒な仕事を全て私に振っているので、あの二人はたいした仕事もなく毎日暇そうである。彼女らは私と目が合うと、わざとらしく視線をそらしてそそくさと退散してしまった。こんな泣いている子を前にしてあの人達は人の心がないのか。
「あの……」
寝室を睨んでいた私の袖が小さく引かれる。
「本当にありがとうございました。あたし、
「私がやりたくてやったことなので、そんなに頭を下げないでください。悪いのは桃春……様です」
桃春と呼びかけて、慌てて様を付け足した。
阿子は最初きょとんしていたが、ゆっくりと頷いて笑ってくれた。
「ありがとうございます、柊月さん」
阿子は涙を拭うと、桃春の前でいたときよりも手際よく片付けを始めた。その早さや手慣れた様子に、さっきは緊張や恐怖から動けなかっただけで、本来の阿子は仕事ができる子なんだろうなと思った。
阿子は一通り片付けると、私の手をがしりと掴んだ。
「侍女をされるような高位の女官の方が、私のような下女に優しくしてくださるなんて……このご恩は決して忘れませんから」
「あ、阿子さん? そんな大袈裟な」
「さんは不要です。阿子と呼んでください。あの、よければこの後の柊月さんのお仕事をお手伝いしてもいいですか?」
阿子の頭に耳が見える。あとお尻に尻尾も。幻覚だとわかっているけど、阿子が子犬のように見える。
「でも」
「柊月さんは先に保管庫へ行っててください。食膳を下げてきたらすぐにあたしも行きます」
「……わかりました、ありがとうございます」
勢いに押されて頷くしかなかった。
目を輝かせて喜ぶ阿子。なんだかひどく懐かれてしまったようだった。
阿子が膳を抱えてパタパタと駆けていく姿を見送る。
私は言われた通り衣装や服飾品を仕舞っている保管庫へと向かった。
走廊にはほとんど人がおらず、各部屋の衝立から灯りだけが漏れている。物音もほとんどしない。皆自室に下がっているのだろう。いいな、私も早く終わらせて寝たい。
ひとり足早に歩いていると、向こうから
「私も仕事終わったら早く寝よう」
欠伸を噛み殺して廊下を急いだ。
* * *
何度も走廊の角を曲がり、
「緑紹、戻ったね。進捗はどう?」
宮に戻るなり悧珀から質問が飛ぶ。緑紹は頭を下げる。
「申し訳ありません。未だ見つかっておりません」
「そっか」
悧珀は首を掻きながら天を仰ぐ。
「どこに行ったんだろうね」
悧珀から
悧珀曰く、女性は小柄で華奢、年は十代後半。波打つ長い黒髪に漆黒の大きな瞳、整った顔立ちをしているが化粧っ気はなし。身なりが貧しいため、どこか貧しい庶民の家の者ではないかとのことだった。
緑紹は手にしていた木簡を卓子に置く。
「こちら、才門より借りてきた術者の戸籍ですが……」
「才門が稀者の存在自体把握していないなら、ほとんど役に立たないだろうね」
「そうですよね」
二人してため息が漏れる。
「これだけ探してもいないとなると、見間違いか、あるいは住まいが
緑紹がちらりと悧珀を見やる。悧珀の琥珀のような瞳は窓の外を見つめている。コツコツと卓子を叩く長い指の一つにはめられた銀の環がぶつかって音を立てる。
悧珀が稀物を見つけたと言うならば確実にいたのだ。見間違える訳がない。
「となると、首都を離れた可能性が高い、か」
悧珀の呟きは緑紹に重くのしかかる。
「悧珀様の
燕子を皇后として戴けば、悧珀が皇帝として立った際に箔がつく。なんとしてでも燕子を確保して、悧珀の太子妃に据えねばならない。
もし他の皇子に燕子を横取りされようものなら、それを理由に悧珀の皇太子の地位を脅かしてくるだろう。柊月の存在が世に知れたら、仲の悪い皇子らの格好の餌になる。柊月の奪い合いになることは目に見えていた。それほど燕子は皇后として価値のある存在なのだ。
「そうだね。頼むよ、緑紹」
悧珀の言葉に緑紹は深く頭を下げた。
――その燕子たる
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